第95話.初めての二人乗り

 


「――義母ははは、どこに行ったんでしょうか」


 思考を遮るように、ロゼが大きめの声で言う。

 ブリジットがきょとんとすると、彼は慌てたように頭を振った。


「す、すみません」

「いいえ、そうよね。それがいちばん重要なことだもの」


 そうだった。今は細かいことを考察している場合ではないのだ。

 しかしアルプが関わっているなら、母の行き先に辿り着く痕跡は消されてしまっているだろう。


(お母様はずっと、屋敷の中を歩き回っていた……)


 アルプに幻影を見せられていたとしても、何か目的はあったはず。屋敷以外のどこかに、母は向かおうとしていたのだろう。


 そのとき、ふとブリジットは思い出した。


 夏期休暇の終わり、ニバルに誘われて、ブリジットは彼の領地にある御料牧場へと遊びに行った。

 ニバルとキーラ、それに急に参加を決めたユーリと共に別荘で過ごした時間は短いものだったが、とても楽しかった。

 そしてあのとき、ブリジットは思考の片隅に思い出したのだ。そういえば小さな頃は、よく避寒のために領地に行ったものだったと。


「…………別荘、とか」

「え?」

「メイデル家の領地にある別荘よ。ここからかなり南下したところにあって……、昔はよく冬頃に、両親に連れて行ってもらったなって」


 常夏とは言わないが、王都に比べると一年を通して気温が高い土地だ。

 果樹園が多く、よくブリジットは領民から色とりどりの果物も食べさせてもらった。そんな、懐かしい思い出のある土地だ。

 ロゼの同意も得られるかと思ったが、しかしその言葉は淡泊なものだった。


「それなら、父に領地視察の勉強として何度か連れて行ってもらったことがあります。それに確か、義母の実家も近いのでしたね」


 思わず、ブリジットは沈黙してしまう。


(この子は……)


 優秀な義弟は、メイデル家に引き取られてから幸せな日々を送っているだろうと漠然と思っていた。

 それなのに灰色の瞳には、家族との記憶を温かく振り返るような色はなかった。


 でも、ブリジットが口出しできる問題ではない。

 そう分かっているのに、鉛を呑み込んだように胸が重くなる。


 何か余計なことを言ってしまう前に、口を開き直した。


「ロゼ君。三日前に母は家の馬車を使っていたの?」


 家の馬車を使っていたなら、半日も馬を走らせれば到着する距離だ。

 だが当然ながら、ロゼは首を横に振る。


「いいえ。馬車を使った形跡はありませんでした。だから、まだ近くに居るかもしれないと思ったんですが」


 それなら、アーシャは辻馬車を何度も乗り継いで目的地に向かったのかもしれない。

 人知れず旅立ったのが三日前だというなら、さすがにもう到着している頃だろう。


(駅舎で目撃情報を当たっている場合じゃないわね……)


「領地に行ってみましょう。お母様が本当にアルプに魅入られて姿を消したなら、早く連れ戻さないと大変なことになるわ」


 アルプは人の精気を吸い取る悪妖精アンシーリーコートだ。

 母がいつから魅入られていたのかは分からないが……密かに屋敷を抜け出した時点で、かなり危険な状態なのは間違いない。


 急いで母の部屋を出る。

 幸い、他の使用人と出会すこともなく裏口まで戻ってこられた。


「おれは出発前に、鍵を返してきますね」

「ええ、任せぶっ」


 ブリジットは唐突に立ち止まったロゼの背中に激突した。

 痛む鼻を擦りつつ、どうしたのかとロゼの見ているほうに目を向けると。


「シ――シエンナっ? それにクリフォード様まで……」


 並んで立っている侍女と侍従が、お辞儀をしてくる。

 そしてこの場にクリフォードが居る以上、彼が居ないはずもなく。


 後ろに下がる二人とは逆に、進み出てきたのはユーリだった。


「…………」


 固まるブリジットを、じろりと黄水晶シトリンの瞳が見下ろす。

 とにかく冷たく、怒っているような顔つきだ。


 いつも以上に妙な迫力を感じ――それと先日の気まずさもあり、反射的にブリジットはロゼの背中へと隠れていた。


「アニェウッ」


 驚いたのか、ロゼが何やら珍妙な悲鳴を上げる。

 しかしロゼには申し訳ないが、この場は盾になってもらいたい。

 必死の思いで彼の制服にしがみついていると、その両手をじっとユーリが見ていて。


(ど、どうして……? ますます怖い顔になってるんだけど!)


