第68話.三度目の勝負

 


 翌日。

 シエンナに送り出されたブリジットは、意気揚々と学院に向かった。


 別のクラスのユーリに会えるのは、主に放課後の時間に限られるため――もどかしい気持ちを抱えながらも、授業の時間を過ごす。


 先日教室の真ん中で『好きな人が居る』発言をしたからか、クラスメイトはどこか遠巻きにブリジットを見つめていた。

 しかしその多くは、羨望を含んだ眼差しである。

 貴族令嬢でありながら、堂々と告白に近い真似事をしたブリジットだったが、呆れるというより意外と感心されたのだろうか。


「う……っブリジット嬢……」

「級長、そんなに泣かないでください。元々望みは皆無だったんですから」

「お前はほんと俺に容赦ねえな!?」


 級長であるニバルはなぜか涙ぐんでいて、そのたびキーラに励まされているが……申し訳ないが、今日はそれどころではないのだ。





(今日は――なんとなく、図書館!)


 放課後は四阿に向かおうとしたブリジットだったが、勘によって足を止めた。

 くるりと足の向きを変え、図書館へと突き進んでいく。


 そしてこの勘は、今まであまり外れたことがない。


「ユーリ様!」


 ――思った通りに。

 図書館の閲覧スペースで、いつものように本を読んで……はおらず、なぜか天窓を見上げて黄昏たような表情をしているユーリに声をかける。


 呼びかけると、ユーリはゆっくりと視線を下げてブリジットを見たのだが。

 どこか元気のない様子でボソリと言った。


「すまない」


(え?)


「今日はお前と話すだけの気力がない」


(ええっ!?)


 思わず愕然とするブリジット。


 冷静沈着にして傲岸不遜。

 あのユーリ・オーレアリスが、まさかこんなことを言い出すなんて。


 ブリジットは顔を青くして、ブルブルと肩を震わせた。

 慌ててユーリに近づき、長机をバンと叩く。


「どうしましたのユーリ様。道ばたに生えているキノコでも食べましたのっ!?」

「そんなわけないだろう」

「キノコじゃないなら、いったい何を……」

「そもそも拾い食いはしていない」


 否定する声にもどこか覇気がない。

 表情もどんよりとしていて、調子が悪そうだ。


(もしかして、風邪とか?)


 否、この尋常でない様子からして、何かの病気だろうか。


(大変だわ!)


「すぐに医務室に行きましょう! わたくしが付き添いますわ!」

「……それで、本命はどちらなんだ?」

「は?」

「あのパティシエと、クリフォード。どちらだ?」


(何言ってるのこの人)


 ブリジットはしばし固まった。やっぱりキノコの拾い食いをしたのだろうか。

 しかし数秒考え込んで、はっと気がつく。


 パティシエ――つまりカーシンとクリフォードの話。

 そうなれば、昨日の話の続きに決まっている。


「だから、それはカーシンも先日説明したのでしょう? わたくしと彼は、主人と使用人という関係ですわ」


 実際は、家族のように……より正しくは、家族以上に身近で大切な存在だ。

 だが今、それを発言すると話が余計に拗れる気がする。

 そのためブリジットはカーシンの説明をなぞる形で言い切ったのだが。


「いや、アイツはそんなことは――」


 何かを言いかけたユーリが、口を噤む。


「? なんですの?」

「……いや……」


 妙に歯切れが悪いユーリに、ブリジットは苛立ってくる。

 だってこんなのは、ちっとも彼らしくない。


(ユーリ様はいつも嫌みったらしくて、毒舌で、すぐ『馬鹿』とか言う失礼な人で、それで……)


 ――それで、いつも自信に満ち溢れていて、格好良いのだ。


 そういう人だから、そんな予定じゃなかったのに、いつのまに惹かれてしまったのだ。


「それと、クリフォード様のことですけど」


 ユーリが物憂げにこちらを見つめてくる。

 扇を取り出そうとして、しかしこの期に及んで誤魔化すわけにはいかないと気がつき、ブリジットはユーリと机を挟んで向かい合った。


「とても素敵な方だとは思いますけど……それだけ、ですわよ」

「……それだけ?」

「だ、からっ――」


 羞恥のあまり発汗して、顔が見る見るうちに赤くなっていく。その自覚がある。

 心臓がどくどくと音を立てる。喉が干上がるみたいに渇く。


 でも昨日のように逃げ出すわけにいかなかったから。

 スゥ、とブリジットは息を吸う。



「わたくしの好きな人は――――べ、別です!」



 大音声の宣言が、広い図書館内に響き渡った。


 別です、別です、別です……と、どこまでも耳元に、甲高い音が木霊していく。

 そうして我に返ったブリジットは、頭を抱えたくなった。


(べ、別って……もっとマシな言い方があった気がする!)


