第三部

第79話.上の空の女子会

 


 オトレイアナ魔法学院。

 数々の魔術師を輩出してきた名門学院である。


 しかし一日の授業を終えた放課後の時間は、他の学舎と特に変わりなく、気の抜けた生徒たちによって花めくものである。


 ――話し声や笑い声で賑わう食堂。

 とある四人がけのテーブル席もまた、かしましい声で満たされていた。

 格調高い赤のネクタイを胸元に着けた彼女たちは、全員が最上級生の二年生だ。


「あーん、可愛いっ!」

『ぴっ。ぴっ』

「ぴーちゃん。こっちおいで!」

『ぴーっ』


 女子二人の歓声を一身に浴びているのは、一羽のひよこ。

 黄色い羽毛は胸元から赤いグラデーションが掛かり、美しい色合いをしている。

 満更でもなさそうにテーブルの上をてちてちと歩く生き物の正体は、フェニックスと呼ばれる精霊だ。


 今までに一度もその姿が確認されることはなかった、伝説の精霊フェニックス。

 しかし学院では、人間と契約精霊の関係や魔力の使い方にこそ主眼を置き、精霊の種族によって差別をすることは禁じられている。


 精霊は等しく慈しむべき奇跡の結晶であり、また、人間と精霊は共に助け合うべきである――それが精霊信仰を掲げるレヴァン教の教えのためだ。


 そのためむやみに騒ぎ立てないようにと教員から達しがあったものの、周りのテーブルからは、ちらほらと愛らしい精霊の様子を覗き見る学生たちも居るのだった。


「今日も元気だね、ぴーちゃん」


 皿の間を歩き回るぴーちゃんを微笑みながら見つめているのは、黒髪の美少女キーラだ。

 しかしその声を聞いたとたん、それまで女の子と戯れきゃっきゃしていたぴーちゃんの動きが停止した。


「どうしたの? 適度な運動はより上質なお肉を作るから、もっと歩けばいいのに」

『ぴ……!』


 がたがたがた、と震えだしたぴーちゃんが、頼りの契約者の胸元へと飛び込む。

 しかしポケットの中に羽毛が潜りきっても、その人が反応を示すことはなく――、


「ブリジット様は、なんだか元気がないですね」


 隣の席のキーラにおずおずと話しかけられ、ブリジットは我に返った。


 燃えるような赤い髪の毛に、翠玉エメラルドの瞳。

 よく通った鼻梁に、艶やかに光る小さな唇。

 化粧はやや濃いものの見目麗しい少女の名は、ブリジット・メイデルという。


「あっ。ご、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて……」


 オホホと笑い、誤魔化すようにティーカップを傾けるブリジット。

 そんな彼女に、対面の席から憧れの眼差しを向ける女生徒たち。


 "赤い妖精"という悪しきあだ名をつけられ、周囲から距離を置かれていたブリジットだったが、徐々にクラスメイトたちとの仲は良好になりつつある。

 本日も女子たちに誘われ、四人で放課後のお茶会をしていたのだった。


(本当はニバル級長も来たがってたけど……)


 男は立入り不可と蹴散らされ、ニバルは渋々退散していった。

「仕方ないからユーリでも構ってきます」と教室を出て行ったニバルだが、今頃は共に読書でもしているのだろうか。案外仲の良い二人である。


「それにしても、すごいです。神殿訪問の代表者としてブリジット様が選ばれるなんて!」

「本当に。私たちのクラスの誇りだわ」

「大袈裟よ、二人とも」


 来週末に控えた神殿訪問には、ブリジットの他にユーリも代表として選出されている。

 五歳の頃に行ったきりで、それ以降神殿には行ったことがないので、ブリジット自身もその日が楽しみではあった。


 何よりも楽しみなのは、精霊博士と再び会えることだ。

 先日はあまり話す時間もなかったが、晩餐会には彼も参加するはずなので、そこで会話の機会もあることだろう。精霊博士を目指す身として、訊いてみたいことはいくらでもある。


 だが、そうやって別のことに意識を向けようと思うものの……気がつけばブリジットの思考は、闇の中に落ちていくように他のことを考えている。



『お前を許してやる。本邸に戻ってこい、ブリジット』



 実の父親であるデアーグにそう告げられたのは、つい先週のこと。

 ブリジットを視界に入れることすら厭い、本邸から追い出した張本人が別邸にやって来て口にしたのは、そんな信じられない言葉で。


 どうして、と力なく吐き出したブリジットを冷たく見下ろし、デアーグは言った。


『どうしても何も、決まっているだろう。お前の契約精霊がフェニックスだと分かったからだ』


 既にその情報を、デアーグが掴んでいたことには驚かなかった。

 炎の一族の当主であるデアーグならば、魔法学院内部の情報を仕入れる手段はいくらでもあるだろう。


 それにぴーちゃんがフェニックスとして羽ばたいた姿は、学院中で目撃されたのだ。現在は一年生である義弟が父に報告したとしてもおかしくはない。


 黙り込むブリジットに、デアーグは一方的に告げた。


『建国祭の日までには答えを出せ』


 つまらなそうな顔で踵を返し、一度も振り返らなかった。

 その後ろ姿を、ブリジットは呆然と見つめた。侍女のシエンナに不安げに見守られたまま、しばらく動けなかった。


 父は選択肢を、ましてや猶予を与えたわけではない。

 ただ、どちらか決めろと言ったのだ。


 本邸に戻るか。

 あるいは――当主の意に沿わない人間として、別邸から出るか。


(お父様が私を本邸に戻そうとするなんて、思いもしなかった……)


 だが喜びはなく、悲しみもなかった。より正確には、自分が何を思っているのか分からないのだ。


 学院を卒業したら、別邸からも追い出されるだろうと薄々感じていた。

 あの家にもう、ブリジットの居場所はないからだ。

 だから精霊博士を目指し、卒業と同時に家を出ようと思っていた。ひとりで生きていくつもりだったからだ。


 そのつもりだったのに。


(私の契約精霊が、微精霊じゃなくてフェニックスだったから)


 だから取り替え子チェンジリングと罵ったブリジットであっても、致し方なく連れ戻すことにしたのだとデアーグは言い切った。

 フェニックスの契約者なら、父にとっては価値があるから。


(馬鹿馬鹿しい…………)


 そう思うはずなのに、撥ねつけられなかった。

 炎を克服しても、父への恐怖は未だに拭えないのか。


 それとも。

 今も自分の中には、父と母に愛されたいと願う気持ちが残っているのだろうか――。


「あの――やっぱりブリジット様は、オーレアリス様とそういう関係なんですか?」


 暗く落ち込みそうになっていると、ふとそんな声が聞こえた。

 慌てて顔を上げる。正面席に座ったクラスメイトが、興味津々の顔で身を乗り出している。


 気がつけば三人ともがブリジットに注目していた。

 気を取り直すつもりで、ブリジットは小さく咳払いをする。


「えっと、そういう関係って?」


 質問の意味が分からず、どういうことかしらと首を傾げてみる。

 すると、彼女はぽっと頬を赤らめて。



「つまり、ええと……お二人は恋仲なんでしょうかっ?」



(…………はぁああっ!?)


 と大声で叫ばなかったのは、ブリジットの淑女としての矜持だった。



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