第110話.パレードの始まり

 


 ブリジットは、時間が止まったように錯覚した。

 それほどの衝撃。それほどの驚愕で、まったく動けなくなっていた。


 しかしユーリたちの動きは迅速だった。


 つかつかと歩み寄ってきたユーリの手が、ブリジットを優しく助け起こす。

 呆然としながら、ブリジットはユーリを見つめた。


 そこでようやく、デアーグも我に返ったのだろう。


「待て!」


 掴みかかるように伸びてきた手を、ブルーが歯をむき出しにして威嚇する。

 その隙に素早くフェンリルの上にブリジットは乗せられた。


「ブルー!」

『はぁい!』


 答えたブルーが、二人を背に乗せて素早く窓枠から飛び降りる。

 メイデル家の庭に降り立つと、屋敷の中からは続々と黒ずくめの男たちが現れた。

 そして逃亡を見越していたのか、屋敷の周囲には何体もの精霊が配置されている。彼らの契約精霊なのだろう。


「……強行突破してもいいが、ついてこられるとまずいな」


 ユーリが危惧しているのは、民間人に危害が及ぶ可能性だった。


 デアーグは伯爵家の当主だ。記念すべき建国祭の舞台に、泥を塗るような真似はしないだろうが――それでも、フェニックスを手に入れるために彼がどこまでしでかすか分からない。

 既に得体の知れない輩を屋敷に招き入れているのだから、用心すべきだった。


『ますたー! どうする?』

「とりあえず躱してくれ。僕が迎撃する」

『りょうかーい!』


 飛んできた風の斬撃を、ブルーがジャンプして避ける。


 それとほぼ同時、ユーリが片方の手を前方に伸ばした。

 無詠唱で放たれたのは下級魔法『アクア』。そして中級魔法の『スプラッシュ』だ。


(つ、強いっ……!)


