第77話.三度目の勝負の行方

 


 白い花を所々に散らせながら、爽やかな緑色のつたが這う四阿あずまやの屋根。

 そのテーブル席に、いつものようにユーリとブリジットは向かい合って座っていた。


 ユーリは本を読んでいるが、ブリジットは四阿の外の景色をじっと眺めている。

 ここ最近の出来事を思い出すと、とても読書する気にはなれなかったのだ。


 ――事件があってから、丸二日が経っている。


 ジョセフが起こした一連の騒ぎは学院に留まらず、もちろん王宮にも伝わっている。

 彼は二人の兄に次いで王位継承順位を有していたが、それは剥奪されることになるのだろう。


 騒動の代償というよりは、契約精霊を失ってしまったためだ。

 ジョセフは【魔切りの枝】を神殿外に持ち出し、あまつさえその魔道具を操った精霊によって契約を打ち切られたのだから。


(フィーリド王国は精霊の力と助けあってこそ、繁栄してきた国……)


 その全てを否定するようなやり方をしたジョセフが、許されるはずもない。


 担架に乗せられて運ばれていく最中も、彼はずっとブリジットのことを見ていた。

 焦がれるような、憎んでいるような、縋りつくような――。

 異様な輝きを放つ瞳からブリジットは目を逸らせなかったが、ユーリが手を引いて背中に庇ってくれたから、それ以上は何も見ないで済んだ。


 あれからジョセフは姿を見せていない。

 もう二度と、生徒として学院に通うことはできないのだろうが。


 それにジョセフの協力者であった神官長と、薬草学担当教員であったイナドについても取り調べの真っ最中だという。


 神官長は数年前から王族であるジョセフにおもねり、自身の優遇と引き換えとして、今回の【魔切りの枝】だけではなく以前は魔力水晶まで持ち出させていたことが明らかになった。


 イナドには、王宮での文官登用試験に不合格だった過去があるらしい。

 鬱屈としつつ教員を続けていたところをジョセフに目をつけられ、父親より上の官職を与えるという甘言に惑わされて協力したと白状している。


(ジョセフ殿下がぴーちゃんのことを知っていたのは、魔力水晶を使ったからだったのね……)


 つい最近まで眠りについていたぴーちゃん。

 そんなぴーちゃんの正体を、誰よりも早くジョセフは知っていたのだ。だからぴーちゃんとブリジットの契約を断ち切ろうと画策していた。


『ぴぃ……』


 小さな鳴き声は、ブリジットの制服の胸ポケットから聞こえてきた。

 左手で優しく掴んで持ち上げてみると、丸くなっているぴーちゃんが出てきて――何か夢でも見ているのか、もにゅもにゅ、と嘴を動かす動作が可愛らしい。


「すっかり元通りだな」

「……はい」


 いつの間にこちらを見ていたらしい、ユーリの言葉に苦笑する。

 美しいフェニックスとして覚醒したぴーちゃんだったが、今ではひよこの姿に戻ってしまっている。


 というのもジョセフが運ばれていったあと、にっこりと笑ったキーラが言い放った一言が原因である。


『やりましたね、ブリジット様! 食べられる部位がかさ増しされました!』


 キーラとしては、場の雰囲気を和やかにしようとしたのだろう。……たぶん。

 だが、その言葉にフェニックスは震え出して、伸ばした羽の中に隠れてしまったのだ。

 かと思えば次の瞬間には、嘘のように小さなひよこだけが頼りなくブルブルしていた。


 キーラはがっかりしていたが、ブリジットはちょっぴり嬉しかった。

 あんまり強そうではないけれど、愛嬌のある姿をしたぴーちゃんのこともとても好きだから。


『ぴ……』


 ふふ、と微笑んだブリジットは、胸ポケットへとぴーちゃんを戻してあげた。


 白い手に、以前のように手袋は着けていない。

 ブリジットを苦しめ続けてきた傷は、ぴーちゃんが癒してくれたからだ。


 それを聞かせるとシエンナは泣いて喜んで、他の使用人たちも瞳を潤ませていた。

 彼らが心を込めて贈ってくれた手袋はブリジットにとっては宝物で、今も自室の飾り棚に保管してある。これからもずっと大切にし続けるつもりだった。


(それに、リサさんのこと……)