「お前の侍女から話は聞いた。で、何か分かったのか」


 二人揃って怯えていると、ユーリが口を開いた。ほとんど尋問の口調だ。

 恐る恐る説明してくれたのはロゼだ。ブリジットがびびっているので気遣ってくれたらしい。


 ――悪妖精のアルプが、母の失踪に関わっているかもしれないこと。

 ――母の行く先は、メイデル伯爵家の領地ではないかと推測したこと。


 短い説明を聞き終えたユーリが、「分かった」と頷く。

 分かったとはどういうことかと思っていると、彼のすぐ近くの空間が歪む。


 その中から颯爽と飛び出してきたのは氷の狼。フェンリルのブルーだ。

 太い四本足で地面に降り立った獣に、颯爽とユーリが跨がる。


 額縁に飾りたいほど様になっている姿に、状況を忘れて見惚れていると。


「ブリジット。行くぞ」

「えっ?」


 ブリジットは目を白黒させるしかない。

 ユーリは不機嫌そうに顎をしゃくって言う。


「だから、お前の母親を捜しに行くんだろう? 馬車では半日は掛かる。ブルーを貸してやってもいいと言っている」


 言い方は相変わらず高圧的だが、つまり力を貸してくれるらしい。

 フェンリルは、凍った大地を群れで疾走する精霊。気性の獰猛さで知られるが、同時にそのスピードに追いつける精霊は居ないとされるほど、俊足で名を轟かす存在だ。


 そう認識したとたん――ブリジットは、ぱぁっと目を輝かせていた。


「も、もしかしてわたくしも、ブルーに乗っていいということですのっ!?」

「そうだと言っている」

『え? ボクはいやなんだけど……』


 なんということだろうか。天にも舞い上がりそうな心地で、ブリジットはブルーに駆け寄った。

 嬉しさのあまり、ブルーの文句もまったく耳に入らない。


「アネッ、ブリジット先輩!?」


 裏切られたと言いたげに置いて行かれたロゼが声を上げるが、今のブリジットにはお構いなしだ。

 こんな機会は滅多にない。ユーリに感じていたはずの気まずさは、その時点で彼女の頭からすっぽりと抜け落ちていた。


(だってだって、最上級精霊に乗れるだなんて~!!)


 ふん、と勝ち誇ったように口角をつり上げるユーリ。

 唖然とするロゼに、クリフォードが「大人げない主人ですみません」と頭を下げている。


 それどころではないブリジットは、しゃがみ込んだブルーの上に跨がった。

 青く長い毛はとても手触りが良い。駆け寄ってきたシエンナが、お仕着せの上から厚手のコートを羽織らせてくれる。


「お嬢様。道中は冷えるかと思いますので、こちらを。内側と外側のポケットに、それぞれカイロも入れております」

「ありがとうシエンナ!」

「では、オーレアリス様のお腰に手を回してください」

「ありがとうシエンナ!」


 言われた通り、大人しく目の前の腰に手を回すブリジット。

 そうしてから、ようやく正気に戻った。


(こ、これじゃあ……ユーリ様に、後ろから抱きついてるも同然じゃないのっ!?)


 しかし手を離す前に、ユーリに先回りされてしまう。


「振り落とされるぞ。もっとしっかりしがみつけ」

「…………っは、はい」


 そう言われては大人しく従うしかない。


 力を込めて、ユーリの胴に手を回す。

 細くて羨ましいなんて密かに思っていたのに、両手でぎゅっとしがみついて分かった。


(私とは、ぜんぜん体格が違う……)


 男の人なのだから、当たり前かもしれないけれど。

 それを認識すると、じんわりと頬が熱くなる。身体まで火照ってきて、密着しているユーリに気づかれているかと思うとますます居たたまれない。


 うう、と赤くなって俯くと、鼻腔をユーリの香りがくすぐる。

 恥ずかしくて、もう言葉が出てこない。嫌がらせ混じりにぐりぐりと頭を背中に押しつければ、なぜだかユーリは機嫌良く笑ったようだった。


「よし。では出発する」


 しかしそんなユーリの言葉に、抗議の声を上げた者が居た。ロゼである。


「まっ、待ってください! あの、おれは!?」

「残念ながら二人乗りが限界だ」

『うんっ? ますたー、ボク三人でも――』

「ブルー、無理をするな」


 ブリジットはぎょっとした。

 それがユーリが発したものとは思えぬほど、労りに満ちた声音だったからだ。


(き、聞き間違い? 幻聴?)


 しかしブルーは感極まった様子で、その大きな身体を震わせている。


『ますたー……! うん、ボク二人乗せるのが限界!』

「ちょっと! 今、事実をねじ曲げたでしょう!」

「なんの話だ。精霊を労るのは契約者として当然だろう」


 文句をつけるロゼにも、ユーリは聞く耳を持たない。

 ブルーはうんうんと納得深げに頷くと。


『ブスのほうは超重いしな! 三人乗るより重いや!』

「は……、はあああっ!? ちょ、ちょっとブルー! 聞き捨てならないんだけど!?」


 とんでもない暴言にブリジットは目の前が真っ赤になった。男性陣の前でなんてことを言うのだ。

 気まずげに黙ったロゼに、クリフォードが声をかけている。


「オーレアリス家の馬車を出しますので、ロゼ様は我々と共に向かいましょう」


 渋々ロゼが頷いたのを見届けると。


『それじゃ、しゅっぱつしんこーう!』


 呑気な号令と共に。

 ブルーが後ろ足をぐっと引き、勢いよく走り出す。



 ――その直後、あまりのスピードにブリジットが悲鳴を上げたのは言うまでもないことである。



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