 ブリジットはひたすら圧倒される。

 ユーリの魔法を見るのは二度目だが、それぞれ上級魔法かと見違うほどの威力だ。


 凄まじい勢いで放射された水球と水の奔流が、精霊たちに襲いかかる。

 しかし相手も簡単にはやられなかった。土の壁で攻撃をどうにか防いでいる。


 それを横目に、ブルーが続けざまにジャンプする。


「ひゃっ」


 大きすぎる振動が全身に伝わり、ブリジットは声を上げた。

 すかさず庇うように、ユーリがブリジットを抱く腕に力を込める。


 ……というのも現在、ブリジットはユーリに抱きかけられるように、後ろからすっぽりと包まれているのである。

 とにかく落ち着かない体勢だ。しかしあわあわしている場合ではない。


 まずユーリに確認したいことがあった。


「ユーリ様、どうやってここを……」

「キーラとリサに聞いた。お前が怪しげな男たちに連れ去られたと」


 だから助けに来てくれたのだ。

 ブリジットはちらりと後ろを向く。お礼を言おうとしたが、ユーリに遮られた。


「僕は僕の意思で、勝手にやった」


 どこかいつもより硬質な、ユーリの表情。

 それが強い緊張から来るものだとは気がつかないまま、ブリジットは息を吐く。


 拳をぎゅっと握る。

 本当に気になっていることを、訊こうと決心していた。


「それでその……こ、こ、こん、婚約者って、どういうことですの?」

「……は?」


 ユーリはどこか唖然としていた。

 お互いに間の抜けた顔で見つめ合う。明らかにユーリは戸惑っている。


「……思い出したんじゃなかったのか」


 もしかすると独り言だったのだろうか。

 しかし無我夢中でブリジットは答えてしまう。


「わっ、わたくしが思い出したのは、契約の儀の日にユーリ様が応接間に居たような気がするなって……」

「………………」


 ユーリは肩を落とした。

 そして、それはそれは深い溜め息をこぼした。


 ブリジットはといえばハラハラしてしまう。何か悪いことを言ってしまったのだろうか。


「あっ、いえっ、もちろん分かっていますわ。この場を凌ぐための方便なんですわよね! わたくしの婚約者だかを遠ざけるための、嘘……」

「婚約者?」


 ユーリの瞳に剣呑な光が宿る。

 だがそれどころではないと思ったのか、追及はしてこなかった。


「いや、今はいい。それより……大丈夫か」

「え?」

「怪我をしている」


 指摘され、ブリジットは思い出す。


 そういえば頬を怪我していたのだ。

 改めて触れてみると、まだ血は止まっていないらしく指にべったりと血液がつく。


 今の自分は、きっと見られない有様になっているだろう。

 それでもユーリは、ただ当たり前のように心配してくれている。


「へっちゃらですわよ、こんなの」


 ブリジットはからりと笑ってみせる。

 本心からの言葉だった。


「ユーリ様が来てくれたから、平気」


 ユーリが苦しげに眉を寄せる。

 何かを言いかけたのか、口を開く。


『ぴー!』


 そこでぴーちゃんが、ブリジットの制服の胸ポケットからひょっこりと顔を出した。

 怖がりなフェニックスは何度も瞬きしつつ、じぃっとブリジットを見ている。どうやら怪我を治癒してくれるつもりらしい。


 そんな契約精霊に、ブリジットは微笑みかけたのだが。


「駄目よぴーちゃん。今は出ないで」

『ぴっ……!?』


 しかし首を横に振られ、愕然とするぴーちゃん。

「なんで!?」というように全身をぶるぶるさせている。


「だってお父様は――あの人は、ぴーちゃんを狙って……」


 言いかけた直後、ブリジットは息を呑む。

 窓硝子がきれいに割られた窓。そこから、ひとりの男が手を突き出している。


「ユーリ様!」

「……っ」


 デアーグの手元で次々と火球が生み出され、こちらを狙って飛んでくる。

 ユーリの反応もまた迅速だった。傍らに、即座にもう一体の精霊を喚ぶ。


「ウンディーネ!」

『はいはぁい、お任せあれ。イフリートが相手なんて、いやになっちゃうけど……』


 ちょっぴり文句を言いながらも、宙に浮かんだウンディーネが次々と水球を生み出していく。

 ほぼ同格の火球と水球がいくつもぶつかり、蒸気をまき散らして四散する。

 そのたび生み出される熱風が、ブリジットの頬を煽った。それでも頭上を飛び交う攻撃は止まない。


 ユーリに庇われながら、ブリジットは何かが引っかかるのを感じていた。


(――イフリート?)


 ウンディーネは、その精霊の名前を口にした。

 それ自体は何もおかしくはない。“炎の一族”と呼ばれるメイデル伯爵家の現当主であるデアーグの契約精霊は、イフリートだからだ。


 ブルーの胴体にしがみつきながら、よく観察する。


 ウンディーネと攻撃の応酬を続けるデアーグ。

 その額には隠しきれない脂汗が浮かんでいる。次々と魔法を使い、大量に魔力を消耗している。

 それなのに……デアーグの傍に、パートナーたる精霊の姿はない。


(それは、なぜ?……)


 めまぐるしく変わる状況に流されてはいけない。

 必死に、脳みそを回転させる。考える。


(私は何か、大切なことを見落としている気がする)


 デアーグとロゼの契約精霊はイフリートだ。

 そして、アーシャにもサラマンダーがついている。


 だからこそ、メイデル家の屋敷は炎の気が強い。強すぎると言い換えてもいいくらいだ。

 そんな屋敷に、どうして悪妖精アンシーリーコートのアルプが簡単に這入り込めたのか不思議に思っていた。しかもロゼの話によれば、アーシャは十年近くアルプの魔力に囚われ続けていたのだ。


(それに……)


 ブリジットとユーリはともかく、なぜロゼはパレードへの参加を断ったのだろう。

 参加すれば、メイデル家にとってこの上ない名誉となったはずだ。

 もしもデアーグが知れば、何がなんでもロゼとイフリートを参加させたのではないか。


 それなのに、ロゼはその場で大司教の誘いをあっさりと断っていた。

 いつも通り、遠慮がちな態度だった。だがそれは、最初から答えが決まっていたからだ。


 ロゼにとって、考える余地もなく断るべき提案だったから。



(――――まさか)



 ブリジットがひとつの結論に辿り着くと同時。


 王都の端の方角から花火が上がり、次いで喝采が上がった。

 それは、建国祭を彩るパレードの始まりを意味していた。



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