第80話.建国祭に向けて

 


 お茶会が終わったあと。


 げっそりとした顔つきでブリジットは廊下を歩いていた。

 隣を歩くキーラは心配そうだ。


「ブリジット様、大丈夫ですか?」

「え、ええ。平気よ……」


 明らかな強がりである。

 キーラはますます不安そうにしているが、彼女を気遣う余裕も今のブリジットにはなかった。


(まさか私とユーリ様が、こ、こいっ……恋人同士に見られていただなんて)


 心の中でその単語を呟くだけでも緊張する。


 とにかく言葉を尽くして必死に否定したが、野次馬根性丸出しのクラスメイトたちはニヤニヤしていた。ただの照れ隠しだと思われたのかもしれない。

 というのも、ジョセフに物置に閉じ込められた一件の際に――ブリジットとユーリが手を繋いでいる姿は、大勢の生徒に見られていたらしい。


 それで二人は付き合っているのではないか、という噂が学院中に広まったらしいのだ。


(噂のこと、ユーリ様は知っているのかしら……)


 疎い人だが、もう耳に入っているかもしれない。

 そう思うとドキドキして、堪らない気持ちになる。


 だって、ほんの数日前のこと。

 いつもの四阿で会ったとき、ユーリは、どこにも行くなとブリジットに言ってくれた。

 震える彼が小さな子どものように見えたから、思わずブリジットはユーリのことを抱きしめたのだ。


 それから、彼はほんの小さく唇を動かして。



『僕は、お前が――――、』



「…………っっ」


 あのときのことを思い出すだけで、脳が沸騰しそうになる。

 挙動不審なブリジットに、慌てた様子でキーラが別の話題を振った。


「そうだ! 建国祭はどうされるんですか?」

「……え?」

「お茶会で話題になったプレゼントのことです」


 プレゼント? と首を傾げるブリジット。

 どうやらお茶会で、そのような話題が上がっていたらしい。だがユーリとの仲について否定するのに必死だったブリジットは、さっぱり覚えていない。


 キーラは呆れるでもなく熱の入った説明をしてくれる。

 夜空のような漆黒の瞳は、星が瞬くようにキラキラと輝いていた。


「数年前から国民の間で、建国祭の夜に意中の方や恋人に、手作りの防寒具を贈るという習慣ができたんですって。使う糸は、相手の方の髪色か瞳の色にする決まりなんだそうです。最近は貴族の間でも流行っているんですよ」

「へぇ……」


 建国祭は約一ヶ月後。

 十一の月の中旬だから、確かに防寒具を贈るにはいい時季かもしれない。

 とかブリジットは実用的な面から思ったのだが、キーラは身を捩りつつ教えてくれた。


「冬の間も、わたしのプレゼントを身にまとって一緒に過ごしてください――という思いを込めて、編み物を贈るんですよ! わたしもさっそく、赤か緑の糸を買ってこないと……」


 きゃっ、と頬を染めるキーラ。

 そのあともブツブツと何かを呟いているが、ブリジットは途中からあまり聞いていなかった。


(すごくロマンチックだわ……!)


 建国祭は、国を挙げての大行事のひとつだ。

 王都では祭りが開かれる。街にはたくさんの屋台が出るし、演劇や演奏会なども開かれるのだ。


 神殿の協力の下、精霊たちも参加するパレードが行われ、その最後には四大貴族の当主が最上級精霊を召喚し、空に向かって最大級の魔法を放つのが毎年の恒例である。

 無論、炎の一族と呼ばれるメイデル伯爵家や、水の一族オーレアリス公爵家も参加するのだ。


 父は現在、その準備に追われているに違いない。

 だからその日を、ブリジットの返事の期限に据えたのだろう。


 また、建国祭の夜、オトレイアナ魔法学院では舞踏会が開かれることになっている。

 キーラによれば、舞踏会をこっそりと二人で抜け出してプレゼントを渡す――という非常に大胆な企みを持つ女生徒がたくさん居るのだという。

 そのせいか、以前は舞踏会への誘いは男子からというのが主流だったのだが、最近は女生徒から声をかけるのも珍しくないのだとか。


(すごいわ。みんな積極的なのね)


 昨年のブリジットはジョセフの婚約者として参加したが、もちろん今年は特定の相手はいないわけで。


 ふと、当たり前のように脳裏に浮かぶ顔があった。

 青髪に黄色い瞳をした、凛々しい美貌の人の姿が。


(ユーリ様を、誘ってみようかしら……)


 と、自然に考えたところで我に返る。

 だってそれはもはや――相手に好意があると言っているも同然ではないだろうか。


(そっ……そんなの無理!)


 想像しただけで顔が熱くなる。

 高鳴る胸の鼓動をなんとか掻き消そうと、ブリジットは傍らのキーラに話しかけた。


「キーラさんはどうするの?」

「わたしは、ニバル級長を誘ってみようかなと思っています」


 ブリジットは「え!」と仰け反ってしまった。まさか二人はいつの間に恋仲だったのか。

 しかしキーラはあっけらかんとしている。


「知らない方と行くよりは、知っている人のほうがマシかなって」


 ニバルが聞いたら落ち込みそうな理由である。

 どこか達観した目で言うキーラは、きっと結構な数の男性から声をかけられているのだろう。


(キーラさん、可愛いものね)


 以前のキーラは長い髪の毛で顔を隠すようにして、いつも俯いていた。

 話しかけると、びくびくしながら小さな声で返事をしていた。しかし現在のキーラは整った顔もよく見えるようになり、その頃よりずっと溌剌としている。男子にもてるのも当たり前に思える。


「ブリジット様は?」


 そして当然のように聞き返されてしまった。

 会話の流れとしてはごくごく自然なのだが、ブリジットはうっと言葉に詰まる。


「わ、わたくしは……別にその。仲のいい殿方とかはあんまり、だから……」

「そんなに深く考えなくてもいいと思います。誰だってプレゼントをもらえたら嬉しいでしょうし」


 笑顔のキーラに言われ、「そう……かしら」とブリジットは呟く。


(そう……そうよね。ユーリ様には何かとお世話になっているもの!)


 そう思うと、少しだけ気持ちが楽になってくる。

 ユーリは何度もブリジットのことを助けてくれた。夏期休暇前には非常に高価な髪飾りを贈ってくれたこともある。


 しかし、今のところブリジットはろくなお返しをできていないから――だから建国祭に向けて、ユーリへの感謝を込めたプレゼントを用意する。

 それなら別に、何もおかしくはない。そのはずである。


 舞踏会に誘う勇気は出ないけれど。

 ただプレゼントを渡すだけならば、きっと変には思われない。


(そう、深い意味はないわ。これはお礼よお礼! ただのお礼!)


 お礼、お礼、と心の中で誰かに向かって、必死に言い訳をする。

 胸ポケットから顔だけを出したぴーちゃんが、呆れたように『ぴー……』と囀っていた。



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