第69話.連れ出された先に
あっという間に、神殿の神官による学院視察の日がやって来た。
ブリジットにとってはユーリとの勝負があるので、否応なしに朝から気合いが入る。
(でも実は、特別なことをやる必要はないのよね……)
生徒はひとりずつ別室に呼び出され、神官の前で精霊を召喚する。
そのあとは、ひとり数分間から十分間ほどの短い時間、生徒と神官に精霊博士、それに時折精霊を交えて面談する。
そして後日、神殿に招かれる生徒の名前が学院を通して発表される――という、極めてシンプルな内容である。
教育プログラムとしてどの魔法学院にも埋め込まれているので、魔石獲りなどの実技試験と比較すれば穏やかな行事だ。
といっても昨年のブリジットにとっては地獄だった。その頃は微精霊と契約していると思っていたし、それを呼び出す術も知らなかったためだ。
気まずげな神官に精霊博士の二人と、ボソボソと弾まない会話をした数分間は、胃が痛くなるほど辛かった。
(でも今年は、ぴーちゃんと一緒だから!)
ブリジットが拳を握ると、呼応するようにポケットから『ぴー!』と元気な声が返ってくる。
生徒は一学年ごと百人近いので、面談は四日間に分けて行われる。
三日前からの二日間で、一年生全員が神官との問答を終えている。
昨日は二年生の三クラスが、そして今日は残った二クラス――ブリジットのクラスと、ユーリのクラスの番というわけだ。
(そういえばあれから、ジョセフ殿下は家まで来なくなった)
待ち時間の間、図書館で借りた本を読みながらふと思う。
教室の真ん中ではっきりと拒絶したからだろうか。あれからジョセフは家まで押しかけてきたり、学院内で話しかけたりもしてこなくなった。
さすがにもう、ブリジットに何かしてくる気はなくなったのだろう。
そう思うと安心する。でも、そんな自分自身が少し悲しかった。
幼い頃はジョセフのことを唯一の味方のように感じていた。
頼りにしていたし、憧れていた。だが、今となってはジョセフのことが何も分からない。
(というより私は……そもそも、ジョセフ殿下のことをよく知らないのかもしれない)
「ブリジット様。わたし、今日もリサ様に会いに行ってきますね」
物思いに耽っていると、席を立ったキーラがこっそりと報告してきた。
キーラは既に面談を終えている。寮に戻り、未だに自室に引き籠もっているというリサのところに行くつもりらしい。
ブリジットは少し考えてから席を立った。
「それなら、今日はわたくしも一緒に行くわ」
「えっ、でも……」
「元々わたくしも、無関係じゃないもの」
待ち時間中は自習が推奨されているが、お喋りに興じていたり、呼ばれるまで教室を出ている生徒も多い。
後半のブリジットの順が回ってくるまでは、まだ時間がある。今、不在にしても問題はないだろう。
キーラは躊躇いがちの様子だったが、やがて「分かりました」と頷いた。
夏期休暇前からリサの元に通っているキーラだ。いつまでも話に応じないリサに限界を感じていたのかもしれない。
二人で、念のために級長であるニバルにも報告しておくことにする。
「ニバル級長。わたくしたち、ちょっと寮に行ってくるわね」
「俺もご一緒しましょう」
即座に立ち上がろうとするニバルを、ブリジットは慌てて制した。
「ちょっと待って。そろそろ級長は面談の順番が回ってくるでしょう?」
「そんなことより、ブリジット嬢が大事――いえその、ブリジット嬢の用事が大事ですから」
「何言ってるの。級長としてみんなの模範になってちょうだい」
呆れたブリジットが言うと、「あ、はい……」としおしおニバルが着席する。
そんなニバルを、何故か哀れむような目でキーラやクラスメイトたちが眺めていた。
「やめろぉっ。俺をそんな目で見るな……!」
「行きましょう、ブリジット様」
「え、ええ」
