第56話.別荘に着いて
朝から馬車に揺られること小二時間ほど。
王都から北上し、いくつかの丘と平原を越えた先に、ウィア子爵領――ニバル・ウィアの実家の領地と、御料牧場がある。
王都は国内外の最先端の流行にきらめく場所であるが、そこから二時間ほどでまったく違う景色が広がる。
牛や羊などの家畜が飼育される牧草地。見渡す限りの青々とした芝と山。
眺めているだけで気分が安らぎ、ブリジットは馬車の窓を開けて、どこか冷たく涼しい風を横顔に受けていた。
「ブリジット嬢~!」
「ブリジット様~!」
そこに騒がしい声が響いてくる。
どうやらキーラはブリジットより先に到着していたらしい。
熱烈な歓迎に照れつつ、馬車を下りようとすると颯爽とニバルが手を差し出してくれた。
ありがたくその手を取ると、彼はなんだかとても嬉しそうに破顔していた。
「こんにちは二人とも。ニバル級長、この度はお招きありがとう」
「ブリジット嬢。こちらこそ遠路はるばる、我が家の別荘にようこ――って、なんでお前がここに居る!?」
ズザザッ、と後退りながらも器用にユーリを指さすニバル。
振り返ると、ブリジットの後ろでユーリはものすごく面倒くさそうな顔をしていた。
「なんでと言われても、ブリジットに付き添っていたからだが」
「お前がブリジット嬢に付き添う理由が分からん!」
「事前に僕も行くと手紙は出したぞ」
「誰がお前なんかからの手紙を読むか!!」
仲良くはしゃいでいる男たちを尻目に、ブリジットはキーラと挨拶を交わす。
「ブリジット様、お元気でしたか?」
「ええ。キーラさんも元気そうね」
漆黒の夜空を切り取ったような瞳に見つめられ、ブリジットは自然と微笑む。
「前髪切ったのね。やっぱりそのほうが素敵だわ」
「ブリジット様……!」
顔を赤くするキーラは、長めの横髪もピンで留め、隠していた顔をしっかりと露わにしていた。
うん、やっぱり可愛らしいわ、とブリジットはほのぼのとした。
「とりあえず荷物もあるでしょうから、別荘のほうに行きましょう」
一応喧嘩は収束したらしく、ニバルにそう言われたブリジットは馬車に積んだ荷物を取り出そうとした。
しかしその前にユーリが、自分の荷と一緒に両手に重いだろうそれを抱えていて。
「あ、ユーリ様。わたくしの荷物……」
「いい」
言葉少なに答えたユーリが、別荘に向かって歩き出す。
慌ててブリジットはついていった。
(もう、なんでこんなにユーリ様は格好良……じゃないっ!)
余計な思考を慌てて打ち払う。
顔に出たら、ニバルやキーラに変に思われてしまうだろうから。
二人とは夏期休暇前に会って以来だが、ユーリと会うのもかれこれ二週間ぶりである。
別邸で所有する馬車はあまり上等な物ではないので、ユーリが快くオーレアリス家の馬車を出してくれたのは本当に助かった。
しかし――シエンナもクリフォードも今回は同行しないため、朝から迎えに来てくれた彼と、かれこれ二時間近くブリジットは一緒だった。
そしてその間、ユーリは何度かさりげなくブリジットを気遣ってくれていて。
(体調はどうだ、精霊の様子はどうだ、って)
気のせいでなければ、なんだかいつもユーリは、ブリジットのことを心配してくれている。
それが嬉しくて、同時に照れくさくて、ちゃんと答えられたか自信はないのだった。
(こういうときに限ってブルーは出てこないし)
ユーリによればブルーは朝に弱いらしい。
そういえばブリジットの家に居候している間も寝坊が多いとシエンナが言っていた。
だからもう、途中からは必死に牛ですわー羊ですわーヤギですわーと騒いで、心の動揺を悟られないように振る舞い続けた結果、なんとか目的地まで到着したのだった。
外観からして立派な、落ち着いたダークカラーの三階建ての別荘に入っていく。
内装もシンプルながらデザインが洗練されている。ニバルの母が十年ほど前にリフォームついでに内装や調度品を一新したそうで、彼女のセンスの良さが窺えた。
ニバルの家族は現在は誰もこの別荘には滞在していないそうだが、五人の使用人がブリジットたちを温かく出迎えてくれる。
