第116話.ダンスパーティーの夜

 


 その日の夜のこと。

 オトレイアナ魔法学院の停車場には、続々と馬車がやって来ていた。


 中からは着飾った男女が次々と降りてくる。

 今日は学院の大ホールで、建国祭を記念したダンスパーティーが開かれるのだ。


 そんな中――ユーリとブリジットが乗った馬車も、ホール会場にちょうど到着したところだった。

 先に降りた正装姿のユーリが、手を差し出してくれる。ブリジットはその手を取った。

 それでも、しばらくその場から動けずにいた。


「ブリジット?」

「、……あっ」


 ブリジットは大慌てで頭を下げる。


「すみませんユーリ様。わたくし、ちょっと考え事をしていて」


 考えていたのはデアーグやアーシャ、ロゼのことだ。

 数刻前、彼らは魔法警備隊に連行されていった。その姿が頭から離れず、ぼぅっとしてしまっていた。


(いけない。せっかく、ユーリ様とパーティーに参加できるのに)


 頭を振って思考を打ち消そうとする。

 しかし冷静さを取り戻すと同時、次は緊張感で四肢が震えた。


 ジョセフの言いつけで、ブリジットはパーティーの場を避けていた。

 やはりジョセフに言われ久しぶりに参加したときには、彼から婚約破棄を言い渡されたのだ。

 嘲笑を浴びながらひとりぼっちで会場を出たときの惨めさは、忘れられるはずもない。


(私と居ることで、ユーリ様に……恥ずかしい思いをさせたくない)


 そう思うのに、勝手に顔が俯いてしまう。

 そんなブリジットの頬の表面に、ユーリが軽く指先で触れた。


 弾かれたように顔を上げる。


「ユーリ様?」

「……大事なことを言い忘れていたから」


 何を、と聞き返す前にユーリが整った顔を近づけてくる。

 固まるブリジットの耳元に落とされたのは、囁くような賛辞の言葉だった。


「……きれいだ。よく似合ってる」

「…………ッ!」


 ブリジットの顔がぶわりと火照る。

 熱を持つ頬を、またユーリが撫でる。化粧をくずさない程度の接触だ。


(シエンナがチークを控えめにしてくれて、良かったわ……)


 そんなことを思うブリジットは、豪奢な純白のドレスをまとっていた。

 繊細なレースを重ね、ふわりと膨らんだドレスには真珠が縫いつけられている。

 ハーフアップに編み込んだ髪の毛には髪留めをつけている。ユーリがくれたマジックアイテムだ。


 耳飾りに、首元を彩るビジューネックレスは青色。

 エスコート役であるユーリの色だ。この日のために、シエンナが熟考して選んでくれた装いである。

 それをユーリが褒めてくれたことが、震えるほどに嬉しかった。


「あ、ありがとうございます……ユーリ様も、格好良いです」


 くすぐったそうにユーリが眉を下げる。

 ユーリのネクタイピンの色も赤色だ。ブリジットの髪の色。


「行こう」

「はい」


 差し出された腕に、自身の腕を絡める。

 その頃には、身体の震えはすっかり消えていた。



 ◇◇◇



 シャンデリアの明るい光の下、何組もの着飾った男女の姿があった。

 立食式のテーブルには色鮮やかな料理が並ぶ。舞踏会だからかメニューは軽食が多いようだが、会話を弾ませるのに一役買っている。


 壁際で優雅な音色を奏でるのは楽団の人々だ。

 そんな賑やかな会場に入ったとたん、いくつもの視線がブリジットとユーリに刺さった。


 というのも当然のことだろう。

 ほんの数時間前、ニバルのエアリアルの力を借りて父親の醜聞が王都中に知られることとなった。

 渦中の人物となったブリジットがこの場に姿を現すとは思わなかった生徒も多いはずだ。


(それにしても、本当に見られているわね……)


 想像以上の注目を浴びている。

 さりげなく広い会場を見回すようにすると、熱に浮かされたような顔をした男子生徒が、やたらとこちらを見つめているような……。


(ん?)


