第66話.疑いの目
(なんなんだろう、いったい……)
その日、クリフォード・ユイジーは混乱の最中にあった。
というのも、何やら尋常ではない空気をひしひしと主人から感じるからである。
ユーリ・オーレアリス。
クリフォードの主である彼は、"氷の刃"と喩えられる凍てつくような瞳の持ち主ではあるのだが、今日ほどクリフォードがその言葉の意味を痛感した日はないかもしれない。
そう。
先ほどからクリフォードに注がれているのは――言うなれば疑念の目、である。
ユーリが学院から帰ってきて、プライベートルームである書斎に入ってから。
何故だか気がつくと、そんな目でじーっと見られているのだ。
(今朝はふつうだったけど……)
だがその理由に心当たりがない。
気づかない振りをして今日は下がり、主人の機嫌が直るのを待つべき場面かもしれないが、これで明日も刺すような視線で見られては堪ったものではない。
耐えきれなくなったクリフォードは、恐る恐ると背後を振り返った。
じっとりと細められた瞳と目が合う。疑念の目は、何かを観察するような鋭さも秘めている。
「あの、ユーリ様……」
「……なんだ」
いや、「なんだ」はこっちの台詞である。
嘆息したい気持ちをどうにか押し隠しながら、クリフォードは丁寧な口調で問うた。
ただそれだけ、伝えておきたかったのだ。
「何か私の仕事について仰りたいことがあるならば、どうかご指摘ください」
ユーリが小さく目を見開いた。
そう――思うことがあるならば、いつものように遠慮せず率直に口にしてほしいのだ。
そして今まで、言い方に難はあるものの、ユーリの発言にクリフォードが反発を抱いたことは一度もない。
逆に言うならば、納得がいかなければとことん話し合う気概なのだ。
クリフォードとしては、八年ほどの付き合いでそれだけの関係を培ってきたつもりである。
そんな思いが伝わったのか。
ユーリはぐしゃりと頭を掻き、柔らかそうな髪を少し乱すと。
「…………ならば訊く。クリフォード、お前」
「はい」
クリフォードは直立不動の姿勢となり、ごくりと唾を呑み込む。
ユーリはこれ以上なく鬼気迫った様子だ。何かとんでもないことを訊かれるのだろう。
それを耳にする覚悟をどうにか一瞬のうちに整えると。
「ブリジットのことをどう思っている?」
(…………………………ん?)
クリフォードの頭の中が、一瞬真っ白になった。
まったく意図が掴めない。なんの話だろう、急に。
「ええと……何故、私にそんなことを訊かれるのです?」
「極めて重要なことだからだ」
さっぱり意味が分からないが、ユーリは至って真剣である。
とにかく今日、ブリジットとの間に何かあったのは間違いなさそうだ。
夏期休暇もずいぶんと親しくしていて、お互いの家を訪問したり、他の友人も交えてだが避暑地に遊びに行ったりと、順風満帆な様子だったのだが――。
(喧嘩をした、とかではないだろうし……)
それならば不機嫌そうにするだけで、クリフォードを睨んだりはしないはずだ。
顔には出さぬよう努めながら、ううむと考えるクリフォード。
クリフォードもオトレイアナ魔法学院に通っていれば状況を事細かに把握できただろうが、残念ながら一年前に卒業した身である。
それなら、ブリジット側から事情を探りたいところだが。
一瞬、ブリジットに仕えるオレンジ髪の侍女――シエンナの顔が浮かぶが、密かに交流が続いている彼女に手紙を送ろうにも、目の前の主人はクリフォードをこの場から逃がしてくれない様子だ。
「クリフォード?」
回答を急かされ、ますますクリフォードは戸惑う。
そうしながら必死に正解を探す。
(親しくしている男女……開放的な夏の季節を経て近づきつつある距離……)
焦ったあまり、ちょっぴりズレたことを考えている気もするが、概ね間違いではない。
さらにクリフォードは脳を回転させる。
(でも彼女のほうは、"赤い妖精"と蔑まれる立場で。…………そうか!)