何やら苦悶の声を上げているニバルの前を通り過ぎ、ブリジットたちは教室を出る。
「メイデル。少し手伝ってもらえるか?」
声をかけられたのは、間もなくのことだった。
立ち止まり振り返ると、廊下に立っていたのは薬草学の若い男性教師――イナドだ。
初夏にあった筆記試験の際に、ブリジットが血文字を使って試験に解答したため怒り狂い、満点の解答用紙を零点にされてしまったのだ。
その件については当時も謝罪したものの、未だにちょっと気まずい。
気を遣ってか、キーラがおずおずと進み出た。
「先生、それならわたしが手伝います。もう面談も終わってますから」
「ああ、大丈夫だ。メイデルひとりに手伝ってもらえば問題ない」
キーラが首を傾げる。
ブリジットも眉根を寄せたが、ここでいつまでも問答しているわけにはいかない。
「分かりました。……キーラさん、先に寮に行っていてくれる?」
前半は教師に、後半はキーラに向けて言う。
キーラが頷いたので、ブリジットは教師の先導で歩き出した。
「先生、手伝いというのは?」
「ついてきてくれれば分かる」
きっぱりと言う彼に続き、しばらく無言で廊下を進む。
二階から一階に下りると、さらにいくつか廊下の角を曲がり、やがてあまり馴染みのない会議室や物置の区画まで入ってきた。
シンと静まりかえった部屋の横を歩いていると、さすがにブリジットも疑問に思い始めてくる。
(授業のお手伝いだと思ってたけど、なんのお手伝いなのかしら……?)
それに今日は面談の日だから、授業の準備は週末明けで問題ないはずなのだが。
「あの、先生」
「そろそろ着く」
しかし取りつく島もない。
そのまま立ち止まらず歩いて行くと、やがて男性教師が目の前のドアを指し示した。
「ここだ」
言いながら古めかしい鍵を取り出し、ドアを開ける。
狭い部屋の中には所狭しと、授業の道具だろう巻物や箱なんかが転がっている。
促されるまま入室すると、中はかなり埃っぽく、ジメジメとしていた。
教室のある区画に比べて、このあたりは清掃が行き届いていないらしい。
「では先生、何を――」
運びましょうか、と言いかけた瞬間。
バタン! と後ろでドアが閉められる。
ブリジットは振り返りざまのポーズのまま固まった。
外から忙しなく鍵を閉め直す音と共に、くぐもった声が聞こえる。
「……悪く思わないでくれ」
(フツーに悪く思いますけどっ!?)
文句の言葉を寸前で呑み込む。
ユーリとのやり取りのノリで返すわけにはいかない。逆上されると、より状況が悪化するかもしれないからだ。
ブリジットは口元を自ら覆い、大人しく沈黙していた。
その反応に満足したのか、足音は次第に廊下の向こうへと離れていく。
それを確認してから、口の覆いを外す。
とりあえずドアに駆け寄って取っ手を回そうとするが、やはり鍵がされていて開かない。
次に室内を見回す。
高いところに小さな天窓がついているので、薄暗いながら手元は見えるのだが、ブリジットが棚に乗っても届かない位置である。
(その他、脱出できそうなところは……)
真剣に見回しながら、考える。
あの教師にこんなことをされる理由として、思い当たるのはひとつ。
(やっぱり、嫌がらせ?)
筆記試験でのブリジットの行動に彼が憤怒し、いろんな教室で触れ回った件は知っている。
しかし既に二ヶ月以上も前の話だ。今さらこんなことをする意味がよく分からない。
溜め息を吐いていると。
「――やあ、ブリジット」
暗がりから、悠然と進み出てきた影があった。
逆光に照らされたその人物の顔と身体を、濃い陰影が彩っていて――しかし親しげなその呼び声を、違えたりはしなかった。
ブリジットは目を見張る。
「ジョセフ殿下……」
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