第57話.初めての魔法

 


 その後、別荘の庭にある窯を使い、バーベキュー形式で昼食を取ることになった。


 といっても、この場に居るのは全員が貴族の子息令嬢だ。

 四人で歓談している間の昼食の支度は使用人たちが請け負ってくれて、てきぱきと準備を終えてくれた。


 テーブルの上には、豚肉と牛肉の焼き串に肉厚そうなソーセージ。

 それに輪切りの玉ねぎ、人参、茄子やパプリカ、トウモロコシと、彩りよく新鮮そうな野菜も揃っている。


 ニバルの家では御料牧場を経営しているが、領地には野菜畑も多い。これらはすべてそこで収穫したものだそうだ。


(外でこんな風に食事するのって、初めてかも……!)


 パラソルの下でブリジットもドキドキしていた。普段の別邸での生活ではあり得ないことだ。

 王都の屋台でシエンナに軽食を買ってきてもらったことはあるが、それともだいぶ雰囲気が違う。


 だが、将来は精霊博士を目指している身である。

 精霊博士の場合、調査のために森林や樹海、浜辺に湿地など様々な場所に単独で赴く場合もあるという。


 野外での食事――といっても至れり尽くせりだが、慣れておくのは今後のためにも良い経験になりそうだ。


「ブリジット」

「? はい」

「点火、任せられるか」


(えっ!)


 思いがけないユーリの言葉にブリジットは目を丸くした。

 煉瓦造りのかまどには炭が用意されているが、まだ火は点いていない。ユーリがそれを指しているのは明らかなのだが。


「ブリジット嬢、魔法が使えるようになったんですか?」


 ニバルがユーリの言葉に驚いている。

 今までブリジットは契約精霊も呼べなかったし、一度も魔法が使えなかったのだから当然だ。


 どこか得意げにキーラが頬に手を当てた。


「あら。級長はまだ、ブリジット様の契約精霊を見せてもらってないんですね」

「ブリジット嬢の契約精霊……!?」


 自分だけのけ者にされていると思ったのか。

 どういうことですか、と言わんばかりのギラつく目で見つめられ、ブリジットは慌てて自身の胸ポケットを見つめた。


「ごめんなさい、ちょっと出てきてくれる?」

『ぴ……』


 ブリジットの呼び掛けに応じて。

 そこから弱々しい鳴き声がしてひよこ精霊がちょっとだけ顔を出すが、キーラと目が合うと即座に引っ込んでしまった。


「……お前、嫌われてないか?」

「き、気のせいです」


 そっぽを向くキーラをじっとりとした目で見てから、ニバルがおずおずとブリジットに訊いてきた。


「数日前、メイデル伯爵邸の方角から光の柱が立ち上っていましたが……あれはもしかして」


 ブリジットは躊躇いがちに頷いた。

 シエンナやカーシンからも聞いていたが、王都内で噂になっているのだろう。

 おそらく父であるメイデル伯爵に噂の矛先は向いているのだろうが、今のところはこの件について何も言われていなかった。


「あの夜はエアリアルも変だったんですよ。急に出てきたと思ったら、部屋の窓ごと壊して飛び出していって」

「え! だ、大丈夫だったんですの?」

「ええ、窓は直しましたから!」


 そういう問題じゃなかったが、ニバルが良い笑顔をしているので「良かったわね」とブリジットは頷いた。


「それでブリジット。どうするんだ?」


 重ねてユーリに問われ、ブリジットはしばし悩む。


 周囲からは、まず魔力を消費し続ける感覚に慣れたほうがいいと言われ、ひよこ精霊が姿を現わしてから一度も魔法を試してはいない。

 本音を言えばぜひ、一刻も早く炎魔法には挑戦したい。そうに決まっているのだが。


 でも――。


「やってみたいのですが……その、魔法ってどうやって使いますの?」

「僕が教える」


 幼子のような問いが恥ずかしくて小声で訊いたのだが、ユーリはまったく笑わずにそう答えた。


(それだけで安心するなんて、自分でも単純だと思うけど)


