第102話.進みたい道

 


 ブリジットはとっさに、両手で顔を覆う。

 そうして、思った。自分で認識していた以上に、疲れていたのかもしれないと。


 十一年ぶりに本邸に入り、母の行方を追って南の領地に向かった。

 そこで母を取り戻すため、アルプ相手に交渉し、翌日にはこうして王都に帰ってきたのだ。


 カーシンは困った顔をして、腕組みをする。

 こういうときシエンナならうまくブリジットを宥めてくれるが、彼女はここには居ない。


「この前、旦那様が言ってきた件か」

「…………」


 ブリジットは鼻を啜ると同時、こくりと頷いた。

 そのままくずおれて、泣き出したりはしない。涙をこぼすのはどうにか我慢する。

 カーシンを困らせているのは分かっている。これ以上、情けない姿は見せられない。


「何が正解か、分からないのよ。なんにも分からないの」


 魔法学院を卒業したら、別邸を追い出されるだろうことは目に見えていた。

 だからこそ、精霊博士となり身を立てようと思った。そのために知識を得て、勉強に励んで、必要な努力は続けてきたつもりだ。


 しかし、目を背けてきたことがあった。


(私が居なくなったら……使用人のみんなはどうなるの?)


 精霊博士は国家資格ではあるが、それこそ魔法めいた利便性のある職ではない。

 無事、博士号を取得できたとしても、駆け出しのブリジットに彼ら全員を雇えるほどの収入がすぐに得られるとは思えない。最初は自分ひとりでやっていくのがきっと限界だ。


 そしてデアーグは、行き場を失った彼らを再び本邸で雇うつもりはないだろう。


「……お嬢、ちょっとこっち来て」


 荷物の入った鞄を奪ったカーシンが、ブリジットの手を引っ張って歩き出す。

 階段を上ってどこに行くのかと思いきや、彼の向かう先にあったのは二階のブリジットの自室だった。


 カーシンは荷物を絨毯の上に放ると、窓際へと向かった。


「これ見て、お嬢」


 指した先にあるのは、窓辺に置かれた小皿だ。

 そこにはいつも、ブリジットは眠る前にビスケットとミルクを置いている。

 小妖精が好むため、友好的な態度を示すためにこうして気軽な贈り物をするのだ。


 小皿の中身はいつも通り、すっかり空になっている。

 それがどうしたのか、とブリジットが見つめると、手を離したカーシンは寝台横の花台に向かっていて。


 次に、そこに置かれた花器を指し示した。

 見れば、その透明な硝子の器の中には、たくさんの花が活けてある。


「これ……」

「お嬢が何も言わずに留守にしたから、心配してた妖精が大勢居たんだろ。俺様は魔力が弱いから、ちっこい妖精たちはよく見えねぇけど」


 コスモスやダリアやセージなど、とりどりの秋の花や植物が活けられている。

 茎の長さを揃えてもいないので、バランスは悪い。根っこに土がついたままの植物もある。

 窓辺に置かれていたそれらの贈り物を、きっとカーシンが慣れない手つきで花器に挿していったのだろう。


 でもその光景は温かくて、ブリジットは目が離せなかった。


「お嬢はさ、昔っから精霊やら妖精やらが大好きだよな」

「……ええ、大好きよ」

「たまに俺様の微精霊のことまで気にして、調子はどうかって訊いてくる。そんな変わり者の貴族、他には居ないだろうけど」


(変わり者は余計よ)


 ブリジットがぎろりと睨みつけると、カーシンが底抜けに明るく笑う。


「んで、俺様たちはそういう主人のことが大好きなんだよなぁ」


 ぶっきらぼうな手が、わしゃわしゃとブリジットの髪の毛を掻き乱す。

 ここにシエンナが居たら、怒ってカーシンの手を引き剥がしていただろうが、専属侍女はまだ南方の領地に居たから、誰もその手を止める者は居なかった。


「だからさ。お嬢の出す答えがどうであれ、俺様はお嬢についてくよ」

「え?」

「俺様だけじゃなくて、おっかないシエンナとか、ネイサン料理長とか、ハンスのじーちゃんとか、マイクのおっちゃんとか……他の使用人たちもそうだろうけど。俺様たちの主人はお嬢だけだからな」

「…………!」


 カーシンの言葉は、まっすぐ胸に響いてくる。

 ブリジットは微笑んだ。目元を拭って、自然と笑えていた。


「ありがとう、カーシン」


 彼のおかげで、心の中の迷いが少しだけ晴れたような気がした。


(私が進むべき道、じゃなくて……進みたい道を、選ぶ)


 気難しく考える意味はない。

 だって行き場所がないと、逃げるために選んだわけではないのだ。

 最初からそれは、ブリジットの大切な夢だった。子どもの頃から胸にあったのだから。


 カーシンと話している間に、それを思い出せた気がした。


 ブリジットは、照れ隠しついでに提案をしてみる。

 両手を合わせて明るい笑みを浮かべると。


「そうだ! カーシンもわたくしとハグしましょう!」

「は? ハグ? なんだよ急に」


 というのも今朝、ロゼをぎゅっとして気がついたのだ。

 カーシンやロゼとの触れ合いはブリジットに安らぎをくれる。笑顔が溢れてしまうくらい、幸せな気持ちになれるのだ。


(相手がユーリ様だと、ドキドキしすぎていつも心臓がパンクしそうになるけど……)


 だから、名案だと思って言ってみたのだが。

 カーシンは手の動きを止めてしまうと、何やら物言いたげに目を細めていた。


「……あのさー、お嬢。もうちょっと警戒しろよ。俺様も男なんだけど」

「何言ってるのよ。カーシンは同い年だけど、わたくしの兄弟みたいなものじゃない?」


(まるで、ユーリ様みたいなこと言うんだから)


 くすくすと笑うブリジットを、カーシンが恨みがましそうに眺める。

 そこにほんのりと幼い熱が宿っていることに、ブリジットは気がつかないまま。


 カーシンが溜め息のあと、ぽつりと言った。


「最近さ、たまーにお嬢のこと泣かせたくなるんだよな」

「……えぇ!?」


 突然物騒なことを言い出したカーシンに、ブリジットは驚いた。

 慌てふためいて距離を取ると、カーシンは肩を竦めて。



「――ジョーダンジョーダン。嫌われるのはいやだからな」



 ふっと笑ったカーシンが、ひらひらと手を振って背を向ける。

 厨房に戻るらしい。からかわれたようだと、その頃になってようやくブリジットは気がついたが。


 文句をつけようにも、既にカーシンの背中はそこにないのだった。










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本日、「悪役令嬢と悪役令息が、出逢って恋に落ちたなら」発売日でございます~!

本当に、本当にありがとうございます。無事発売日を迎えられたこと、とても嬉しく思います。

どうか皆様のお手に取っていただけますように。よろしくお願い致します!


(#アクアク 感想応援ツイートキャンペーンがスタートしますので、近況ノートも更新します~!)

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