第60話.あなたがいたから
たったそれだけの短い言葉を聞いて。
高鳴る心臓の音が――彼の耳に届いてしまわないかと不安になって。
ブリジットは焦って口を開いた。
「わ、わたくし、心配されるほど……弱っちくありませんわ」
言ってから、まるで信憑性がないと自分でも思う。
(いつも、ユーリ様が助けてくれたもの……)
悲しいことがあったとき。どうしようもなく追い詰められたとき。
どんなときだって、ユーリは憎まれ口を叩きながらも、必ずブリジットの傍に居てくれた。
「そうだな。だからこれは、ただ僕が心配性なだけだ」
だからユーリの返事にも、ブリジットは悟られないようにそっと首を横に振る。
(あなたが居たから)
ユーリと出逢ったことで、ブリジットの世界は間違いなく広がった。
彼の存在がどれほど支えか。自分にとって、どれほどに大きいものなのか。
言葉にしたら、溢れ出そうな気持ちまで伝わってしまうだろうから――どうしても、言えなかったけど。
「……もうすぐ夏期休暇も終わりですわね」
「そうだな」
ユーリが、手すりにもたれたままミルクティーを一口飲む。
それから、こちらを見ると。
「ブリジット」
「はい?」
「何か隠してないか?」
出し抜けに問われ、ブリジットはどきりとした。
ユーリは聡い少年だ。
不自然がないよう注意しているつもりだったが、何か様子が変だと気づいてしまったのかもしれない。
(ジョセフ殿下のこと……)
話してみようかと思う。
でも、やっぱり――ブリジットは首を横に振ることにした。
いつもユーリは、ブリジットを助けてくれる。
だけど彼の優しさや気遣いに、頼ってばかりの自分では居たくないのだ。
(それに。……ユーリ様が、私を助けてくれるのは)
炎に焼かれ、泣き叫んだあの日。
右手を掴んでくれていた感触は、炎への恐怖を克服した今でははっきりと思い起こすことができる。
ユーリが傍に居てくれるのは、あるいは、罪悪感からなのだろうか。
だとしたらブリジットは、申し訳なくて、情けなくて、彼にどんな顔を向けていいか分からなくなる。
だから誤魔化すように笑うしかなかった。
「いいえ、何も。強いて言うなら……契約精霊のことは少し心配ですが」
それは本音だった。
未だにひよこの姿をした精霊……ぴーちゃんの種族は判明していない。
ぴーちゃんの正体がなんであろうと構わないとブリジット自身は思っているが、周りの人間にとってはそうではないだろう。
だから、どうしても不安だった。
でも、当たり前のようにユーリは言い放ってみせるのだ。
「僕が守ってやる」
「…………!」
ブリジットは息を呑み、目の前のその人を見上げた。
この満天の星空の下では、熱に浮かされたブリジットの表情は、ユーリにもよく見えてしまったかもしれないけれど。
それでも、目を離したくなかった。
それほどに彼は美しくて、それに――とても凛々しくて、格好良かったから。
(まるで、告白みたい……)
なんて浮かれたことを考えていたら、胸ポケットからぴーちゃんがひょっこりと頭だけ出した。
『ぴ…………』
心なしか顔が赤い気がする。小さな身体がほかほかと温かいし。
ユーリは戸惑い気味に眉を寄せる。しかしぴーちゃんはますます瞳を輝かせている。
『ぴ……!』
「……ああ。ぴー、その……お前のことも守ろう」
『ぴ!!』
それはもう嬉しそうなぴーちゃんが、ポケットから飛び出すとユーリに突撃する。
突如として腕を甘くつつき出す小動物を前に、ユーリは困惑の色を深め、ロマンティックな雰囲気は一気に霧散していた。
「名付け親だからか、すっかり好かれてますわね」
「ひよこに好かれてもな……」
ハァと溜め息を吐くユーリ。
自身の契約精霊であるウンディーネや、フェンリルのブルーにも懐かれているユーリだ。
(たまに、精霊に好かれやすい体質の人が居るって聞くけど……)
まさにユーリはそんな感じだ。
だとしたら少々、いやかなり羨ましい。精霊博士には、必要な能力のひとつである。
なんて羨ましがるブリジットは、自身もだいぶ精霊に好まれているという自覚はないのだった。
「そういえばウンディーネやブルー、ここ数日は出てきてくれませんわね」
「ウンディーネならたまに下の小川で勝手に遊んでいる。ブルーは人見知りをするから出てこないだけだ」
(人見知り?)
美味しそうなお菓子や食べ物があってもまったく登場しないので、不思議に思っていたのである。
つまり、キーラやニバルが居るので緊張していたのだろうか。ブルーもちょっとは可愛らしいところがあるらしい。
そこでユーリがしまったという顔をした。
「これは秘密にしろと言われたんだった」
「ふふ……」
悪いと思いつつ、思わずくすりとしてしまう。
頭の中でブルーが抗議をして騒いでいるのだろうか。頭痛を覚えている様子で、ユーリがこめかみを押さえている。
「あのう、ブリジット様。ニバル級長がスパルタで……助けてくださいぃ……」
その後、キーラが泣きついてきたので、なし崩し的にユーリとの会話は途切れた。
ブリジットは室内へと戻る。
後ろから、まだユーリの視線が追ってきたような気はしたが、なんとなく振り返ることはできなかった。
――そして、その数日後。
夏期休暇が明けた、その日の朝のことだった。
警戒を色濃く宿し、前方を鋭く睨むシエンナの後ろで、ブリジットは呆然としていた。
目の前の光景が信じられず、何度も瞬きをする。
だが幻ではないその人の姿が、消えることはなく。
「やあ、ブリジット。少し日に焼けたかい?」
別邸前に停まった馬車。
そこから颯爽と降り立ったのは、ブリジットの元婚約者――ジョセフ・フィーリド第三王子だった。
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