第114話.パレードの終わり

 


 はらはらと、火の粉が空を舞い散る。


 まるで砕かれた夕日が降ってくるような光景に、その場に居る誰もが目を奪われる。

 そんな中、唯一ブリジットだけは声を張り上げていた。


「ぴーちゃん!」

『…………っ!』


 空中を泳ぐフェニックスがぴくりと反応する。


 その瞬間。

 王宮の尖塔を目印にして――三方向から同時に放たれたのは、最大級の魔法だ。


 水と風、それに土。

 四大貴族の内の三家の精霊が放った魔法の光が、夕空を覆い尽くす勢いで伸びていく。


 フェニックスが大きく後ろに首を逸らす。

 その嘴から一気に放たれたのは、火の塊だ。

 最上級精霊イフリートの炎の腕にも勝るとも劣らない、凄まじい威力。


 とぐろを巻いたかのような炎が一直線に伸び、三種の魔法と尖塔の上でぶつかった。


「すごい……!」

「さすがです! ブリジット嬢……!」


 あまりの凄まじさにロゼが叫び、ニバルが喝采を上げている。


(でもそれは、競争ではない)


 見上げながら、ブリジットは思う。

 幼い頃、王都の広場からブリジットも母と共に見たことがあった。

 あのとき、ブリジットは恐怖を覚えた。嵐を起こし、海を裂き、大地を割る力……それらが王都を蹂躙し、ボロボロに壊してしまうのではないかと思ったからだ。


(家の優劣を決めるためのものでもない)


