第101話.進むべき道

 


 結局、帰りの馬車の御者はユーリが務めてくれることになった。

 らしくないことを口にして、ユーリにも少し照れくさい気持ちがあったのかもしれない。


(も、もちろん冗談だと分かってはいるけど)


 ブリジットとしても今、ユーリと二人きりになれば気まずいどころではなかったと思う。

 だから正直なところ、ちょっと安心した。


 帰路の最中、向かい合って席に座ったロゼはといえば嬉しそうに、笑顔でたくさん話しかけてくれた。

 今まで話せなかった分を取り戻すように、いろいろな話題を振ってくれる。ブリジットもロゼのことをたくさん訊いた。


 その中で判明したのが、ロゼがかなり女子生徒にもてるらしいということだ。


(八人から建国祭の日のパーティに誘われたって、すごいわ……)


 その中には上級生――ブリジットと同学年の生徒――も居るというのだから、すさまじい人気だ。

 だが、ロゼは家柄や容姿が優れているだけでなく、優しい心根の少年だというのは、今やブリジットにもよく分かっていて。


(その八人とも見る目があるわ。褒めてあげたいわね)


 などと姉っぽく、誇らしく思ったりもするブリジットである。


 そして果たしてロゼは、いったいその中の誰とパーティに行くのだろうか?

 好奇心で訊いてみようと思ったのだが、その前にロゼが据わった目をして、


「あ、っ義姉上は、どなたかとご予定はありますか……!?」


 などと言い出したので、ブリジットはそれどころではなくなった。


 天蓋つきの馬車はしっかりした造りだ。この会話が御者台のユーリに聞こえることはないだろう。

 それでも、何かの間違いで聞こえてしまうかもと思うと、意識せずにはいられないのだ。


「ええ。その、ユーリ様と行く予定なの」


 小石の転がるあぜ道を通る際、ブリジットはなんでもなさそうな顔を取り繕って返しておいた。

 すると返事を聞いたロゼの顔色が、一気に暗くなった。


「そ……そう、なんですね……」


(あ、あら? 落ち込んじゃった?)


 ロゼがなぜだかしょんぼりしてしまったので、そのあとはあまり姉弟の会話は弾まなかったのだった。




 ◇◇◇




「ユーリ様、ありがとうございました。ずっと運転を任せきりですみません」

「別にいい。気にするな」


 メイデル家の前で下ろしてもらったブリジットは、御者台に座るユーリに頭を下げた。

 その隣ではロゼも同じようにしている。しかしユーリは言葉通り、特に気に留めていないようだった。


 もう一度お礼を言うと、ユーリはしばらく黙っていたのだが。


「今朝、そっちのピンク頭には偉そうなことを言ったが――ブリジット。僕に、話したいことがあるんだろう」

「!」


 どきりとした。

 ブリジットがユーリに訊きたいのは、十一年前のことだ。

 しかしユーリはブリジットの言葉を遮った。彼が、あのときのことを言っているのは明らかだった。


「今度は、ちゃんと僕も最後まで聞く。……だから、もう少しだけ時間をくれないか」


 まっすぐにブリジットの顔を見て、ユーリが言う。

 ユーリは目つきが鋭いから、それだけで睨まれたと誤解する人も多いだろうが。


 ブリジットにはよく分かる。

 それが、ユーリが真剣に向き合ってくれている証拠なのだと。


 だから、狼狽えずにしっかりと頷くことができた。


「分かりました」

「ああ」

「それでは、その……また、明日」

「また明日」


 素っ気ないながらユーリが返事をしてくれたのが、嬉しかった。


 馬車が出発し、車輪の音がゆっくりと遠ざかっていく。

 小さくなる馬車を見送っていると、傍らに立ったままのロゼが訊いてきた。


「……義姉上は、本邸に戻ってこられるんですか?」


 急な問いかけだったが、もしかするとずっとロゼはそれが訊きたかったのかもしれない。


「父から、その話を?」


 ロゼがゆっくりと頷く。

 灰色の瞳が、何かを期待するようにブリジットを見ていた。


「おれは――おれは義姉上と一緒の家で暮らせるなら、本当に嬉しいと思います。……ごめんなさい、勝手なことを言って」

「そんなことないわ。ありがとう」


 ロゼは純粋に、ブリジットに戻ってきてほしいと願ってくれている。

 それが伝わってきて、むしろブリジットは嬉しいくらいだった。こんな風に話せるだけでも、幸せに思う。


「この話、オーレアリス先輩は知っているんですか?」

「ええ」


 会話はそこで途切れた。


 ロゼに笑顔で手を振って、ブリジットは裏門に向かって歩き出す。

 正門を使うことは、別邸に住むブリジットには許されていないからだ。

 本来は馬車も、裏門前に停めるようにと言いつけられている。しかしロゼに心苦しい思いをさせたくなかったから、ユーリに頼んで正門前に馬車を停めてもらったのだ。


 一度だけ振り返ると、ロゼは元気のない足取りで本邸に入っていくところだった。


 ふと思う。

 デアーグはこの様子を、屋敷内から見ているのだろうか。

 多忙な人だから、まだ帰っていないかもしれない。それとも、少しはアーシャやロゼのことを心配して戻ってきているのか。


 親しんだ玄関の扉を開けると、暇そうに花瓶をつついていたカーシンが振り向いた。

 ぱっと明かりが灯るように、その表情が明るくなる。


「お嬢! ようやく戻ってきたな!」


 今日、戻ることは知らせてあったので、おそらく玄関で待ちわびていたのだろう。

 靴を脱ぐこともせず突っ立ったままのブリジットに、はしゃいだ足取りで寄ってくる。


「なぁ、今夜の夕食んときのスイーツなんだけどさ……って、どした? 元気ないな?」


 十一年間も一緒に時間を過ごしているだけあり、ブリジットの様子がおかしいのにすぐ気がついたらしい。

 首を傾げて表情を覗き込んでくるカーシンを前に、ブリジットの瞳に涙がにじむ。


 びっくりしたように、カーシンが目を見開いた。


「ど、どうしたんだよ。おい、お嬢?」


 カーシンの顔を見て、気が抜けてしまったのだろうか。

 喉からは、情けなく震える声が漏れ出た。



「……カーシン。わたくし、どうしたらいいのかしら~……?」



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