第105話.秘やかな贈り物

 


「シエンナっ、お帰りなさ~い!」

「…………っ!」


 玄関のドアを開けると、飛びつくような勢いで抱きつかれた。


 自分より長身のブリジットを、シエンナはしっかりと抱き留める。

 貴族令嬢としてはしたない――などと、注意したりはしない。

 ブリジットがこうして幼げな振る舞いを見せるのは、別邸の中だけだと知っているからだ。


「ただいま帰りました、お嬢様」


 目元を和ませて、ブリジットの柔らかな髪に頬擦りをする。

 ブリジットの香りを胸いっぱいに吸い込むと、慣れない環境での生活や旅の疲れが一瞬にして吹き飛んだ気がした。


「お手紙にも書かせていただきましたが、奥様は本邸のロゼ様の元に送り届けて参りました。万全とは言い難いですが、体調も回復しています」

「本当にありがとう、シエンナ。大変な役目を任せてごめんなさいね」


 とんでもありません、とシエンナは首を横に振る。


 この五日間、メイデル家の領地にてアーシャの身の回りの世話をシエンナは担当していた。

 アーシャは心身共に弱っていた。そんな彼女に、半日間の馬車での移動は負担になるためだ。


 ユーリの従者であるクリフォードも共に領地に残り、食材の調達や料理の準備を手伝ったり、話し相手になってくれたりとあらゆる面で気遣ってくれた。

 そして昨日届いたロゼからの手紙に、メイデル伯爵からの伝言が載せられており――それを確認したアーシャ本人も望んだために、シエンナとクリフォードは彼女を馬車に乗せて王都まで戻ってきたのだった。


(本当なら、すぐにでもお嬢様とお話しいただきたかったのに……メイデル伯爵は、早急に本邸に戻るように奥様に命じられた)


 悪妖精アンシーリーコートの魔力に捕らえられたアーシャは、ブリジットとの思い出の場所を目指して本邸を抜け出した。

 その理由は、五日間を共にしたシエンナにも分からない。アーシャ自身も記憶の一部が混濁している様子で、多くを語りはしなかった。


 だが、アーシャはその真意をブリジットに伝えるべきだ。

 シエンナはそう感じていた。傷ついた幼いブリジットを見捨てた母親だとしても、だからこそ、アーシャは最低限の責任を果たすべきだと思ったのだ。


(そうでなければ、お嬢様が報われない)


 アーシャを捜し出すためだけに、ブリジットは家族との思い出が色濃く残る本邸や、領地の森を訪れたのだ。

 しかしデアーグの言いつけに逆らうことはできず、アーシャは既に本邸に戻ってしまった。それがどうしても、シエンナには心残りだった。

 ブリジットが常より明るく振る舞っているのも、アーシャのことが気に掛かっているからだろう。


 シエンナはゆっくりと、ブリジットから身体を離した。


「お嬢様は、お変わりありませんでしたか?」


 そんな主人の思いが分かっているからこそ、アーシャのことには触れず問う。

 というのも、それもシエンナには重要なことだ。一日おきに手紙の遣り取りはしていたが、ブリジットの専属侍女としては、五日間も傍に居られない生活は耐えがたいものだった。

 無論、信頼されているからこそ、主人の母の世話を任されたのだと理解はしていても。


「大丈夫よ、みんなが助けてくれたから」


 と言ってみせたブリジットだが、それから小さく苦笑する。


「……って言いたいところだけど、やっぱりシエンナが居ないと心細いわ」

「ブリジットお嬢様……」


 その言葉にジーンと感激し、身体を震わせるシエンナ。

 するとブリジットが、それでね、と急にモジモジし始めた。


「実はね……マフラー、もうちょっとで編み上がりそうなんだけど、伏せ止めの仕方がよく分からなくて。帰ってきて早々で悪いんだけど、教えてもらってもいいかしら?」


(……これが本題だったのでは……)


