第82話.舞踏会の誘い

 


「――ブリジット嬢。建国祭の舞踏会、俺とパートナーになってもらえますか!」



 人気のない裏庭の片隅で。

 緊張した面持ちながら、勢いよく手を差し出してきた級長ニバルを相手に。


 いつぞやと重なる光景を目にしつつ、ブリジットは頭を下げた。


「ごめんなさい」


 ダメージを受けたのか、ニバルが「うぐっ」と呻いた。

 そのまま力なく、項垂れるように俯いてしまう。どんよりと暗雲を背負っているニバルを見下ろし、ブリジットも黙り込んだ。


 今は昼休憩の時間だ。

 ニバルに呼ばれたブリジットは、一緒に食事していたキーラと別れ、彼と裏庭までやって来ていた。


 またエアリアルに会わせてもらえるのかも、と涼しげな風の精霊の姿を思い浮かべてウキウキしていたブリジットだが、まさかニバルから舞踏会の誘いを受けるとは思ってもみなかった。


(キーラさんは、ニバル級長を誘ってみると言っていた……)


 キーラは既にニバルを誘ったのか、まだだったのか。

 無論、ニバルからの誘いを断ったのはそれが理由というわけではない。


「やっぱりブリジット嬢は、アイツと行くんですか?」

「…………」


 しかしこの問いには、ブリジットは答えられない。


 本当は、ユーリと舞踏会に行ってみたい――と、ブリジットだって思っている。

 しかしユーリのことは誘えていないし、彼からも声はかけられていない。


 誘ったところで断られるかもしれないし、第一、相手に好意があると明かすも同然なのだ。

 意地っ張りのブリジットには、とてもじゃないがハードルが高い。


(マフラーは毎晩、一所懸命に編んでるけど……)


 日頃の感謝を込めて、編み物には熱心に取り組んでいる。

 まだ形になってきてはいないが、シエンナにもアドバイスをもらいながら奮闘している真っ最中だ。


 だけど、と戸惑うブリジットを見て、ニバルが頭をかく。


「ブリジット嬢、本当にアイツでいいんですか?」

「……えっと」

「ちょっと俺、いろいろ心配っつか……いや、フラれた愚痴みたいで恥ずかしいんですが」


 だはぁ、と息を吐いて、ニバルは顔を覆ってしまう。

 だが、ニバルがブリジットのことを思ってくれているのは明らかだ。


 ニバルの好意は、なんというかいつもまっすぐである。

『ペットが飼い主を慕うあれですね』とシエンナは言葉を選ばず評していたが、まさしくブリジットにも、時折ニバルの姿が大型犬のように見えているのだった。


 口にしたら落ち込んでしまうかもしれないので、内緒にしているが。


「級長……心配してくれてありがとう。でもわたくし」

「――あの! 私と舞踏会に行ってほしいんです!!」


 同時にびくっと、ブリジットとニバルの肩が震えた。


 素早く目を合わせた二人は、すぐ傍にあったベンチの後ろ側にそそくさと隠れる。

 そこからちょっとだけ頭を出して、窺えば……近くの木陰に見知らぬ女生徒と、その正面に立つユーリの後ろ姿が見えた。


「……ユーリ、あの子に舞踏会に誘われてますね」


 ほんの小さな声でニバルが囁く。

 どきりとした。ベンチの裏側を掴んでいた手に、汗が滲む。


(どうしよう……)


 そうだった。

 ユーリは冷たいし口が悪くて嫌われがちだが、とにかくもてる人なのだ。

 むしろ彼が嫌われている理由の大半は、突き放された女子の逆恨みと男子の僻みによるものである。


 だからブリジットが手を拱いている間に、彼を誘う女生徒が居るのも当たり前なのだ。

 それに一年生だと思われるその女生徒は、ブリジットの目から見ても愛らしい。上級生であるユーリに懸命に誘いをかける姿もいじらしかった。


(ユーリ様、なんて答えるの……?)


 不安で仕方なかった。

 誘うつもりもなかったのに、ひどく勝手なことを考えている気がする。


 ……ユーリに、断ってほしいと思ってしまう自分が居る。



「断る」



(うっ……!)


