第83話.失われた約束

 


「ねぇ、おとうさま。私、イフリートが見たい!」



 それは何度目のお願いだっただろう。


 一つ覚えのように繰り返すブリジットに、父は呆れたこともあったはずだ。

 以前、「忙しいから」と振り払われてしまったこともあったのを覚えている。


 それでも父の足に縋りついてお願いするのは、どうしても、最上級精霊と名高いイフリートの姿をこの目で見てみたかったから。


(イフリート、ウンディーネ、シルフィード、ノーム!)


 強力な四つの魔法系統。それぞれ、その最強種とされる精霊たちの名前。

 図鑑や物語の中で何度も見たその精霊の一柱が、なんと父親の契約精霊だったのだから、精霊博士を目指すブリジットが飛びついたのは無理もない話だった。


「イフリートはとても危険な精霊なんだ、ブリジット」


 その日の父は、機嫌がいいようだった。

 わざわざ床に膝をついて、ブリジットの両肩に手を置いたのだから。


「建国祭の日なら、私のイフリートを見られるだろう?」

「……もっと近くで見たいんだもん」


 ブリジットはむうと頬を膨らませる。

 建国祭のパレードの最後は、四大貴族の契約精霊たちが特大の魔法を空に放って締め括られるのが通例だ。

 もちろん毎年、父がイフリートを屋敷の庭に召喚して役目を果たしているのは知っているが。


(近くに居ると危ないからって、お母様は街のほうに行きたがるから……)


 結局、ブリジットはいつも街中から、大空に広がる魔法の輝きを目にするだけなのだ。

 人々の歓声の中で、父の精霊が頑張る姿を見るのは誇らしい気持ちになるが、傍で見守りたいと思うのは我が儘なのだろうか?


 小さな娘が納得していないと気がついたのだろう、父が苦笑する。


「分かったよ。じゃあブリジットがもっと大きくなったら、近くで見せてあげるから」

「うん。約束ね、おとうさま」

「ああ。約束だよ、ブリジット」


 父と、指切りをする。

 顔を見合わせて笑う。いつまでも楽しそうに笑っている。


 それでようやく、これは夢だと思い知った。



『ぴー』



 不安げな、小鳥の鳴く声が聞こえた。


 目を開けると、滲んだ視界の真ん中に黄色い何かがぼんやりと見えた。

 ブリジットの契約精霊、フェニックスのぴーちゃんだ。


 契約者が目を覚ましたのに気がつくと、ぴーちゃんは小さな足を動かして近づいてくる。

 羽毛を押しつけるように頬擦りされる。温かくて、柔らかい。ちょっぴり口に入った。


「おはよう、ぴーちゃん」


 ブリジットはくすりと笑ったが、その弾みに片目から涙がこぼれ落ちた。

 眠りながら泣いていたらしい。それでぴーちゃんは不安がって起こしてくれたのだろうか。


「大丈夫よ、ぴーちゃん……心配してくれて、ありがとう」


 嘴の下をくすぐってやると、ぴーちゃんがつぶらな目を細める。

 しばらくそうして契約精霊とたわむれてから、ブリジットは身体を起こした。


 昨夜はマフラーを編んでいた途中までしか記憶がない。どうやらそのまま眠ってしまったようだ。

 ブリジットが寝たあとにシエンナが片づけてくれたのか、編みかけのマフラーはサイドテーブルの上にしっかりと移動してあって、ほっとする。


 ――父との約束は果たされなかった。

 そしてこれからも、叶う日は来ないけれど。


(目の前のことから、頑張らないと!)


 学院は休みだが、今日は大事な用事があるのだ。

 そう、待ち望んだ神殿訪問の日である。




 ◇◇◇




 いつも家を出立する時間に玄関に出ると、迎えの馬車が来ていた。

 聞いていた通りだが、わざわざ神殿から出してくれたのだという。

 貴族であれば家紋が入る位置に、神殿――レヴァン教の象徴である不死鳥の姿が刻まれている。


 御者の物腰まで慇懃だ。ブリジットは変に緊張してしまった。


(もしかして、私の契約精霊がフェニックスだから……?)


 たぶん無関係ではないのだろう、と思う。

 そうしてぎくしゃくと馬車に乗り込もうとして、後ろにもう一台ついていることに気がついた。


 振り向けばちょうど、薄いピンク色の髪の毛の少年が乗り込むところが見えた。

 一瞬、ブリジットは息を止めたが、次にそこから顔を出したのはマジョリーだった。

 引率の教員として彼女も同行することになっていたが、一年生たちと馬車に乗っているらしい。


「おはよう、ブリジットさん。ロゼくんとサナさんは揃ったから、次はユーリくんを拾いに行ってもらうわよ~」

「は、はい。分かりました」


 なんとか頷いて、ひとり馬車に乗り込む。

 十数分ほどでオーレアリス家の屋敷の前に到着し、従者のクリフォードに送りだされたユーリがブリジットの馬車へと乗ってきた。


「お、おはようございます」

「……おはよう」


 正面席に座った彼と短い挨拶を交わすものの、ブリジットはまともにそちらが見られない。

 だって、心臓がばくばくと騒ぎ立てているから。


 ――ユーリから舞踏会への誘いを受けたのは、たった二日前のこと。


 あの日のことを思いだして、何度ベッドの上で悶えたことだろうか。

 それはもう、数え切れないくらいである。


(こ、このままじゃ変に思われちゃう。深呼吸、深呼吸……!)


 しかし大きく息を吸って吐こうにも、目の前に整った顔があってはその余裕もない。

 挙動不審に陥るブリジットを、ユーリが横目で見る。


「顔色が悪いな」

「っ」


 化粧で誤魔化せたつもりだったのに。


 驚いたブリジットは、とっさにユーリのほうを見てしまった。

 目が合うと、普段通り表情に乏しいユーリだったが、やや眉を寄せているのに気がつく。


(……心配、してくれてる?)


 たったそれだけのことが嬉しい。

 嬉しくて、胸はゆっくりと高鳴っていく。そのおかげで少しずつ呼吸も落ち着いた。


「……昔の夢を見たんです」


 打ち明けると、ユーリが目つきを険しくする。


「いやな夢か?」

「……いいえ。とても幸せな頃の夢でしたわ」


 夢の内容を、軽く話してみる。

 ユーリは黙って聞いてくれていた。


 話し終わると、窓の外を見やりながら小さく呟く。


「……最上級精霊四体。今からでも遅くないか」

「? どういう意味です?」

「契約」


 言葉の意味を理解して、ブリジットは口を半開きにしてしまう。


(自分ひとりで、最上級精霊四体捕まえられるってこと!?)


「……ユーリ様って、たまーに……ものすごく自信過剰なことおっしゃいますわよね!?」

「過剰ではない。むしろ控えめだろう」


(そんな真顔で言われても!)


「子どもの頃のお前がそれで満足するなら、やってやれると思っただけだ」

「…………っっそ、」


 しかしそう続けられれば、文句の言葉は途中で詰まる。

 不意打ちを食らったブリジットは、思いきり咳き込んでしまった。


 そんな――優しい言葉を、何気なく言わないでほしい。

 ドキドキしすぎて、まともに話すこともできなくなる。



(こんなんじゃ心臓、いくつあっても足りない……!)



 馬車が停まる。

 どうやら神殿に到着したらしい。それが少しだけ、今は救いに感じられた。



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