 不審に思った直後、それらは慌てたように背けられた。

 気がつけば、腕を組んだユーリが殺気のようなもの――否、殺気と呼ぶべきものを迸らせている。


「ユーリ様、いつも以上にお顔が怖いですわよ」


 指摘すると、彼の眉間の皺がいくつか消えていく。

 振り返ったユーリはいつも通りの、ちょっと怖い顔をしている。


「ありがとうございます、わたくしを心配してくださって。でも大丈夫ですわ」

「……どういう目で見られているか分かっているのか?」

「それはもちろん。彼らが気になっているのはメイデル家の失墜の件ですわよね」


 これ見よがしにユーリが溜め息を吐く。


「よく分かった。お前が何も分かっていないのが」

「……?」


 ユーリの言わんとすることがよく分からないブリジットである。

 首を傾げつつ、ユーリのエスコートで階段を下りると。


「ブリジット嬢~っ」


 親しげな声が近づいてきて、顔を向けると人混みからニバルとキーラが姿を現した。

 あのあと解散していたのだが、彼女たちも無事にパーティーの準備は間に合っていたようだ。


 ブリジットを一目見たキーラがきゃあっと歓声を上げた。


「素敵です、ブリジット様ぁ!」

「本当にすげーきれいです、ブリジット嬢!」


 きゃあっとニバルも顔を赤くして騒いでいる。こういうところはよく似た二人だ。


「ありがとう。二人もすごく似合ってるわ」


 破顔する二人も正装姿だ。

 ニバルは深緑色のスーツ姿、キーラは目にも鮮やかな赤いドレス。


 その色合いに「あら?」と首を傾げていると、キーラが教えてくれた。


「わたしたち、ブリジット様の髪と瞳の色に合わせた衣装を着てきたんですー!」


 また二人できゃあっと恥ずかしそうに顔を覆っている。仲良しねぇとしみじみ思うブリジットである。

 ひとしきり騒いだあと、キーラが何かを捜すようにきょろきょろする。


「ぴーちゃんはお留守番ですか?」

「ううん。ちゃんとついてきてるのよ」

『ぴーっ』


 薔薇のコサージュがついたパーティバッグから、ぴーちゃんがひょっこりと顔を出す。

 ブリジットの頬の傷も治してくれたぴーちゃんは、しばらくこの中で眠っていたのだ。


『ぴぴぃ……』


 手持ちのバッグでも特に大きな物を選んできたのだが、ちょっぴりぴーちゃんは窮屈そうにしている。

 というのも……バッグの中に、を入れているからなのだが。


「あっ! だ、だめですユーリ様!」


 ぴーちゃんに熱く見つめられたユーリが顔を近づけようとしたので、ブリジットはすかさずバッグを後ろ手に隠す。

 不審げに眉を寄せられるが、この中身を今知られるわけにはいかない。ブリジットはあわあわしながら、ユーリの気を逸らそうと考えを巡らせた。


「あっ、な、何か食べます? わたくし持ってきますわ!」

「いい」


 作戦がその一言で砕け散る。


「ブリジットこそ、お腹が減っているのか? それなら……」


 むしろユーリが取りに行く姿勢を見せてしまう。

 ますますブリジットは慌てふためいた。いろんなことがありすぎてお腹はまったく減っていないのだ。


 ――ぴん、と張り詰めた弦の音が鳴る。


 ファースト・ダンスの時間が近づいているのだ。

 一瞬、ホール内を静寂が包む。

 まぶしいほどにきらめくシャンデリアの下、そこかしこでやり取りが聞こえてきた。


「キーラ。俺と、その、踊ってもらえるか?」


 気恥ずかしそうにしつつ、ニバルが定型句でキーラを誘う。


「ええ、級長。喜んで」


 そう返すキーラの表情が嬉しげに綻んでいる。


「ブリジット?」


 その光景に見惚れていたブリジットは、はっとした。

 うまくユーリの顔を見られないまま、ごにょごにょと口内で言い訳をする。


「わたくし、あのっ、ダンスの経験なんてぜんぜんでして……」


 本当は、ユーリが一緒にダンスパーティーに出席してくれると決まってから死ぬほど練習した。

 シエンナに男役を担当してもらい、何度もステップを踏み、ターンの場所を確かめた。それでも不安は拭えない。


「ユ、ユーリ様の足を踏んでしまうかもしれません」

「そんな些末なこと、気にしなくていい」


 目の前に跪いたユーリが、手を伸ばす。

 他の誰が見ても、笑みとは分からないだろうささやかな表情を浮かべて、彼は誘いの言葉を口にする。


「僕と踊っていただけますか?」

「……喜んで」


 夢のような幸せを噛み締めるように。

 ブリジットは、ユーリの手に自らのそれを重ねたのだった。



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