第58話.精霊の名付け親
何かに引き寄せられるように、勇ましく飛び出していくひよこ精霊。
ブリジットは咄嗟に空いた左手を伸ばしたが、その手を掻い潜って、赤い精霊は炎の前へと躍り出た。
その瞬間だった。
『ぴー!』
空中で、精霊が一鳴きする。
そして、ピンク色のくちばしをカパッと開いたかと思えば――その小さな口の中に、
「え……っ!?」
驚きのあまり叫ぶブリジットの横で、ユーリも驚愕に目を見開いている。
だが、その一秒後には今にも暴発しそうな炎の塊は、跡形もなくなっていて。
――けぷっ、と。
地面に着地したひよこが満足そうに息を吐いて。
一瞬の出来事に、その場に居る誰も、しばらく言葉を発せられなかった。
(…………た、食べた……?)
そのあり得ない光景に、ブリジットは既視感を覚える。
そういえば、あのとき――エアリアルが暴走したときも、轟く風は霧散したように見えたが。
(嵐は消滅したんじゃなくて、この子が……食べちゃったの?)
「だ、大丈夫ですか? その子、とうとう焼き鳥になっちゃいましたか?」
『ぴ……っ?!』
絵面がショックだったのか両目を瞑ったままキーラが言うと、ひよこがブルブルと震え出す。
慌ててブリジットに飛びついてきたひよこが、胸ポケットの中へと潜り込んだ。
何が何やらよく分からないが、窮地を救ってもらったのは確かなので、ポケットの上から撫でてやると『ぴ!』と満足そうな返事が返ってきた。
「……あの、ブリジット嬢。その精霊ってもしかして、ですけど……」
「……やっぱりそう思う?」
ニバルにおずおずと問われ、ブリジットは苦笑する。
『風は笑う』は数ある精霊物語の中でも最も有名な作品である。
炎の精霊、しかも鳥の姿をしているとなれば、自ずと誰もが連想するだろう。
(本の中のあの精霊だって、魔法を食べたなんて載ってなかったし……)
美しい羽を持つ伝説の精霊。
ブリジットとユーリは、ひよこ精霊の正体がそれなのではないかと考えている。
まだ確証はないので、口には出せないでいるのだが。
(それに……)
赤い妖精と蔑まれ、落ちこぼれとして扱われるブリジット・メイデル。
そんな自分が、伝説とされる精霊の契約者だとは――やっぱり信じがたいのだった。
そんな騒ぎのあと。
最終的に使用人に炎魔法を使ってもらい、ブリジットたちはバーベキューを楽しむこととなった。
次々とお皿に盛りつけられる料理を、もぐもぐと頬張る。
野外で食べる、焦げ目のついたお肉や野菜がこんなに美味しかったとは。新発見である。
塩胡椒が利いたソーセージにかぶりつくと、じゅわっと肉汁が出てくる。
貴族令嬢としてははしたないかもしれないが、お皿を持ち上げて味わい尽くしてしまう。
(今度、別邸のお庭でもどうかしら……)
料理長のネイサンにぜひ相談したい。カーシンあたりもノリノリで準備してくれそうだ。
でも、匂いで本邸から注意されてしまう気もする。
(でもでも、風向きによってはいけるかも……!)
作戦を考えていると、横から伸びてきた手がブリジットのお皿に何かを盛りつけた。
何事かと見てみれば、トングを握ったユーリが目の前にこんもりと焼き肉を飾りつけている。
おそろしくトングの似合わない美貌の少年が、低く艶のある声で言い放つ。
「ブリジット。肉を食べろ」
ブリジットは目を瞬かせた。
食べろも何も、まさに今もぐもぐしていたのが肉厚のソーセージである。
「もう充分いただいておりますけど」
「足りないだろう。もっと太ったほうがいい」
(言い方!)
あまりにデリカシーがない物言いにブリジットは眉を吊り上げる。
しかしおそらくは、ブリジットのことを気遣ってくれているのだ。そのはずである。そう信じたい。
ブリジットよりよっぽど小食なキーラはといえば、表面を焼いた薄い人参を突いているひよこ精霊に話しかけていた。
「ひよこちゃんも、もっとお肉を食べたら大きくなれるよ。ほら」
『ぴ……!?』
キーラに焼き鳥を差し出されたひよこ精霊の顔が、どことなく恐怖に染まっている気がする。
その光景を眺めつつ、そういえばとブリジットは思い出した。
「あのね。この子に名前をつけたいと思っているんだけど、良いのが思いつかなくて困っているのよ」
正しくはひよこに気に入ってもらえなくて困っているので、何か良い案がもらえるのではと期待するブリジット。
牛肉のシュハスコにかぶりついていたニバルが顔を上げる。
「名前ですか……そうですね。ブリジット嬢の威光を示すためにも、"華麗なるブリジット嬢の精霊"とか、"偉大なるブリジット嬢のひよこ"とかはどうですか!?」
『ぴ……?』
(ひどいセンスだわ)
「ええと、響きが可愛らしいので"こんがりちゃん"とか……あっ! "まるやきちゃん"とかどうでしょう?」
『ぴっ……!!』
(こっちもなんかひどい……)
ひよこ精霊は心なしかつぶらな瞳をさらに潤ませて、何かを訴えるようにブリジットを見つめている。
言葉はなかったが、明らかに嫌がっている様子だ。それだけはブリジットにも伝わってきた。
「ユーリ様はどう思います?」
話を振ると、投げやりにユーリは言った。
「ぴーとかで良いんじゃないか」
――途端、その場の全員が悲痛な顔つきになった。
「ユーリ様……」
「ユーリ、お前……」
「オーレアリス様……それはあまりにも……」
「……なんだよ」
鳴き声そのままのあだ名とは、なんて安直なネーミングなのか。
しかしひとりだけ、歓声を上げた者が居た。
『ぴー!!』
もふもふの毛を揺らし、ひよこ精霊がバタバタとテーブルの上を駆ける。
それを見つめ、ブリジットは唖然とした。
(私のときは無反応だったのに……!)
ショックと悔しさのあまり、ブリジットは泣き崩れた。
こうして紆余曲折を経て。
ひよこ精霊の名前は――"ぴーちゃん"に決定したのだった。
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