 とか思いつつ、頼られるのは嬉しくて「お任せください」と胸を張るシエンナだ。

 しかしそこでふと、重要なことを思い出した。


「そうでした。クリフォード様を外にお待たせしていたんでした」

「そうなの? それならわたくしもご挨拶とお礼をしないと」


 頷こうとして、シエンナは寸前で首を振る。


「お嬢様、横髪が少し跳ねています」

「えっ。本当?」


 素直なブリジットがあわあわしている間に、シエンナは使用人部屋へと向かう。

 私室から素早く紙袋を持ってくると、そのまま裏口から外へと出る。


 果たしてクリフォードは、裏門のすぐ傍に馬車を止めて待っていた。

 アーシャを下ろすときは正門前で停車していたのだが、わざわざ裏門まで移動していたらしい。別邸付きのシエンナに正門が使いにくいことを、彼は既に理解しているのだ。


 クリフォードの従者としての心配りはいつも行き届いていて、シエンナとしてもときどき感心させられる。


「ああ、シエンナ嬢」

「お待たせしてすみません、クリフォード様」


 ――そう、クリフォードを引き留めていたのはシエンナだ。

 わざわざ敬愛するブリジットを別邸内に置いてきたのは、その理由にも直接関わっている。


 シエンナは手にしていた紙袋を、クリフォードへと手渡した。

 飾り気のないそれを受け取ったクリフォードは、不思議そうに目をしばたたかせている。


「? これは?」

「個人的な物です」


 我ながら要領を得ない説明だ、と思うシエンナ。

 しかしクリフォードはいやな顔ひとつせず、むしろ楽しげに首を傾げてみせた。


「開けてみても?」

「ええ、どうぞ」


 許可を得たクリフォードが、紙袋を開いていく。

 その様子をシエンナは見守った。異性に贈り物をするなんて初めてのことで、どこか浮き足立つような気持ちを覚えたが、それを押さえつけて黙ったままでいる。


 袋の中身を丁寧に取り出したクリフォードが、物珍しげにそれを見つめていた。


「これは、魔石入れ……でしょうか?」


 中から現れたのは、クリフォードの言うとおり手作りの魔石入れだ。

 冷え込む日に炎の魔石を中に入れて、カイロ代わりにできる。

 水色の毛糸で編んだそれは、ポケットを大きく膨らませることのないようサイズも細かく調節したので、自分でも満足のいく出来映えになった。


 ブリジットと王都で買い物をした折に、シエンナはクリフォードの髪色の毛糸を購入していた。

 ボタンも、それに合わせて上品な青色の物を選んだ。

 贈り物に魔石入れを選んだのは、作り方がそう難しくないのと、単純に色気がないと思ったからだ。


(平民の間では建国祭の夜に、意中の相手や恋人に手作りの防寒具を贈るのが流行っているから)


 今週末に迫る建国祭を避けたのも、そういうわけだ。


「……クリフォード様には、主も私もお世話になっていますので」


 そう呟いたシエンナだが、クリフォードがなんの反応も示さず固まっているので、次第に不安になってきた。


「ご迷惑、でしたか?」


 もしかして、既にクリフォードには交際相手が居るのかもしれない。

 公爵家で立派に従者を務め、見目も良く、性格も朗らかな好青年なのだ。むしろ、相手が居ないほうが不自然だ。

 だとしたらシエンナからの贈り物はいい迷惑だろう。シエンナに、誤解を生む恐れもある。


「いいえ、とんでもない。すみません、こういった素敵な物をいただいたのは初めてで舞い上がってしまって」


 とてもそんな風には見えなかったが、クリフォードの言葉に嘘は感じられなかった。


「ありがとう。すごく嬉しいです、大事にしますね」


 柔らかくクリフォードは笑いかけてくれた。

 そんな風に笑ったことのないシエンナは、じぃっとその笑顔に見入ってしまった。


「また今度ちゃんとお礼をしますから。それでは、俺はこれで」


 別れの挨拶もまともに返せなかったが、クリフォードは最後まで笑みを浮かべたまま去って行った。

 馬車を見送ったあと、シエンナが別邸へと戻ると、ブリジットは手鏡を手に右往左往していた。


「あっ、シエンナ。どう? 髪の毛、直ったかしら?」

「お嬢様、すみません。クリフォード様は既にお帰りになりました」


 シエンナは正直に謝る。ブリジットは少し残念そうにしていたが、今度会ったときにお礼を伝えようと切り替えたようだ。

 そんなブリジットが、シエンナを見るなり「あら」と目を丸くする。


「シエンナ、何か楽しいことでもあったの?」

「……いいえ、何も」


 むにむにむに、と頬を引っ張って、シエンナはどうやら緩んでいるらしい表情を調整する。


「それではお嬢様。マフラーの仕上げに取り掛かりましょう」


 告げれば、ブリジットが勇ましげに頷いた。


 彼女に続いて階段を上りながら、こっそりとシエンナは祈る。

 どうかブリジットのとびっきりの贈り物も、その人に喜んでもらえますように、と。



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