第59話.最後の夜
別荘での二日間は、あっという間に過ぎていった。
御料牧場や、乳製品の加工場を見学したり。
広大な庭を使ってのガーデンパーティーも、とても楽しくて――ニバルやキーラと、前以上に仲良くなれた気がして嬉しかった。
ニバルには年の離れた姉が二人居るらしい。
普段の生活ではこき使われていて、魔法学院に入ってからは寮生活なのでそれだけで浮かれたのだとか。
そんな彼はクラスで級長を務めると同時に、寮長も務めているという。通いのブリジットは知らないことだったので驚かされた。
キーラは明るく笑うようになった。
以前は長い前髪で顔を覆い隠し、小さな声音で話していたが、今ではブリジットやニバルを見てはっきりと喋るようになったのだ。
まだ他の人相手だと緊張するようだが、この様子ならクラスでも大丈夫そうだろう。
そんな彼らと過ごす最後の夜――広々としたゲストルームにて。
ブリジットの隣にはキーラ、正面にニバル、その隣にユーリが座っている。
そしてテーブルの上に広がっているのは、学院のテキストや問題集だった。
(お友達と勉強会をするなんて、初めてだわ……!)
ブリジットはものすごくウキウキしていた。
悲しきかな、今までは友人の居ない日々を送ってきた。
学校の宿題というのは別邸の自室で延々と消化するものだった。でも今日は違うのだ。
ニバルが全員を見回す。
「それじゃ、それぞれ残してる宿題は? ちなみに俺は魔法応用学の問題集の数ページだけ」
「僕は全て終わらせてきている」
「わたくしは人理学の課題だけ残しておりますわ」
「わたしは……魔法基礎学の小プリント六枚と、魔法応用学の問題集を半分と、あと歴史学のレポート課題と、それと……」
その場に沈黙が下りた。
言わずもがな、ユーリは学年一位なわけで。
そしてブリジットは前回の試験では公式には三十位という結果だったし、ニバルも十六位だった。
キーラが暗い面持ちで呟く。
「この中だと、圧倒的にわたしが……」
「馬鹿だな」
「……っ!」
あけっぴろげに言うユーリに、キーラが顔を覆う。
「ユーリ様!」
「計画性のなさについて指摘しただけだが」
確かに、夏期休暇はあと数日で終わることを考えると、宿題の山を積み上げているキーラにまったく計画性はない。
そしてブリジット自身はコツコツと課題に取り組むタイプなので、人理学の課題はこの日のためにわざと残していたりする。
「もう少しオブラートに包みましょうって話ですわ!」
「ごめんなさいブリジット様……庇っていただいて……」
と言いつつ、ますます恥ずかしそうに縮こまるキーラ。
『ぴっ! ぴぴっ!』
その様子を見てひよこ精霊――ぴーちゃんが、ブリジットの胸元のポケットから顔を出し、何やら元気に
どうやらキーラのことを小馬鹿にしているらしい。『ぷぷぷっ!』みたいなニュアンスの気がする。
そういえばこの二日間、キーラはよくぴーちゃんのことを構ってくれていた。
何か理由があるのだろうか、と気になったブリジットは、話題を逸らすためにも訊いてみた。
「キーラさんは鳥が好きなの?」
「はい。うちは貴族といってもド貧乏だったので……、子どものときはいろんなお肉を食べてたんです」
「まぁ……」
顔を上げたキーラが流し目でぴーちゃんを見遣る。
『ぴ…………!!』
がたがたがたとぴーちゃんが震え出した。
胸ポケットに引っ込もうとするが、慌てすぎたようでお尻が飛び出している。
丸いお尻をぽんぽんしてあげてから、ブリジットは改めてキーラに訊いた。
「それでキーラさん。良かったらわたくしが勉強を教えるけどどうかしら?」
「ええっ!」
キーラが目を見開き、頬を赤く染めた。
「す、すごく嬉しいですけど、でも……ブリジット様に教わるというのは、なんだか畏れ多いので……級長でいいです」
「『で』ってなんだ」
「級長『でも』いいです」
「より悪くなってるだろ!」
ニバルが吠えるが、キーラは気にせず問題集を開いている。
その様子を見て、ブリジットはさらりと髪を掻き上げた。
「そ、それならわたくしは、その――ユーリ様」
「ん?」
「人理学の、課題……お、教えていただいても、よろしくってよ?」
(さ、最悪の言い方……!)
