第99話.ブリジットの真価2

 


 ブリジットの呼びかけに応えて。

 お仕着せのポケットから飛び出してきたのはぴーちゃんである。


『ぴぎゃー!』


 勇ましく、ぴーちゃんがアルプに飛び掛かる。

 そんなところに精霊が潜んでいるとは思っていなかったのだろう。

 アルプは驚いたようだったが、ぴーちゃんは素早くフェニックスの姿に変化すると、アルプの首輪を嘴でつついて奪い取った。


 アルプの――白猫の表情が、大きく強張る。


『返セ!』


 怒鳴るアルプだが、宙を舞うぴーちゃんにその手足は届かない。

 森の中を低く旋回したぴーちゃんは、伸ばしたブリジットの腕に止まった。

 咥えたままの首輪を、ブリジットの手にかけてくれる。


「ありがとう。偉いわ、ぴーちゃん」


 頭を撫でて褒めると、ぴーちゃんが全身から力強い炎を噴き出した。


 人を燃やさない炎――神々しいまでの光の波に、ブリジットは感動した。

 寝室でアーシャが炎を嫌がっていたとロゼが言ったのを、きっとぴーちゃんは聞いていたに違いない。


(炎を灯すと、『会えなくなるからやめて』と母は言っていたそうだもの。たぶん、アルプは炎が苦手なはず!)


 だが、アルプはぴーちゃんからはどうでも良さそうに視線を逸らし、首輪を持つブリジットを睨みつける。


(あら!?)


 当てが外れたのはブリジットだけではなかった。

 ショックそうにぴーちゃんが震え、しおしおと萎れていく。


『……ぴ……』


 たちどころにひよこの姿に戻ったぴーちゃんは、ポケットの中に静かに戻っていった。

 しかし任せた仕事はきちんと果たしてくれたので、ブリジットはそっとしておくことにする。


 目の前では、アルプが怒りのあまり牙を剥き出しにしていた。


『そうカ。お前ハ……ブリジット・メイデル。アーシャの娘だナ!?』


(ばれた!)


 ぎくりとするブリジットだが、今さら正体が知られたところで困ることはない。

 なぜなら、ブリジット・メイデルは――アルプとは、なんの契約も交わしていないのだから。


「ええ、そうよ。でもアルプ、あなたがアーシャの身代わりに連れて行けるのは、ブリ・メイデルじゃなかった?」

『…………』


 アルプが悔しそうに黙る。

 それをいいことに、ブリジットは手にした首輪をちらつかせた。


「そしてあなたが着けていたこの指輪は、あなたが力を発揮するための帽子……その、変じた姿かしら。これがなければ、あなたは力を発揮できないわよね」


 魔法を使うための帽子を、アルプは肌身離さず持っている。

 しかし猫の姿では落としてしまうから、首輪に変えて着けていたのだろう。そう気がついて、ブリジットはぴーちゃんに密かにあれを奪ってほしいとお願いしていたのだった。


 アルプの発する怒りの気配が膨れ上がるが、もはやそれは恐るるに足らなかった。

 ブリジットは最も重要な取引を、アルプへと持ちかけた。


「帽子は返すわ。その代わり、あなたは二度とアーシャ・メイデルに近づくことはできない。約束してくれる?」

『…………分かっタ』


 さすがに、命より大切な帽子を失うわけにはいかなかったのだろう。

 ブリジットが首輪を差し出せば、アルプは近寄ってきて、それを猫の手で掴み取った。


 そのままその姿が、靄の中へと消えていく。

 精霊は約束を違えることは絶対にしない。これでもう、アルプがアーシャに付きまとうことはなくなった。


「さすがだな」


 振り返ると、すぐ後ろにユーリが立っていた。

 アルプが逆上した場合、対処してくれるつもりだったらしい。


 ブリジットはそんなユーリを見上げて首を横に振る。


「いいえ。ユーリ様のおかげですわ」


(わざとブルーに、アルプの前で私のあだ名について文句を言った)


 あれはブルーが、素直にブリジットと呼び直さないことを想定しての発言だったのだ。

 そのおかげで、ブリジットはアルプに怪しまれずに偽名を名乗ることができた。ユーリの機転には本当に驚かされる。


 しかしユーリは、よく分からないと言いたげな顔をしていて。


「僕は何もしていない。アルプとの交渉に成功して、母親を救ったのはお前自身だろう」


 そんなことを平然と言ってしまうから。

 本心だと分かるブリジットは思わず訊いてしまう。


「わたくし、それなら……ほんの少しは、精霊博士らしかったでしょうか?」

「ああ。ほんの少しは」


 ユーリが小さく笑う。

 そんな意地悪な褒め言葉がどれほど嬉しかったか――きっと、ユーリ本人には分からなかっただろうけれど。


 ブリジットは、はにかんで言葉を返した。


「ありがとうございます」

『……ねぇ? ボクはいろいろ、納得いかないんだけど~?』


 そこに声を投げてきたのはブルーだ。アーシャの近くでムッとした顔つきで蹲っている。

 自分が利用されたのにようやく気がついたらしい。先ほどまでの取り乱しっぷりを思い出すと、さすがにここでからかうのは悪いと思い、ブリジットは素直に頭を下げた。


「ブルーもごめんなさい。ところであなた本当は、わたくしのこと大好きなんじゃ――」

『あっ、ますたー! この人、目を覚ましそうかも!』


 分かりやすく遮られたが、それよりもその内容が重大だった。

 慌てて戻ると、ブルーの言う通りアーシャがうっすらと目を開けていた。


 大量の精気を吸い取られた直後だからか、ぼんやりしているが、覗き込んでいると目が合った。

 アーシャの双眸が、ブリジットを見遣る。ひび割れた唇が、僅かに動いた。


「……ブリジット」


(お母様……)


 そう呼ぼうとして、喉から声が出てこないのに気がついた。

 思わず喉を押さえる。ブリジットの躊躇いを、アーシャは察したのだろうか。


 眉を下げて悲しげに微笑むと、そっと訊いてくる。


「会いに、来てくれたの?」


 やはり、どう答えたものか分からなくて。

 沈黙するブリジットに、アーシャはその苦しそうな笑顔のまま言う。


「あなたに会いたかったから、ずっと火を使わずに待っていたのよ。ブリジット」


(……え……?)


「悪いお母さんで、ごめんなさい」


 言葉の意味を聞き返そうとする前に、アーシャは目を閉じてしまった。

 それでようやく、ブリジットは口を開き直す。


 そのまま母が目の前から消えてしまいそうで、恐ろしかったから。


「お、お母様……っ?」

「大丈夫だ。疲れて眠っているだけだろう」


 戦慄きながら呼びかければ、間髪を容れずユーリが教えてくれる。

 ユーリの言う通り、数秒が経つと、安らかな寝息だけが聞こえてきたのだった。



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