そこで頭に電撃が走った。
そうだ。クリフォードが考えるより、この質問はもっと単純な意味合いなのではなかろうか。
(
うん。これだ。間違いない気がする。
最近の様子を見るにユーリはブリジットに惹かれている様子だ。
今まで他者にまったく興味を示してこなかったユーリが、ブリジットのために忙しく動く姿をクリフォードだって何度も目にしてきた。
だが微精霊と契約したブリジットと、最上級精霊二体と契約したユーリの立場は大きく異なる。
だからこそユーリは、他者からブリジットへの率直な感想を聞きたがったのではないか。
それならば話が早い。
ブリジットにはクリフォードも好感を抱いている。仲人になれるなら、これほど嬉しいことはない。
整った顔に、クリフォードは穏やかな笑みを載せた。
「そうですね。ブリジット様は、とてもお美しい方だと思います」
「……他には?」
「話してみると意外と気さくで、可愛らしいお嬢様ですよね。わざと偉ぶったような態度を取られることもありますが、照れ隠しのようで微笑ましいというか」
にこにこと晴れやかな笑顔でクリフォードはブリジットを褒めた。それは褒めちぎった。
「……つまりお前は、ブリジットのことが好きということか?」
「ええ、もちろんです!」
(私は応援していますよ、お二人のことを!)
そしてそこまで聞いた直後。
――ユーリの表情が一気に暗くなった。
(外したー!)
どうやらぜんぜん違ったらしい。
クリフォードは青ざめたが、そこに頭上から軽やかな声が降ってきた。
『気にすることないわよ、浅瀬さん』
「ウンディーネ……」
名前の意味そのもので呼びかけてくる水精霊を見上げる。
ちらりと見遣れば、ユーリは机に肘をついた姿勢で項垂れていて。
今ならバレないか――と思ったクリフォードは、ニヤニヤしているウンディーネにこっそりと訊いた。
「悪いけど、学院で何があったか教えてくれない?」
『え~? ワタシが? どうして?』
面倒そうなウンディーネだが、クリフォードが両手を合わせると渋々と降りてきて。
『仕方ないわね、今回だけよ?』
こしょこしょ、と耳元でウンディーネが囁いてくる。
少々こそばゆいが我慢し、精霊から一部始終を聞き終えたクリフォードは。
「……なんだその、哀れむような目は」
「いやぁ……」
ユーリが指摘する通りの顔をしてしまいつつ、小さく苦笑した。
(なるほど、そういうことか……)
まさかユーリが、ブリジットの好きな相手をクリフォードだと勘違いしていたとは。
どうしてそうなるんだろう、と不思議で仕方がないが、こう見えて女性との交際経験はないユーリのことだ。
乙女心というのを見当違いの方向に捉えたとしても、まぁおかしくはない。
……のかもしれない。
(でもブリジット様は、ショックを受けたかもしれないな)
話を聞く限り、やはりブリジットはユーリに気があるようだ。
そんな相手にほぼ告白に近い真似をしたのに、本人から誰が好きなのか確認されたとあっては、今頃落ち込んでいるのではないだろうか。
「ユーリ様。念のためお伝えしておきますと、私とブリジット様の間には何もありませんからね」
「……お前がそう思っていても、向こうもそうだとは限らん」
唸るように呟くユーリ。
そりゃそうなのだが、とクリフォードは溜め息を吐いた。
(これで自分の気持ちに無自覚って……)
見守る側としてはもどかしくて、いろいろと助言をしたいところではあるが。
しかし不用意なことを言って、ますますユーリとブリジットの関係がおかしなことになったら目も当てられない。
これ以上は、クリフォードが気にしても仕方のないことだろう。
(ブリジット様は大丈夫だろうか?)
ブリジットは侍女のシエンナと友人に近い関係のようなので、今頃同じような話をしているのかもしれない。
だがクリフォードは少し心配に思う。
シエンナはブリジットに対して忠実だが、同時に彼女を翻弄するような振る舞いもしている。
たぶん、年若い主人が可愛くて仕方がなくて、無意識にからかってしまうのだろうが。
(シエンナ嬢が、うまくブリジット様をフォローしていますように……!)
クリフォードはそう祈らずにいられなかった。
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