 だが、言ってしまった以上は致し方ない。

 しゃがみ込みたいところだったが、そこはふんぞり返って耐える。


「…………別か」


 力が抜けたように、ユーリが呟いた。


「そうか。……なら良かった」


(良かった?)


 ユーリの言い回しが不思議で、ブリジットは首の角度を直した。

 そして間近にあるその表情を見て、虚を突かれる。


 ユーリは笑っていた。

 でもなんで、そんな――心底、安心しきったみたいな顔をしているのだろう。


(まさか……)


 ……いや。

 いやいやいや。

 自惚れるのはやめよう、とブリジットは自分の頬を思いきり引っ張る。


 そうでもしないと、うっかりいろいろ、言ってはいけない言葉が口から出てきてしまうかもしれない。


(き、気のせいよ気のせい。ユーリ様は私のことなんて、なーんとも思ってないもの!)


 競争相手のブリジットが腹心に惚れ込んだとなれば、何かと面倒くさいだろう。

 だから誤解だったと知り、安堵した――そうだ、きっとそんなところなのだ。


(――そうだわ、勝負!)


 今日のもうひとつの用件を思い出し、ブリジットは指を立てた。

 というよりそれは、半ば話題を無理やり変えるための苦し紛れの策だったのだが。


「ユーリ様。最近は夏季休暇もあって、なかなか勝負事どころではありませんでしたが」

「……三度目の勝負か」


 ユーリがふむ、と顎を撫でる。

 ブリジットと同じくらいに負けず嫌いな彼の瞳には、既に闘志がちらついているようだ。


「ええ。今週末、中央神殿による学院視察があるでしょう?」


 神殿とは精霊を信仰する団体のことである。

 五歳を迎えた子どもたちは必ず最寄りの神殿へと赴き、神聖なその場で精霊と契約を結ぶこととなる。


 そしてオトレイアナ魔法学院には、一年に一度、中央神殿より視察の神官が派遣されるのだ。

 視察の際に、精霊との関係をよく育めていると評価された数人の生徒は神殿に招かれ、大司教も同席する晩餐の場に招待されるという慣習がある。


 ブリジットが提案したのは、その晩餐に招かれたほうが勝ち、というシンプルな勝負である。


「だがそれだと、僕がかなり有利だが」

「構いませんわよ。そのほうが燃えますもの」


 長い髪を掻き上げ、ふふんと不敵に笑ってみせるブリジット。

 ユーリは昨年、ジョセフと共に代表生徒に選ばれて神殿への招待を受けたのだ。

 それはもちろんブリジットも知っているが、今年はまだ決まったわけではない。


「それに、大丈夫なのか?」

「え?」

「ぴーのことだ。まだ、どんな精霊か分かっていないのに」


(心配してくれてる……)


 ユーリの言葉に思わずときめきそうになったブリジットは、首を勢いよく横に振る。


「大丈夫ですわ! むしろ、ぴーちゃんのことが分かるいい機会ですもの!」

『ぴ!』


 元気良く、胸元のポケットからも返事が返ってきた。

 ひょっこりと顔を出したぴーちゃんに、ブリジットはにっこりと笑いかける。


 昨年の学院視察の際は、神官に見向きもされなかった。

 だが今年は違う。

 ぴーちゃんと一緒ならば、なんだってできる気がするのだ。


(現在の私の戦績は、一敗一分け……)


 今回こそは、という意気込みで。

 ブリジットは生き生きと叫んだ。


「では、勝負ですわユーリ様! 次こそは勝ちますので、そのつもりで――」

「あ、あのう。図書館ではお静かに……!」


 そこにおっかなびっくりとやって来た、見慣れた眼鏡の司書に注意されて。

 慌ててブリジットは平謝りする羽目になったのだった。



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