第113話.羽ばたく翼

 


「どういうことだ。風魔法は、まだ使わせていないはず……」

「風魔法を使える人間なら、こちらにも居ますので」


 ユーリの言葉に応じるように、花壇の間からひょっこりと顔を出したのはニバルとキーラだ。

 身を隠す彼らの姿はブリジットにも見えていた。ニバルの背後にエアリアルが控えているのも。


 ――『風の囁き』。


 例えば、水精霊ウンディーネには『水鏡』という固有の能力があるように。

 風精霊同士は、風を通して遠方に音や声を届けることができる特技を持っている。


 そして現在は奇しくもパレードの真っ最中。

 神官と契約している精霊たちの中にも大量の風精霊が居る。

 エアリアルは彼らに向けて『風の囁き』を使った。今頃、少なくはない人間にデアーグの過去の行動が明らかになっているはずだ。


「こちらが二人だと思って油断しましたね。メイデル伯爵」


 涼しい顔で言ってのけるユーリを、デアーグが青筋を立てて睨みつける。


「よく言うぜ、ユーリ。こっちは魔力切れで死にそうだっつうのに……」


 言葉通り、ニバルは顔色が悪くぐったりしている。

 ブリジットは心配で声を上げた。


「だ、大丈夫!? ニバル級長!」

「はい、平気ですブリジット嬢!」


 すちゃっと立ち上がるニバルを、あきれ顔でキーラが見ている。


「ちなみに級長、本当に王都中にこの会話って届いてるんですか?」

「え? あんまり自信ねぇけど……た、たぶん?」


(なんか怪しいやり取りしてるわ……!)


 ユーリによる糾弾は続く。


「義子の精霊を自身の契約精霊として扱ったことは、伯爵家の威信には関わるでしょうが罪にはならないでしょう。しかし十一年前……精霊の力を使って五歳の娘を傷つけた件は、確実に罪に問われます」


 王都には魔法警備隊が常駐している。ジョセフが学院を破壊した際に連行したのも彼らだ。

 精霊や魔法の力により犯罪行為や暴行をした場合、魔法安全法に則り彼らによる尋問が実施される。神殿や学院の講義でも、広く教えられる法律である。


 オトレイアナ魔法学院をはじめとする教育機関には、生徒・教員に対する権利の一部が貸与されている。

 エアリアルを暴走させた際にニバルが【魔封じの首輪】を着けられたのも、魔法で炎を灯した松明でブリジットを攻撃したリサが停学処分になったのもそのためだ。


 ぴいいっ……、と甲高い笛の音が聞こえた。


 ブリジットは王宮の方角を見やる。パレードの終わりが近づいている合図だ。

『風の囁き』による動揺はあっただろうが、どうにかパレード自体は進行しているらしい。フィーリド王国建国時からの伝統行事なのだから中断できるはずもない。


 パレードの最後は、四大貴族の当主が契約精霊を召喚し、空に同時に魔法を打ち上げて締め括られる。


 ――広く燃え盛る炎と。

 ――轟と吹き荒ぶ風と。

 ――強く荒れ狂う水と。

 ――高く盛り上がる土と。


 ほんの数秒間、激突した四つの魔法だけが空を満たす。

 その瞬間は着実に迫っている。笛の鳴った六十秒後に、契約精霊は魔法を打つのだ。


「ロゼ! イフリートを――」

「義姉上」


 焦るブリジットの言葉を、ロゼが遮る。

 驚いて視線を向ければ、アーシャを支えたままロゼはにっこりと笑っていた。


「おれは、イフリートを出しません」


 ブリジットは絶句する。

 デアーグも、茫然自失としてロゼを見ている。


「な、なぜだ。ロゼ……」


 縋るような目だった。デアーグのそんな弱々しい顔を見るのは、ブリジットにとって初めてだった。

 それはロゼも同じだったはずだ。しかしロゼは痛みを堪えるような表情で、首を横に振るだけだった。


 ロゼはただ、ブリジットのことを見つめる。


 隠していたすべての事実が晒されたことへの怒り、諦めや失望。

 それに、伯爵家の一員として為す術なく事件に巻き込まれた悲嘆。


 そんなものは少しも、ロゼの顔には浮かんでいなかった。


「だから……どうか王都中に見せてください、義姉上の精霊を」


 目を見開くブリジットに、悪戯っぽく笑ってロゼは続ける。


「今まで義姉上を苦しめてきた人たちに、義姉上のすごさを見せつけてください!」


 場違いなほど脳天気に、その声は響き渡る。


 普段ならたぶん、そこで迷っていた。

 焦って、狼狽えて、まともに思考などできなかっただろう。


 だからブリジットは、ゆっくりと深呼吸をする。

 それから、しっかりとロゼを見つめて深く頷いた。


「……わたくし、お姉ちゃんだものね。弟のお願いは聞かなきゃ」

「義姉上……!」


 ロゼがぱぁっと顔を輝かせる。

 その足は小刻みに震えている。でも指摘したりはしない。ロゼはそんなことを望んでいないからだ。


 だから一度だけ、ブリジットは傍らのユーリを見つめる。

 すぐに彼は、ブリジットの瞳に宿る恐怖に気がついたのだろう。


「手、握るか?」


 そう言って、なんでもないように手を伸ばしてくれる。


 今までずっと、ユーリが支えてくれた。

 どんなに怖くて仕方なくても、ユーリが手を握ってくれたら、なんでもできる気がした。


 だからこそブリジットは、答えていた。

 ロゼが勇気を出してくれた。その気持ちに、ブリジットも応えなくてはならない。


「……今は大丈夫です。わたくし、お姉ちゃんですから」

「そうか」

「でも、ちゃんと隣で見ていてくださいね」


 間髪容れず、ユーリが答える。


「ずっと見てる」


 ブリジットは破顔する。

 その言葉に背中を押された気がした。


「ぴーちゃん!」


 ブリジットは明るくその名を呼んだ。


『ぴー!』


 制服のポケットから黄色い影が飛び出す。

 その姿は、木の葉が裏返るように瞬時に変わる。


「ぴーちゃん、空へ!」


 赤く燃える羽毛に全身を包まれた、美しき不死鳥。

 伝説の中にだけその名を残すフェニックスが、一直線に青空を羽ばたいていく。









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本日より第2巻の予約受付が開始しております。

ぜひぜひご予約いただけたら幸いです。(詳しくは近況ノートにて)

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