 なんとリサは、キーラと共にブリジットに謝罪してくれた。

 以前、試験の際に筆記用具を盗んだのはキーラだと本人から聞いていたが、それを指示したのはやはりリサだったそうだ。


 元々ブリジットを嫌悪していたリサだが、その感情を憎悪にまで育てたのは間違いなくジョセフの言動だったのだろう。

 泣きながら頭を下げるリサの姿は、ジョセフの言いつけばかり聞いて苦しんだ、過去の自分を見ているようで――だから、リサを必要以上に責める気にはなれなかった。


 近頃はキーラと一緒に、少しずつだがリサは寮の外にも出るようになったらしい。

 そうして、いろんな事件は起こりつつも、大体のことは丸く収まったように思えていたのだが。


「……それで、勝負の件だが」


 パタン、と少々間の抜けた音がして。

 本を読み終わったらしいユーリの言葉に、ブリジットは肩を強張らせた。


 ユーリとの三度目の勝負。

 中央神殿による学院視察で、神殿で開かれる晩餐会に招待を受けたほうが勝ちという、今回も極めて単純な勝負内容だったのだが。


「引き分けだな」

「……はい……」


 ユーリの言葉に、消沈しつつ頷くブリジット。

 そう、今日の授業終わりに達しがあったのだ。



 神殿に招かれる二年生は、ユーリとブリジットに決定した――と。



(――また引き分けだなんて!)


 思わず唇の端をぎゅむっと噛んでしまうブリジット。


(私、一回もユーリ様に勝ててないんだけどっ!)


 一度目の勝負は引き分け、二度目はユーリの勝利。

 三度目はまたもや引き分けである。


 今回は試験のように、実力がどうという話ではない。

 というかブリジットは面談自体を受けていなかった。ただ二日前の騒ぎの件を鑑みれば、神殿としては渦中の人物となったブリジットを呼ばないわけにはいかなかったのだろう。


(むしろ私、ちょっと卑怯なんじゃ……?)


 そんな思考を読み取ったわけではないだろうが、ユーリが頬杖をついてこちらを見ていた。


「結局、神官たちの選り好みだ。僕が二年連続で選ばれたのは、オーレアリス家の子息で、しかも最上級精霊と契約しているから」

「そんな……」

「今年はお前の弟も選ばれているだろう。そいつも伯爵家の人間だし、イフリートの契約者だ」


 夢も希望もないことを言ってのけるユーリ。

 彼の言う通り、確かにそういう側面もないとは言い切れないのだと思う。


 顔もよく知らないブリジットの義弟は、最上級精霊との契約だし。

 もうひとりの一年生の代表者は、中級精霊と契約しているそうだが……というかそもそも、一学年にひとりずつ最上級精霊の契約者が居るという時点で異常である。


(ぴーちゃんも、最上級精霊なのかしら?)


 炎と光の精霊、フェニックス。

 フェニックスが出現させた光の柱を目撃した生徒も、かなり多かったらしい。


 というのも、夏期休暇中に続いて似たような光の柱が出現したのだ。

 近頃はブリジットの契約精霊について学院内で噂になっているという。


 だがマジョリーを始めとする教員たちがむやみに騒ぎ立てないように、と注意してくれたおかげで、今のところ注目はされるものの詰問されるような目には遭っていない。

 マジョリーによれば、精霊博士や大司教たちが口添えしてくれた部分も大きいらしい。

 あの日以降、精霊博士たちの姿は見ていないものの、無論彼らとは神殿で顔を合わせることになる。


(それに……)


 思い返すと、どうしても気になることがあった。


 あの日のジョセフの残忍な言葉や横暴な振る舞いを思い返すと、今も恐怖が甦るが。

 ……それ以上に、気に掛かっているのは。


「……ユーリ様」

「なんだ」

「――あの日、壁越しに……わたくしが言ったことって、聞こえました?」


 数秒だけ、ユーリは沈黙した。

 ブリジットは彼の顔を見られなかった。


「いや、何も」


 だが、答える声に動揺はなかった。少なくともブリジットにはそう思えた。


(良かった)


 ようやく、ブリジットは重い呼吸を吐き出す。


 もう駄目かも、と追い詰められた瀬戸際で、ユーリのことが好きだと言ったこと。

 近くにしゃがんでいたジョセフには聞こえただろうが、ユーリには告白の言葉は届かなかったのだ。


 良かった、と思う。

 それなのに、どうしてだろう。


 安堵の吐息を吐く傍から、胸がずきずきと痛んで仕方がない。

 ともすれば涙さえこぼれそうなほどに、苦しい。


(どうして私、ガッカリしてるの……?)


 ――本心ではユーリに、聞こえていてほしかったのか。


 自分でもよく分からないから、うまく表情が作れなくて。

 戸惑うブリジットに、ユーリが口を開いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る