第107話.仁義なき取り合い

 


「この人混みで義姉上あねうえに会えるなんて、嬉しいです!」


 息せき切って駆け寄ってきたロゼ。

 彼の素直すぎる好意の表れた言葉に、ブリジットも破顔する。


「ええ、本当ね。ロゼ君はお友達と回っていたの?」

「はい、クラスの友達と」


 ロゼの後ろには三人の男子が居た。緑ネクタイをしているので一年生だろう。

 夜会にも八人の女子から誘われた、とロゼは言っていた。きっと祭りにも誘われただろうに、全て断ったのだろうか。


 そんなことを考えていたブリジットは、どこかから異様な気配を感じて顔を上げる。

 何かと思えば屋台や家屋の影に隠れて、何人もの女生徒たちがこちらを見ていた。

 彼女たちの視線が集中する先は、ブリジットの目の前で頬を紅潮させているロゼだ。


(サ、サナさんも居る……)


 共に神殿を訪問したサナも、ハンカチを噛み締めて恨みがましそうにこちらを睨んでいる。

 人数はちょうど八人だ。ブリジットはロゼのことが心配になってきた。いつか女性に刺されないといいのだが……。


 軽い挨拶をしたところで、ロゼが躊躇いがちに言う。


「義姉上、良かったらおれと……」

「おい」


 地を這うような声音でユーリが遮る。

 ロゼが眉間に皺を寄せた。その視線の先を見て、はっとブリジットは気がついた。


(ユーリ様と手! 握ったままだった!)


 弟や後輩たちの前で、これはあまりにも恥ずかしすぎる。

 慌てて解こうとするが、絡めたユーリの手はびくともしない。

 それどころか、ブリジットを見下ろしてくる瞳は冷たい。なぜか責められたような気持ちになり、ブリジットは赤い顔を逸らしてしまった。


「まだ何も言ってないじゃないですか?」

「自分と祭りを回ってほしい、とでも言うつもりだったんだろう」

「そうですけど」


 悪びれないロゼに、ユーリは舌打ちをした。

 しゅん、と肩を落とすロゼ。


「オーレアリス先輩ばっかりズルいです。おれだって義姉上ともっと仲良くなりたい……」

「お前、かわいこぶれば姉を釣れると思っているだろう」


 うっかり釣られそうになっていたブリジットの手を、ユーリが強く握り締めて引き留める。


「いえ、そんなことは思ってませんよ。先輩の邪魔するつもりはありませんから」

「どう考えても邪魔しに来ただろう……」


 そのあとは、何やら二人でコソコソと言い合っている。

 その様子を観察しながら、ブリジットは小首を傾げた。


「ユーリ様とロゼ君って、仲いいですわよね」

「ブリジット、視力が落ちたのか?」


(失礼な!)


 しかし実際に、まだ距離のあるブリジットとロゼに比べ、ユーリとロゼは打ち解けているような感じがする。

 そうブリジットが感じたときだった。ロゼがふいに、意を決したように話しかけてきた。


「義姉上。良かったら、おれのこと……これからは呼び捨てで呼んでくれませんか?」

「えっ……」

「まだ少し、義姉上と距離を感じる気がして。……おれ、ちょっと寂しくて」


 ブリジットより少し身長の高いロゼは、前屈みになっているからか上目遣いをしているように見えて。

 そうしてブリジットの目に入ったのは、雨に打たれる子犬のような健気な表情で。


(か――可愛い!)


 これにきゅんとせずに居られようか。

 衝動に突き動かされ、ブリジットはおずおずと呼んでみた。


「じゃ、じゃあ、ロゼ?」

「……はい! 義姉上!」


 ロゼはぱぁっと目を輝かせて、弾けんばかりの明るい笑顔を見せた。

 そのとたん、こちらを睨んでいた女性陣が何人か「うっ」と呻きながら倒れていた。

 流れ弾を喰らったらしい。気持ちはよく分かるブリジットである。


 周囲が何事かとざわめいている間に、ロゼがブリジットにこっそりと耳打ちしてきた。


「義姉上、母上は元気にしています。おれが見ているから大丈夫です」

「! ありがとう、ロゼ」

「では、また!」


 にこにこしながら、ロゼは友達と共に去って行った。

 そんなロゼを、ブリジットも手を振って見送ったのだが……そこでユーリが小さく呟いた。


「これが目的だったのか」

「え?」

「時間を無駄にした。さっさと行くぞ」

「は、はい!」


 強引に手を引かれて再び歩き出す。

 そうしながら、ブリジットは思い出していた。


 クライド・オーレアリス。ユーリの三番目の兄だと名乗った人物のことだ。

 ユーリは四人兄弟の末っ子だ。前妻は早くに亡くなり、彼ひとりが後妻の子どもだというのはブリジットも知っている。

 逆に言えば、それ以上のことはほとんど知らない。


「ユーリ様は、ご兄弟とは仲がいいんですの?」

「いいや。まったく」


 ユーリはこちらを振り返らずに答えた。

 どこか、いつも以上に素っ気なく続ける。


「一番上の兄はともかく、他からは嫌われているな」

「そう……なんですの」


 それ以上、ユーリは話す気はないようだった。

 もっとユーリのことを知りたいと思う。それでも、踏み込むことは躊躇われた。


(ユーリ様は、私の話をたくさん聞いてくれたのに)


 ユーリが聞いてくれたからこそ、何度も胸が軽くなる思いがした。

 彼の存在にブリジットは救われてきた。それなのにブリジットは、ユーリの助けにはなっていない。


 いつのまにか足を止めてしまっていたらしい。

 俯くブリジットを振り返ったユーリが、小さな溜め息を吐いた。

 呆れられてしまったのかもしれない。そう思うと怖くなるが、顔が上げられない。


「僕のことなどどうでもいいだろう。暗い顔をする必要はない」

「どうでも良くなんて、ありませんもの」


 大事なことだ。他でもない、ユーリのことなのだから。


「僕にとってはどうでもいいことだ」

「そんな言い方……」

「お前のほうがよっぽど重要だから」

「そん…………」


 思わず口の動きを止めるブリジット。


 ユーリの顔を見上げる。ほんのりと頬が色づいている、気がする。

 気のせいで済ませるには、その耳元もうっすらと赤みがかっていて。


「今日の祭り、楽しみにしていたんだろう?」

「えあっ、は、――はい! すっごく!」


 ブリジットはしきりに首を動かして、激しく頷く。

 連動して、握ったままの手に強く力を込めてしまう。その子どものような仕草に、ユーリが小さく笑った。


 そんな些細なことが。

 ユーリが楽しそうにしていることが、嬉しくて仕方がなくて――思わず、ブリジットも笑ってしまったのだった。



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