緊張していたとはいえ、なんて可愛くない物言いなのか。
どうしよう、言い直したほうが、と悶々と悩むブリジットに、
「なんだそれ」
――ふっ、とユーリが小さな笑みを零す。
完全に不意打ちだった。
ニバルとキーラも仰天した様子である。
そして、その表情をまともに喰らったブリジットは、手に持っていたテキストを思い切り床にぶちまけてしまった。
「おい。大丈夫か?」
「えっあ、は、はい……!!」
まったく大丈夫ではないのは、しどろもどろな返事でバレバレだっただろうか。
言いながら、ユーリが席を立ってテーブルの横を回ってくる。
どうやら一緒に拾ってくれるつもりらしい。それに隣で教えてくれるつもりらしい。
ブリジットの胸の鼓動はもううるさいどころの騒ぎではない。
「チクショウ、ユーリぃい……ッッ!」
「悔しいですがわたしたちはお邪魔なので、隅に行きましょう級長」
キーラたちも何やらコソコソと移動している。
なし崩し的に、二つのグループに分かれて勉強することになった。
「……で。どこが分からないんだ?」
「あっ。え、ええと、こことか……」
ブリジットはしばらくずっとパニックになっていたが。
それでも、ユーリは丁寧に分かりやすく教えてくれたのだった。……たまに毒舌だったが。
――それから一時間と経たず、無事に課題を終わらせて。
少し肩が凝ったブリジットは、ゲストルームからバルコニーへと出た。
そこでは先客のユーリが手すりに腕をついている。振り返ると、彼は目を眇めた。
「終わったか」
「ええ。おかげさまで」
未だ室内ではキーラが悪戦苦闘しており、なんだかんだ面倒見の良いニバルが「違う!」「そっちも違ーう!」などと叫んでは頭を抱えている。
キーラは遠慮するかもしれないが、あとで手伝ったほうが良さそうだ。
そんなことを考えながら、ブリジットはユーリの隣に並ぶ。
「こちら、どうぞ」
湯気の出るマグを差し出すと、ユーリが横目で見てくる。
「ミルクティーですわ」
「もらおう」
(意外だけど甘い物がお好きなのよね、ユーリ様)
この二日間での発見である。
ちょっと可愛い、とか思ってしまって、ブリジットはにやけそうになるのをなんとか押さえた。
ユーリは甘味が好きで、飲み物も甘い物を好むし、ケーキやクッキーなども積極的にぱくぱくと食べていた。
(それでどうして太らないのか、不思議だけど!)
ものすごく羨ましい。秘訣を聞きたい。
ブリジットの場合、カーシンがしょっちゅうお菓子を作っては運んでくるので誘惑と戦うのも大変なのだ。
ユーリに渡したものよりミルクが少なめの紅茶を、ブリジットはちょっとずつ飲む。
夏場であってもこの温かな飲み物をちょうど良いと感じるのは、外が少し肌寒いからだ。
そうしながら、ふと、頭上を見上げた。
――満天の星空とは、こういうものを言うのだろうか。
王都でふと見上げるときよりも、星の数はずっと多く見え、それにずいぶんと近くで瞬いているようにも感じる。
二階のバルコニーには時折、涼しげな風が流れ込み、ブリジットの長い髪を揺らす。
夏の虫たちの鳴く声が、耳朶を柔らかく打つ。
「きれいですわね」
そう呟くと、ユーリが軽く身動ぎをした。
隣に視線を移すと、何故かユーリはこちらをじっと見ている。ブリジットは目を瞬かせた。
(……どうして私を見るの?)
目が合うと気恥ずかしくなり、思わずブリジットは訊いていた。
「あの!……どうしてユーリ様は、別荘についてきてくださったんですの?」
しばらく返事はなかった。
やがてユーリは、ブリジットを見つめたまま答えた。
「お前が、心配だったから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます