第111話.消えてしまったのは
風に乗って、大きな拍手や歓声が聞こえてくる。
次いで、空に向かって小さな炎の渦や水流が打ち上げられるのが遠目に見えた。
建国祭を彩る行事。
神殿の神官たちが契約精霊を連れて、街中を練り歩くパレード。その始まりだった。
(パレードの時間は、約三十分間……)
パレードの一団は王都の西門より入り、まっすぐに大通りを進んでいく。
そして彼らが王宮外門前に到達すると同時に、魔法の基礎系統に優れた四大貴族の当主は契約精霊を召喚する。
彼らの屋敷の敷地より、一斉に最上級魔法が放たれ――王宮真上の空を彩ってパレードの終幕を締め括るのが、フィーリド王国の伝統行事である。
遠くから聞こえるにぎやかな喧噪に、デアーグももちろん気がついたのだろう。
苦々しげに、掲げていた手を下ろした。
その頃には、庭を囲むように配置されていた精霊たちの姿は消え去っていた。
黒ずくめの男たちも、疲弊しきって蹲っている。立っているのも辛いのだろう。
(魔力切れ……)
あれほど魔法を派手に打ち合ったのだから、魔力が枯渇するのも当然だ。
むしろあれだけの人数を相手取りながら、涼しい顔をして最上級精霊二体を従えているユーリが異様なのである。
デアーグはこちらを煩わしげに一瞥したあと、室内に視線を戻した。
「パレードの準備だ。さっさと支度を進めろ」
待機していた初老の執事に声をかけている。
一礼した彼は、ブリジットにとっても馴染みのある人物だった。
(じい……)
「無論、風魔法の使い手も待機させておけ」
「…………っ!」
冷たく命じるデアーグの言葉を耳にした瞬間。
ブリジットはブルーの背中から飛び降りていた。
「ブリジット?」
「ユーリ様。わたくし、伯爵に言わないといけないことがあります」
驚いて声を上げるユーリに、そう答える。
するとユーリが、何気なく視線を花壇のほうにずらした。
その視線の先を確かめて――ブリジットは頷く。
「いいのか?」
「はい」
そう笑いかけてから、前に踏み出す。
ユーリが後ろで、見てくれていると分かる。そのおかげで、足は少しも震えなかった。
「デアーグ・メイデル伯爵」
赤の他人のように、そう呼べば。
執務室を出て行こうとしていたデアーグが立ち止まる。
だが、振り返ったデアーグにはまったく落ち着きがなかった。
ブリジットが思い通りにならない苛立ちから――ではないだろう。
デアーグの眼球は、こうして相対する間もきょろきょろと動いているからだ。
まるで、目を凝らして必死に何かを探しているように見える。
そのせいか、今のデアーグには恐怖も何も感じなかった。
ブリジットは顔にかかる髪を払う。
「焦ってらっしゃいますわね。捜しているのはご子息でしょうか?」
「……、何?」
「――いえ。イフリート、といったほうが正しいでしょうか」
デアーグの表情が凍りついた。
「……ロゼがお前に話したのか」
ブリジットは肩を竦める。
「まさか。ですがその反応を見るに、図星のようですわね」
「な――ッ!」
ようやく、引っかけられたことに思い当たったのだろう。
顔面に青筋を浮き立たせて、デアーグが怒りのままに口を開こうとした。
「義姉上……さすがです。全てお気づきだったんですね」
そのタイミングを見計らったように、屋敷から出てきたのはロゼだった。
デアーグが硝子片の飛び散る窓枠を叩く。怒りの矛先はロゼへと向く。
「ロゼ! お前、いったいどこで何をして――」
しかし、怒鳴りかけたデアーグの口の動きが止まる。
ロゼはひとりではなかったのだ。
アーシャ・メイデル。
ロゼは義理の母親であるアーシャの肩を支えるようにしながら、庭園へとゆっくりと出てきた。
別荘で分かれたときよりは、少し顔色がいいだろうか。
痩せこけたアーシャは、細い足を頼りなく動かしながらデアーグとブリジットの間に立つ。
「お母様……」
思わず呼べば、顔を上げたアーシャの唇が小さく動く。
「続きを、聞かせてくれる? ブリジット」
アーシャは怒りに燃えてはいなかった。
何もかも諦めているわけでもない。辿り着いた答えを静かに促すような声色に、ブリジットは目を見張る。
同時に、自分の中で覚悟が決まった。
再びデアーグを見据える。
迷いのない瞳に、デアーグは明らかに狼狽えている。
「先ほどから伯爵の契約精霊であるイフリートは、一向に姿を見せません。でも、それはおかしい。契約者の危機であれば、大抵の精霊は応えるはずですもの」
ジョセフが以前、神殿から持ち出した【魔切りの枝】を使ったわけではないだろう。
あれは強制的に人間と精霊の契約を解除する魔道具だ。デアーグは魔法を使っていた。つまり、イフリートとの契約自体は切れていないということだ。
ブリジットが何を言うつもりか。
察したデアーグの形相が、歪んでいく。
「……やめろ」
「おかしいのはイフリートだけではありません。きっと、伯爵夫人の契約精霊であるサラマンダーも」
「黙れ!」
「黙りません!」
考えられるのはひとつだけだ。
「お二方は、
その言葉を。
アーシャは、唇を引き結んで。
デアーグは、呆然と瞳を見開いて聞いていた。
「契約精霊が居る限り、時間が経てば契約者の魔力は補充されますわ。しかし同時に、契約者は強制的に精霊を召喚することはできない」
オトレイアナ魔法学院では、一年生の春に学ぶ基礎的なこと。
精霊界で暮らす精霊を、無理やり引きずり出すことはできないのだ。彼らの意思か、あるいは契約者に応える意思がない限り、契約精霊が姿を見せることはない。
「普段の生活では、誰かに看破される危険は少なかったでしょう。でも四大貴族にとって、精霊を伴って行うことが必須とされる行事があります。……そう、一年に一度、建国祭で開かれるパレードです」
「…………」
「四大貴族では最上級精霊か、場合によってはそれに継ぐ上級精霊を有する人間にしか襲爵が認められません。パレードは、国民に四大貴族の存在の大きさを知らしめる絶好の機会であり、絶対の義務です」
ブリジットは言葉を続ける。
「メイデル伯爵。イフリートに愛想を尽かされたあなたは、それでも“炎の一族”の名を守るために、当主の座を守るために、王家や国民を欺くことにした。――
ブリジットは、なぜ炎の気が強い伯爵邸に、
だが、分かってみれば単純だ。
伯爵家で、現在イフリートを有しているのはロゼだけだったのだ。
学院生活や領主としての勉強のため、ロゼは家を空けることが多かったのだろう。そのため、アルプがつけ込む隙が生まれた。
ロゼがパレードへの参加を断ったのも。
その時間、ロゼのイフリートはデアーグのイフリートの振りをして、貸し出されることが決定していたからだった。
「違いますか? 伯爵」
最後にブリジットはそう問いかけるが、デアーグは何も答えない。
「……ブリジットの言う通りよ」
やがて、長い長い沈黙を破って。
そう呟いたのは、アーシャだった。
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