「ブリジット嬢とキーラ嬢は、二階の部屋をご自由にお使いください。俺とユーリは一階を使うので」
「あ、ブリジット様。わたしは既に右手の部屋に荷物を置いていて……」
「分かった。その隣でいいか? ブリジット」
「はい。……あ、ありがとうございます、ユーリ様」
小さく頷くとブリジットの荷物を手に、さっさと階段を上っていくユーリ。
そこでニバルも彼の大荷物の正体に気がついたのか、「俺にも持たせろ!」と噛みついているが、ユーリはまったく聞かずに上っていく。
キーラと顔を見合わせ、思わずブリジットは苦笑した。
「そういえば、キーラさん。リサさんの様子はどう?」
ブリジットが声を掛けると、キーラが少し暗い顔をする。
「実はリサちゃ……リサ様は、休暇中も学院の寮に篭もりきりみたいで」
「そうだったの?」
「はい。わたしは親に言われて今は実家に戻っているので、リサ様とは会えなくて」
やるせなさそうに俯くキーラ。
リサ・セルミン男爵令嬢は、ブリジットの元婚約者である第三王子・ジョセフと懇意にしている令嬢だ。
元々、彼女がジョセフに対して「ブリジットに虐められた」と嘘を吹き込んだことで、ブリジットはジョセフから一方的に婚約を破棄された。
その後もブリジットのことが気に食わないようで、リサはいろんな嫌がらせを行ってきた。
筆記試験で筆記具を隠されたり、ユーリに付きまとってみせたり、公衆の面前でブリジットを侮辱したり、松明を持って試験の最中に襲いかかってきたり……思い出すだけで散々なことばかりだ。
結果、魔法学院より停学させられたリサだったが、その期間が過ぎても彼女は人前に姿を現わそうとはしない。
「でも、ブリジット様。リサ様は、あんな大それたことができる子じゃないんです」
懸命に言うキーラは、家同士が近く、リサとは幼なじみに近い関係だったらしい。
詳しい話を聞いてみたいと思うが、キーラがリサに利用されていたことを考えると、まだブリジットは軽々とそこに踏み込むことができずにいた。
「何か理由があると思うんです。どうか……」
「大丈夫よ、キーラさん」
だからブリジットは首を横に振り、答えた。
「リサさんには、何か彼女なりの理由があったんでしょうし……それにわたくしも、少し変に思うところがあって」
「ブリジット様……」
ブリジットが思い出すのは、悪役を断罪するように寄り添い合う二人の姿だった。
たぶんリサは、ジョセフはブリジットと婚約破棄をしたあと、自分と婚約するつもりだと思っていたのではないか。
あの日――婚約の破棄を突きつけられたパーティーで、ブリジットさえもそうなのだろうと感じたくらいなのだから。
しかしジョセフはあれから三ヶ月近く経った現在も、一向にそういった発表を行わない。
それどころか追い詰められたリサを庇うこともなく放置し、挙げ句の果てにはブリジットに婚約をやり直そうと申し出たのが夏期休暇前の出来事だ。
(どうして殿下は……)
『ぴ……』
思考を遮る、小さく高い声が響いた。
もぞもぞ、とブリジットの胸ポケットから頭を出したのはひよこ精霊だ。
「あら。起きちゃった?」
旅の道中は眠っていたが、目を覚ましたらしい。
念願叶っての契約精霊の出現ということで、シエンナたち使用人からも大層可愛がられ、愛でられているひよこなのだが、普段はブリジットの長い髪の毛に潜り込もうとするので厳しく注意を受けている。
『香油で整え、櫛を入れた髪の毛を鳥の巣にされるわけにはいきません!』とはシエンナの言である。
それで、最近はよくポケットや膨らんだ服の袖に入るようになったのだが。
「…………ひよこ?」
ひよこと目が合ったキーラが、目を丸くしたあとに微笑んだ。
「そういえば、今日のお昼はバーベキューなんですよね」
『……ぴッ!?』
命の危機を感じたのか。
ひよこ精霊は大慌てでブリジットの胸ポケットへと戻っていった。
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