 使用人たちも嫌な顔ひとつせず、お辞儀すると一旦その場を離れてくれた。

 二人で立ち上がると、危険がないようにと遮る物が何もない場所に出る。ニバルとキーラもついてきた。


「今回の場合は竈に火を点けるだけだから、生活魔法と呼ばれる下級魔法で威力の弱い炎を生み出すだけだ」


 ユーリに淡々と説明され、ブリジットはコクコクと頷いた。


「契約者の身体の中には絶えず魔力が流れているから、それを指先や手のひらに集めるようなイメージになるだろう。……手を握るが、いいか?」

「え? は、はい」


 唐突に訊かれて一瞬迷ったブリジットだが、すぐに首を縦に振る。

 魔力の流れを感じやすくさせるためだろう、と分かったからだった。


 左横のユーリが差し出してきた右手に、ブリジットは少し悩んでから火傷跡のない右手を重ねる。

 そのせいでなんというか、だいぶ身体同士が密着しているというか、顔の距離さえ近くなってしまったが……今さら手を放すのも恥ずかしく、きゅっと唇を結んで耐える。


(手袋していて良かった……)


 もしも素手で触れていたら、手汗がすごいことになっていたかもしれない。


「おい! どさくさに紛れてブリジット嬢の手を握るな!」

「これが最も効率が良いだけだ。なら代わりにお前が――」


 ニバルの野次に面倒くさそうに何か言いかけたユーリが、咄嗟に口を噤む。


「……いや。ブリジット、このまま続けるぞ」

「は、はい」


 それどころではないブリジットは夢中で頷く。


「右手に意識を集中しろ。……よし、いいぞ。魔力が集まってきているのは分かるか?」

「ええ。よく分かりますわ」


 触れ合う右手はもうブリジットの意識ドキドキの集合体みたいになっている。つまり感覚はものすごく研ぎ澄まされていた。

 自分の中に流れる魔力の、流れのようなものが水面下で感じ取れるし――同時に、触れ合うユーリの中を巡る魔力の存在も、確かに感じられるのだ。


(冷たくて、洗練されている……)


 水と氷系統の強い素養を持つ彼の手は、どこかひんやりとしていて心地が良い。


「いけるか?」

「はい」


 ブリジットが落ち着いて返すと、ユーリはそっと手を放した。


 ブリジットは右手を正面に向け、スゥと息を吸い、吐く。

 選んだのはもちろん、点火の魔法。

 最下級にして一般的な、炎魔法である。



「『ファイア』!」



 意気込んで、ブリジットは叫んだ。

 瞬間、手のひらから赤き炎が生み出される。


 緊張はしたが、恐ろしくはなかった。

 恐怖の対象でしかなかった炎を前にしても、四肢は震えない。まっすぐに立っていられる。


 自分でもその理由が分かる。


(ユーリ様が、隣に居るから……)


 それにシエンナたちが贈ってくれた――竜の皮と鱗、炎に強い魔蜘蛛の糸によって作られた手袋が、今もブリジットの身を守ってくれているから。


(平気だわ、私)


 おお、と見守るニバルたちが歓声を上げた。

 魔法の発動はどうやら無事に成功したようだ。


 そう、喜びかけたのもつかの間――、


(……あら?……)


 何かがおかしい。


 というのも生み出した炎は、未だ手のひらの前で轟々と燃え盛っていて。


 爆発的に膨れ上がっていく炎の気配を前にして、たら――とブリジットの顔を、汗が伝う。

 気がつけば目前には、夏の陽射しの暑さなど相手にならないほどの火球ができあがっていた。


 しかも瞬きするごとに、それがどんどん大きくなっていくような。


(これ、もしかすると――相当危険なのでは!?)


 傍らのユーリもどこか焦った表情をしている。

 彼にとっても思いがけない事態だったのだろう。


 ブリジットは動揺を押し殺して笑ってみせた。


「オホホ、さすがユーリ様。教え方がお上手ですわ~」

「お前、どさくさ紛れに僕のせいにしようとしてないか?」


 狙いがバレバレだった。

 すみません、とブリジットはしょぼんと謝る。


 ユーリはハァと溜め息を吐くと。


「……ブリジット、頭から水を被る覚悟はあるか?」

「そ、それしか方法はありませんの?」


 深刻そうに頷かれる。

 どうやら彼に水魔法で消火してもらう以外に道はないらしい。


「……わ、分かりましたわ。お願いしま――」


 観念しかけたときだった。

 もぞもぞと胸ポケットが動いたかと思えば。


(えっ!?)




『ぴーっ!』




 甲高く鳴きながら。

 小さな影――ひよこ精霊が、燃え盛る炎に向かって飛び出していった。



 

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