第81話.初めての編み物

 


 別邸へと帰ったブリジットは、さっそく自室にシエンナを呼んでいた。


 国民の間に広がっている風習については、シエンナも知っていたらしい。

 日頃の感謝を示すために、に向けて編み物を作りたいと相談したところ、快く応じてくれた。


「お贈りするのは、どういうものがいいのかしら? やっぱりセーターとか? 手袋とか?」


 無意識に語尾を弾ませるブリジットを前に、シエンナは数秒間だけ沈黙する。


 ブリジットは刺繍などの細々とした作業は苦手だ。こう言ってはなんだが、やはり編み物も不得意だろうと思われる。向き不向きがあるので致し方ないことだ。

 真面目で根気強いので、途中で投げ出したりはしないだろうが、万が一にも失敗などしてしまったら、この可愛らしい主人はひどく落ち込むことだろう――。


 と考えたシエンナは、冷静なアドバイスをすることにした。


「ブリジットお嬢様は、編み物は初めてでいらっしゃいますから……マフラーが作りやすいかと思います」

「マフラー……」


 ブリジットは、自分の手製のマフラーを着けたユーリのことを想像してみる。

 彼の容姿は怜悧な印象だけれど、瞳と同じ黄色いもこもこのマフラーで首元を覆っていたら、ちょっぴり可愛いかもしれない。


(うん……いいかも!)


 想像を膨らませると、一気に楽しみになってきた。


「分かったわ。わたくし、マフラーを編んでみる! さっそく明日、買い物に行きましょう!」


 やる気に燃えるブリジットに、シエンナが「承知いたしました」と頭を下げた。





 その翌日。

 ブリジットはシエンナを連れて、王都の大通りを歩いていた。


 雲の切れ間からはほのかに陽光が降り注いでいる。

 赤や黄の色をした葉をまとった枝が揺れていて、髪の間をすり抜ける風は涼しげだった。


「混んでるわね」

「そうですね。貴族のご令嬢も多いようです」


 シエンナが案内してくれたのは、王都でも有名だという毛糸店だ。

 入り口からかなり混み合っていて、ブリジットは少々尻込みしたのだが、馴染みだというシエンナは気にせず入店する。


 そんな彼女に連れられ、ブリジットも店内に足を踏み入れた。

 見回してみて、圧倒される。


(わぁ……素敵)


 床に置かれた幅広の棚の中は、色とりどりの毛糸で埋まっている。

 少しずつ色合いや太さの異なる毛糸の束が並んでいる光景は、まるで虹が架かっているかのようだ。


 他の棚も覗いてみると、美しい光沢を流す絹の生地や、繊細な刺繍が施された手巾や手鏡など、魅力的な商品ばかりが揃えられていた。

 しかしやはりというべきか、最も混み合っているのが毛糸の棚だ。吟味する令嬢や貴婦人たちの顔つきは、どれも真剣である。


 見本としてなのか、店内にはセーターや帽子、マフラーや手袋などもいくつか展示してあるようだ。

 その中に、三種類もの毛糸を使って編み込み、美しく立体的な網目模様のマフラーを見つけた。


 興奮したブリジットはシエンナの身体を軽く揺さぶる。


「あれ! あれよシエンナ、わたくしもああいうマフラーが編んでみたいのよ!」

「……お嬢様。差し出口ですが、ああいったものは上級者向けです」

「そうなの?」

「はい。それにオーレアリス様のお好みはいかがでしょうか?」


 シエンナの言葉に、ブリジットはううむと思い返す。

 そう言われてみると、ユーリの手持ちの品は上品で落ち着いた色合いのものが多かった気がする。


「そうね……。ユーリ様はシンプルなもののほうがお好きなのかも……」


 ――はた、と遅れてブリジットは気がついた。


「……わたくし、ユーリ様に贈るなんて一言も言ってないわよね?」

「違うんですか?」


(違わないけど!)


 違わないが、素直に認めるのはどうにも恥ずかしい。

 何を言っても墓穴を掘るような気がしたブリジットは、そこで口を噤む。


 そこでちょうど、何人かの女性たちが他の棚に移ったので、すすすっと黄色い毛糸が置かれた棚の前に移動した。


(思ってたよりたくさんあるわね……)


 一口に黄色といっても、濃いもの薄いもの、それに緑がかったものや赤みのある色など様々である。

 何度も見惚れてきたユーリの双眸を頭に思い浮かべながら、ブリジットはいくつもの毛糸の束を手にしてみる。


 冷たく鋭い、ユーリの黄水晶シトリンの瞳。

 だが毛糸で似た色合いを探すというのは難しそうで。


 ふと、浮かんだ単語があった。


(青空の下で咲く、たんぽぽ)


 そう思ったのは、確か――ブリジットが炎の克服をしようと、ブルーやカーシンと共に特訓していたときのことだ。

 無理をして倒れたブリジットを、駆けつけたユーリが受け止めてくれた。

 そのとき、彼の腕の中から目を開けて……青空を背景にしたユーリの瞳は、まるでそこに咲く花のように見えたのだ。


 思いついたブリジットは、目の高さに置いてあった毛糸を手に取ってみる。

 太めの糸は、とても肌触りがいい。


「これ……これにするわ」

「明るくて優しい色ですね」


 シエンナの言葉に嬉しくなる。

 そのあとは二本の編み棒に、とじ針と小さな鋏を買った。

 自分でも単純だとは思うが、道具が増えるたびに気持ちが高まっていくようだ。


 買い物が終わり、帰りの馬車を待っていると。

 シエンナの腕が塞がっているのに気がつき、ブリジットは首を傾げる。


「シエンナも毛糸を買ったの?」

「はい」


 シエンナがこくりと頷く。

 無表情の彼女が抱えた紙袋の中には、どんな色の毛糸が入っているのだろうか。


(訊いてみたい気もするけど……)


 しかし完成した頃に教えてもらうのも楽しいかもしれない。

 そう思ったブリジットは、シエンナへの問いかけは先送りにすることにした。


 家に帰ってからは、さっそく編み方の手順を教えてもらう。

 慎重派のシエンナは、なるべく簡単なものをと勧めてくれる。素人のブリジットは完成のイメージを伝えつつ、師匠たる彼女のアドバイスに従うことにした。


「表編みはこう、裏編みはこうやって、糸を引き抜きます」

「……もう一回やってくれる?」

「はい。それでは、まず編み棒をですね……」


 なかなか覚えられないブリジットにも、シエンナは根気強く編み方を教えてくれた。

 そのおかげで、ようやく要領が掴めてきた。その日の夜には部屋に籠り、せっせとマフラーを編み続ける。


 難しい編み方への挑戦は見送ることになったので、基本的には同じ動作を繰り返していくだけだ。

 だが、気を抜くとなぜか変な方向に糸が絡まってしまうので、集中して編み棒を動かしていく。


(今日から毎日、頑張って……登校日も、帰ってきたら編み物の時間を取らないと)


 まだまだ先は長そうだ。

 勉強も疎かにはできないので、休憩時間に少しずつ進めるのがいいだろう。



(……ユーリ様、喜んでくれるかしら?)



 まだ編み始めたばかりだというのに、今から完成のときが待ち遠しくて仕方なかった。



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