第92話.屋敷への潜入

 


「あ……、ブリジット先輩、その格好は!?」


 開口一番、ぎょっとしたようなロゼの言葉に出迎えられて。

 お仕着せ姿のブリジットは胸を張ってみせた。


「変装してきたわ」


 ――そう、ロゼと合流したブリジットは侍女に変装していた。


 手伝ってくれたのは、本職の侍女であるシエンナだ。

 メイデル家の場合は支給されるお仕着せがあるため、他の侍女の予備の服を借りている。シエンナとブリジットでは体格が違いすぎるためだ。


 頭にはフリルつきのキャップを着け、赤い髪はきっちりと編んで結い上げている。

 これならば誰かに見咎められても、すぐにブリジットとは露見しないはずだ。


(実家に行くのに変装するのも、おかしな話だけど)


 父に知れたら、たぶん注意されるでは済まないだろう。でも母のことは放っておけない。

 もしかしたら事故か事件に巻き込まれたのかもしれないし、何かあってから後悔するでは遅いのだ。

 それならば、自分が恥を被ったほうがまだましである。


「どうかしら? 変じゃない?」


 その場でくるくると回ってみせる。

 不備がないか見てもらったつもりだったが、ロゼは両手を組んで頬を染めていた。なぜか仕草がちょっぴり乙女で、キーラの顔が頭に浮かぶ。


「と、とても素敵だと思います。あっ! これは、別に他意があるわけじゃなくて」

「分かってるわよ。ありがとう」


 焦るロゼがおかしくて、ブリジットは微笑んだ。

 ほっとしたようにロゼが息を吐く。二人で顔を見合わせた。

 沈黙すると気まずさが込み上げてくる気がして、ブリジットはぱちんと手を合わせた。


「じゃあ、さっそく行きましょうか。屋敷内では私は侍女として振る舞うから、ロゼ君もそのつもりでね」

「え? でも」

「いいから。それでとりあえず母の私室を見たいけど、鍵はどうしましょう」

「それなら、実はこっそり執事部屋から拝借しておきました」


 ロゼが制服のポケットから鍵束を覗かせてみせる。

 顔に似合わず悪巧みの腕はなかなかだ。


「上出来よ」

「へへ……、ありがとうございます」


 思わず軽口を叩いてしまったが、ロゼは嬉しそうにしている。


(可愛い)


 ユーリやニバルの一歳下とは思えないほど幼げな笑顔に、ちょっときゅんとする。


 二人は裏口からメイデル家の屋敷内へと入った。

 十一年前まで過ごした家だ。思わず立ち止まって、ブリジットは壁紙や調度を見やる。

 朧げな記憶と照らし合わせる。あの頃と、ほとんど内装に違いはないようだった。


 いっそ不自然なほどに、記憶の中の景色と変わりがない。


(……懐かしい)


 五歳までの日々を過ごした場所。

 両親と共に暮らしていた、大きく立派な家。


 感慨とも、悲しみとも言えない曖昧な感情が胸に込み上げてくる。

 心配そうにこちらを振り返っているロゼに、ブリジットは頭を振ってから促した。


「行きましょう」


 いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。夕方近い時間帯のため、一階のダイニングルームの近くはそろそろ人目につく頃なのだ。

 ロゼを先頭に少し距離を開けて階段を上っていく。変に目立ってはいけないため、早足にならないよう気をつけた。


 広々とした廊下に出ると、好都合なことにまったく人気はなかった。

 大きな窓から夕日が射し込み、毛足の長い葡萄色の絨毯をさらに濃く染め上げている。


「あ……、ブリジット先輩。まだ父は帰っていないので、二階にはおそらく誰も居ないかと」


 説明してくれるロゼの後ろを俯きがちに歩きながら、何気なさを装ってブリジットは言った。


「ロゼ君。あのね、わたくしのことは呼びたいように呼んでもらって構わないわよ」


 先を歩くロゼの両肩が跳ねた。それでも立ち止まらないのは立派だ。


「本当にいいんですか?」

「ええ。もちろん」


 本心からの言葉だった。

 彼が"赤い妖精"と呼びたいなら、それはそれで構わないと思っている。

 それに以前よりも、その呼び名はいやではなかった。ブリジット自身の気の持ちようも、昔とは違うのだ。


(私はもう、ひとりじゃない。ユーリ様やぴーちゃんが、シエンナが居て、級長やキーラさんだって居てくれるもの)


 だから誰にどんな呼び方をされても平気だと。

 そう告げれば、ロゼはいくばくかの沈黙のあと、「では」と慎重に呟いた。


「――あ。あ、あ、ああああうっ」

「だ、大丈夫?」

「大丈夫です。ただ、緊張してしまって」


 ぜえはあと荒い息を吐きながら、ロゼは苦しげに唸っている。

 そこまで苦悶しながら呼ぶ必要があるのかと、なぜかブリジットのほうが心配になってきてしまう。


「あ、あ、あ。あ……あああ……!」


 しかしロゼは大量の汗をかきながら、とうとうその場にがくりと膝をついてしまった。


「本当に大丈夫!?」

「本当に大丈夫です! すみません!!」


 妙に力強い返答があるが、それにしたって顔色がひどい。

 慌ててしゃがみこんで様子を見る。ロゼが倒れたのは、ちょうどブリジットの部屋の前だった。


(あ……)


 今は物置にでもなったのか。それともロゼの部屋だろうか。

 気を逸らすのも兼ねて、ブリジットは訊いてみようとした。


「ねぇ、ロゼ君。この部屋って」

「あ、あ、あねう――」


 ロゼが声を上擦らせながら、何かを言いかけたときだった。

 目の前の扉がゆっくりと、外側に向かって開いていた。


(えっ!)


 ぎょっとするブリジットの目の前で、部屋の中から白髪の老人が姿を現わす。


 よく見覚えのある老齢の執事とばっちり目が合ってしまい、ブリジットは硬直した。

 息を呑んで、心の中で呼ぶ。


(じい!)



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