 そうして密かに願ったとおり、ユーリが素っ気なく答えたことに。

 安心するより先に胸を抉るような恐怖に襲われたのは、自分自身がそう言われたように感じたからだ。


 ショックを受けた様子でふらついた女生徒が、どこか恨みがましい口調で言う。


「オーレアリス様、誰に誘われてもそうやって断ってるんですよね」

「…………」

「だ、誰と行くんですか? もしかしてあの――」

「お前に関係あるのか?」

「……っ失礼します」


 大粒の涙をこぼして、女生徒が背を向けた。

 たぶん追いかけてきて、のサインなのだろう。すごくゆったりとした速度で遠ざかっていくのだが、ユーリはそちらから呆気なく視線を外すと。


「誰か居るのか?」


 やはり揃って、ブリジットとニバルは固まった。

 明らかにユーリはベンチのほうを見ている。たぶん、隠れているのに気づかれている。


「……ど、どうします級長」

「どうすると言われましても……」


 近くに建物はないから、逃げようがない。

 もたつく二人を追い詰めるように、ユーリが冷徹に続ける。


「それ以上隠れているなら、氷を降らせるが」

「わっ、わたくしです!」


 緊張感に負けたブリジットはすっくと立ち上がった。

 さすがに知り合いが出てくるとは思っていなかったのか、ユーリが目を丸くしている。


「ブリジット? そんなところで、ひとりで何をして……」

「ひ、ひとりじゃありませんのよ。実は――」


 ブリジットは共犯の控えている隣を見た。

 しかしそこはもぬけの殻だった。


(ええ!?)


 慌てて見回せばベンチの上には、ふわりと風の残滓が渦巻いていて。


(エ、エアリアルで逃げた……!)


 ニバルが命じたのか、エアリアルが一計を案じたのか、どうやら風の精霊に連れられてニバルはどこかに逃げ去ったらしい。

 裏切り者、とブリジットは心の中で叫んだ。


 だがこのまま黙っていても、ユーリは見逃してはくれないだろう。


「あっ、ち、違うんですのよ。これは」


 えっとえっと、と焦った挙げ句にブリジットは口にしていた。


「先ほどまでニバル級長と、舞踏会の件でお話ししていて! だから、別に聞き耳を立てていたわけではありませんの!」

「――――、」


 ユーリが絶句する。

 ブリジットも絶句した。


(正直に話しちゃった!)


 以前もジョセフとユーリの会話に聞き耳を立てたのがばれたのだ。

 さすがに二度目となれば、ユーリは許してくれないかもしれない。


 青くなるブリジットの目の前まで、ユーリが近づいてくる。

 ベンチ越しに二人は向き合った。この時点でブリジットは目を回して卒倒しそうだった。


 ベンチの背に、ユーリが手をやる。

 それだけでブリジットは怯えてしまった。


「ニバルと行くのか?」


 だが、ユーリが口にしたのはそんな言葉で。


(え? そっち?)


「いえ。舞踏会のお誘いは、お断りしましたので……」

「……それは、他の男と行くから?」


 ブリジットは呆然としつつ、首を横に振る。


「…………そうか」


 そのとき、ほんの少しだけ、ユーリの口の端が安心したように緩んだのが見えた。

 彼はすぐに表情を引き締めると、こほんと咳払いをする。


「お前も相手が居ないようだが、実は僕も相手が居なくてな」


(ちょっと)


 言い方に棘がありすぎて、ブリジットはむっとする。

 でも、よくよく考えると何やらユーリはおかしいことを言っているような気がする。


(相手が居ない?)


 先ほど彼は、女生徒の誘いを断っていた。

 しかもあの女子が言うには、ユーリは数多くの誘いを受けながら全て断っているそうなのだ。



「だからブリジット。僕と行かないか、舞踏会」



 そう不思議に思っていたから。

 ユーリがなんと言ったのか、しばらく、ブリジットにはよく分からなかった。


 よっぽど気の抜けた顔をしていたのだろう。

 数秒後、柳眉を歪めたユーリが平坦な声で言う。


「いやなら――」

「い、いやだなんて言ってません!」


 慌ててベンチに手を伸ばせば、弾みでユーリの手に触れてしまった。


「あ……、」


 それだけでブリジットの頬に、ぶわりと熱が駆け上がる。特大のマグマみたいな熱で、全身がいっぱいになってしまう。

 しかも逃さないというようにユーリの手に絡め取られてしまったから、どうしようもない。


「…………そ、そこまで言うならご一緒しても、よろしくてよ。ユーリ様、おひとりで寂しいでしょうし……ね」


 せめてと強がっても、ユーリは答えなかった。


 ただ、するりとブリジットの左手を撫でる。

 今や傷ひとつない肌を確かめるように触れられると、甘い痺れのようなものが背中に走った。


 ユーリがひっそりと、ブリジットの耳元で囁く。

 耳朶をくすぐるような低い声音に、身体を貫かれた心地がした。


「うん。ありがとう」

「…………っっ」


 どうしてこんなときばかり素直なのか。

 赤い顔を隠して、ブリジットは俯く。


 今、ユーリはどんな表情をしているのだろう。

 嬉しそうに笑っているのだろうか。それとも、それとも。


(………………だめ…………)


 これ以上、ユーリのことを考えてしまったら、自分はおかしくなってしまうかもしれない。


 あんまり心許ないから、そう不安にさえ思うのに。

 ユーリが誘ってくれたのが嬉しくて、天にも舞い上がりそうで。



「……僕は卑怯だな」



 離れていく直前。

 小さな呟きが耳を掠めた気がしたけれど、ブリジットは聞き返さなかった。


 彼と同じく、きっとブリジットも卑怯だったからだ。



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