第64話.理解の外にある
その翌日。
ユーリと無事、仲直り――らしきことができたブリジットは、今朝は常より二時間ほど早く家を出た。
(だって、またジョセフ殿下に迎えに来られたら困るから……)
昨日はジョセフが別邸を訪ねてきたことに、侍女であるシエンナたちもかなり心配――もとい、怒り狂っていた。
ブリジットが婚約破棄された経緯については、シエンナたちもよく知っているのだ。
ジョセフ希望のピンク色のドレスの山を、彼女たちが炎魔法で燃やし尽くしたのも記憶に新しい。
今頃もしかして、ジョセフはまなじりを吊り上げた彼女たちの元に現れているのかもしれないが……。
(……これ以上、考えても仕方ないわね)
ブリジットは気を取り直し、手元のノートにペンを走らせる。
幸い職員室は開いていたので、自習のためと説明して許可をもらい、教室を開放してもらえたのだ。
そうして自習に励み、二時間ほどが経過すると。
ちらほらとクラスメイトたちが顔を見せ始め、そのたびブリジットは挨拶を返した。
昨日とブリジットのまとう雰囲気が違うからか、彼らの表情には安堵が浮かんでいる。
ニバルとキーラも、そのうちに登校してきた。
「ブリジット様、おはようございます」
「おはようございます、ブリジット嬢ー!」
「おはよう。……二人にも心配かけてしまったわね」
いいえ、とキーラが首を振る。
「とんでもないです。ブリジット様が元気になってくださったなら嬉しいです!」
「……殿下の件は大丈夫ですか? 俺に何かできることがあれば……」
声を潜めたニバルの提案には、ブリジットは「大丈夫よ」と応じた。
「彼のことは、自分で解決するべきだと思うから」
ジョセフの発言の真意は分からない。
だが、ジョセフが提案したようにもう一度やり直すつもりなど、ブリジットにはまったくないのだ。
『ぴ……』
それでも、不安に思う気持ちが伝染したのか。
胸ポケットからひょっこりと顔を出したぴーちゃんも、なんだか物憂げにブリジットの顎あたりを見上げてきた。
キーラが目を瞬かせる。
「あれ……? ぴーちゃん、少し大きくなってませんか?」
ぴーちゃんと仲良しなだけあり目敏いキーラである。いち早く変化に気がついたようだ。
ブリジットは感心しつつ「そうなのよ」と頷いた。
「昨日の朝、目が覚めたらちょっとだけ大きくなっていたの」
「そうなんですね……! お肉が増えるのはいいことだと思います」
キーラが両手を合わせてニッコリとする。
『ぴぇん……!』
すると聞いたことのない鳴き声を甲高く漏らし、ぴーちゃんがポケットに潜り込んだ。
「ぴーちゃん!? 大丈夫?」
尋常ではない様子なので、慌ててブリジットはポケットごとぴーちゃんを撫でてあげた。
「やっぱりお前、すごく嫌われてるよな」
「そんなことありません。級長こそぴーちゃんに距離を置かれているのでは?」
「あぁ!? 俺はブリジット嬢の契約精霊として、ぴー様のことも敬いお守りしているのであって――」
その間にも、いつも通りニバルとキーラが口げんかを始めている。
(なんだかんだ仲良いわよね、この二人……)
見た目だけだと、整った容姿ではあるが厳ついニバルと、小動物然とした美少女のキーラ。
一見すると縁遠そうなのだが、最近はそんな二人が言い争う姿もクラスの名物となりつつある気がする。
ほのぼのしつつ、鞄から荷物を取り出すブリジットだった。
◇◇◇
授業が終わり、放課後になると。
ブリジットは机の片づけを終え、さっそく隣のクラスに向かうことにした。
本当なら図書館かいつもの四阿で読書の時間を取りたいところだが、そうも言っていられない。
(ジョセフ殿下に、はっきりと断らないと)
既に昨日の朝、そう意志を伝えたつもりではあるが、あの様子では伝わっていないのだろう。
ならばジョセフが納得してくれるまで、言葉を尽くさなければならない。
(もうユーリ様に、『良かったな』なんて言われたくないもの!)
そう決意を新たに席を立ったところで、クラスが一斉にざわつき出した。
何事かと、クラスメイトたちの視線の先を辿り――ブリジットは思わず唇を噛み締めた。
先手を打たれた、と気がついたのだ。
お手本のような微笑みを浮かべて教室に入ってきたのは、隣のクラスのジョセフだった。
「やあ、ブリジット」
「……ごきげんよう、殿下」
固い挨拶を返すと、ジョセフは気にせず和やかに微笑した。
「今朝も迎えに行ったんだけど、君はもう出かけているって侍女たちに言われてしまって」
「……そうでしたか」
「それで、今日は一緒に帰れる?」
そう問われ、ブリジットは言葉を失う。
何故なら……オトレイアナ魔法学院に入ってからの、一年以上もの間。
(婚約者だったときは――私が何度お誘いしても、一緒に帰ってくださらなかったのに)
それなのに、どうしてそんな風に。
毎日、仲睦まじく過ごす恋人同士だったかのように振る舞うことができるのだろう。
硬直するブリジットを相手に距離を詰めようとするジョセフだったが、そこにニバルが割り込む。
立ち止まったジョセフは、胡乱げにニバルのことを見遣った。
「……何か用? 俺はブリジットと話してるから、邪魔しないでほしいんだけど」
元々は自身の従者候補であったはずのニバルを、鬱陶しそうにジョセフは見遣る。
ブリジットの心臓がどくりと脈打つ。
その、羽虫を見るような目に見覚えがあったからだ。
(私に婚約破棄を告げたあの日も、同じだった……)
あの日も、ジョセフは汚らわしいものを見るような目をして、ブリジットのことを容赦なく捨てたのだ。
それを思い出すと、身体に震えが走りそうになるが――必死に押さえ込み、ブリジットは毅然と顔を上げた。
「……いいの。大丈夫よ、級長」
ニバルに、助けは不要だと伝える。
未だジョセフを見据え――というか思いきりガンを飛ばしつつも、ニバルが横に退いた。
それでもニバルは――それにキーラや、数人のクラスメイトたちも、ブリジットの傍についていてくれる。
彼らの顔には第三王子を前にした動揺と緊迫があったが、この場から誰も逃げようとはしない。
そんなブリジットたちを、少しばかり意外そうな様子でジョセフは眺めている。
しかしジョセフはそれから、金の瞳にブリジットだけを映し出すと。
「それで、昨日の放課後はどこに行っていたの? 教室に居ないから困ったんだ」
「…………大事な用事がありましたので」
昨日の放課後なら、ユーリと話すためにすぐさま四阿に向かっていたのだ。
だが、それをジョセフに説明する必要はない。そう思ってブリジットはぼかしたのだが。
「……困るな、ブリジット」
「……?」
「俺が居るのに、他の男に会いに行くだなんて」
――教室内がシンと静まりかえった。
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