 だがあのときも、ブリジットの予想は覆った。


 今、目の前に広がる光景と同じだ。

 精霊同士の魔法は、お互いを傷つけることを望まない。

 だから全力で放たれた四つの魔法は空の上で溶け合い、瞬く間に散じて消えていくのだ。


 空に残るのは、魔法の残光だけ。


「わあ……」


 キーラが声を上げる。

 アーシャやロゼも、惚けたように空を見上げている。


 赤、青、緑、茶色の四色に色づいた光が、風に吹かれて地上に舞い散る。

 季節外れの雪のように色づいたそれを、ブリジットは手のひらで受け止める。


「きれい……」


 寄り添うように落ちてきたのは、赤と青色の光の粒だ。

 ブリジットは両手の中身を、傍らのユーリにも見えるように掲げた。


「ね、ユーリ様!」

「ああ」


 ふいにユーリが顔を近づけてくる。

 びっくりして固まっていると、彼の手がブリジットの横髪を掬った。


「ついてる」


 どうやら光の粒が、髪の毛についていたらしい。

 ユーリの口元は笑みの形を刻んでいる。ブリジットはもごもごと、ユーリにお礼を言った。


 ……そうしてパレードが終わると。

 ざわめき――そして、鼓膜を震わすような歓声があちこちから聞こえてくる。

 それはどんどん大きな波となり、メイデル家の庭に立つブリジットたちの足元すら揺らすようだった。


『ぴーっ!』


 そんな中、空から降ってきたのはぴーちゃんだ。


 ブリジットは両手を出して、落ちてきたぴーちゃんをキャッチする。

 小さなひよこは手のひらの上を三回ほどバウンドして、なんとか穏便に着地した。


「お帰りなさい。お疲れ様、ぴーちゃん」

『ぴー……!』


 力を解放したからか、ぴーちゃんは落ち着きなく全身の羽毛をブルブルさせている。

 だがそんな穏やかな時間を裂くように、デアーグの怒声が響き渡った。


「これで満足か? ブリジット」


 ブリジットは無言のまま、デアーグのほうを向いた。


 空を飛ぶフェニックスの姿は、多くの国民に見えていただろう。

 当主であるはずのデアーグに、既にイフリートは居ない。その事実を誰もが理解したはずだ。


「答えろ! 生まれた家を裏切り、親を裏切り、お前はこれで満足なのか?」

「ええ。満足です」


 デアーグが絶句する。


「お父様は、わたくしにそう答えてほしいのですか?」


 しかし、尋常でない怒りに震えていたデアーグの動きは、その言葉に硬直した。

 ブリジットは、淡々と問いを重ねる。


「どうして十一年前……わたくしを殺さなかったのです?」


 それこそ、チャンスならいくらでもあった。

 わざわざ別邸に移すまでもなかった。使用人を遠ざけ、誰の目にもつかない瞬間を狙いブリジットの息の根を止めるくらい、デアーグには造作もなかったはずだ。


 それなのに、今もブリジットは生きている。

 その事実に今さら期待しているわけではない。だが、何か理由があるように思えてならなかった。ブリジットの知らない理由が。


 デアーグは、しばらく黙ったままでいた。

 眉間に皺が寄り、何度か口が開閉を繰り返す。答えを迷っているというより、答えるべきなのか迷っているように。


 そんな風に自信のない父の姿を見るのは、生まれて初めてのことだった。

 ブリジットの前では、いつも父は威厳に満ちていた。人の上に立つだけの貫禄を持っていた。


 ぐしゃぐしゃと、デアーグが髪をかき乱す。


「………………生きて」

「え?」

「生きてさえいれば、別の道もあるかもしれない、と」


 本当に、小さな声だった。

 聞き間違いかと疑うほどか細いそれを、ブリジットが確かめようとしたそのとき。


 バタバタと数人の足音が接近してきた。

 石畳の道を踏み、やって来たのは制服を着た一団だった。


 ネイビーブルーの制服は魔法警備隊のものだ。

 エアリアルの『風の囁き』はしっかりと王都にまで届いていたのだろう。ニバルがほっとしたように視界の端で息を吐いている。


 先頭に立っていた隊長格らしい壮年の男が、デアーグの前で立ち止まり言い放った。


「デアーグ・メイデル伯爵ですね? 事情を確認させていただきたい。我々にご同行願えますか」

「…………分かった」


 激昂するかと思われたデアーグだったが、大人しく頷く。

 壮年の男の後ろについて、ゆっくりと歩き出す。


 待ち受ける黒い外観の馬車は、犯罪者の護送用に使われる物だ。

 伯爵家の人間にとっては、これ以上ない屈辱だろう。

 だがデアーグはこちらを振り返ることもなく、武骨な馬車へと乗り込んでいった。


「ブリジットお嬢様」


 振り返ると、伯爵家に仕える執事長がお辞儀をした。

 彼の細い目が、離れていくデアーグの背中を見ている。

 ついていきたいのは山々なのだろうが、それが許されないと知っているから、執事長はそれ以上は踏み出そうとしなかった。


「じいは、知ってるの?」


 多くを説明せずとも、執事長は質問の意図を理解していたらしい。


「ただの執事である私に、旦那様のお気持ちを代弁することはできません。ですからこれは、じじいの独り言と思って聞いていただけますか?」


 頷くと、執事長はゆっくりと語り出した。


「旦那様には、年の離れた兄君がおられました。……その方の契約精霊は、微精霊でした」

「え……?」


 息を呑む。


(微精霊……私と、同じ)


 ブリジットもつい数か月前まで、微精霊と契約したと言われ続けていた。

 似たような境遇に置かれていた人物が、まさかこんなに近くに居たとは。


「お二人のご両親は、血族の恥だと長男である兄君を罵り、本邸にある地下牢に入れていました。兄君と旦那様は、そんな両親に隠れて交流しておられました」

「…………」

「旦那様の五歳の誕生日でした。旦那様がイフリートと契約され、一族中が歓喜に沸きました。旦那様もきっと誇らしかったことでしょう。幼い頃、一度だけ話してくださったことがありました。自身が伯爵家を継ぐことになれば、兄君を解放できるはずだと。だから、最上級精霊と契約したいのだと」


 デアーグはきっと、兄のことが好きだったのだろう。

 大切な家族だった。そんな人を理不尽な状況から救い出したいと思うのは、当然だ。


(でも私は、叔父に会ったことがない)


 そんな人物が居ると、耳にしたこともなかった。


 胸を、不穏な予感だけが覆い尽くしていく。

 どくどくと脈打つ心臓を服の上から押さえつけながら、ブリジットは訊いた。


「そのあと……その方は、どうなったの?」


 執事長が首を横に振る。それが答えだった。


「その日の夜……牢の地面に、血文字で遺言が書かれていました。――、と」



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