第53話.第三王子の妨害
「……ん? 誰です?」
女の名前だろうな、とトナリは思ったが、それ以上のことはさっぱり分からないので素直に聞き返した。
注目を浴びていた神官は焦った顔だったが、周囲を窺うようにしながらトナリに言う。
「……メイデル伯爵家の令嬢です。十年ほど前に名無しと契約した」
「はぁー……なるほど」
嫌な呼び方だね、と思いながらトナリは軽く頷く。
精霊は等しく慈しむべき奇跡の結晶であり、また、人間と精霊は共に助け合うべきである――なんてお綺麗に掲げてはいるが、所詮はそんな組織の人間もこんな認識でしかないのだ。
(誰かに名無しなんて呼ばれたら、お前さんだって良い気はしないだろうに)
精霊は何よりも自由を好むものだ。
だからトナリとしては、精霊信仰なんてもってのほかだと思っていて、少なからず精霊たちの中にも同じように認識している個体が居る。
だから、この中央神殿にトナリが居る。
精霊との結びつきを深め、彼らの親愛を遠ざけないための……一年限りの生け贄として。
(こんなオッサン、人質向きじゃないと思うがね)
人間界から半分、
国を通して正式な依頼をされれば、正当な理由がない場合は断ることもできない。
その代わり給与はたっぷりと弾んでもらえるわけだが、ここにやって来て数ヶ月、今のところ楽しい出来事は特に思いつかない。
強いて言うならばフィールドワークに出ていなかったので、あの光の柱を近距離で目撃できたのは幸運だったが。
(オレぁこういうの、あんまり向いてないんだがなぁ……)
森やら湿地やらを駆け回って、野良精霊と触れ合っているほうがよっぽど楽しいのだ。
ボリボリ、と痒い頭をかいてから、「それで」とトナリは口を開く。
「そのブリジットって子、神殿に呼べます?」
先ほどから話題に上がっているメイデル伯爵家。
光の柱が出現した位置とも一致するわけだから、その少女が未知の精霊の契約者である可能性は高そうだ。
「オレが直接、その子を確認しましょう」
それがいちばん手っ取り早いのでそう提案したトナリだったが、意外にも反発があった。
「いや、相手は伯爵家の令嬢だ。そう簡単に呼びつけられない」
「それに確たる証拠もないのに決めつけていいのか?」
「名無しは所詮、名無しだろう。それが光の柱と関係するとは思えん」
トナリはいよいようんざりしてきた。これでは話が進まない。
「あのですねぇ……」
そのとき、杖の先で大理石の床をコツンと叩いた者が居た。
大司教に一斉に視線が集まる。髭に覆われた口元を、ふがふがと彼は動かした。
「当時、ブリジット様の契約の儀を担当した神官は誰じゃ?」
「えっ……」
その問いに、明らかに動揺を見せた者が居た。
(おーおー、神官長かよ)
実質上は、中央神殿の最高権力者である神官長。
一目で分かるほど蒼白な顔色をした彼は、焦ったように目線を泳がせた。
「そ、それは私ですが――当時も、水晶に映し出されたものをただ読み取っただけです」
水晶というのは、精霊界から渡ってきたとされる魔力水晶のことだ。
気が遠くなるほどの年月、魔力の波を浴びて形作られたという水晶。
それはどうやら、精霊界から人の世界を垣間見るための道具であり……人の手に渡った水晶は反対に、精霊界から顕現する精霊の姿を映し出すことができるのだ。
その特性を利用して、契約の儀に使用しており、各地に点在する神殿にもサイズは異なるが同じように水晶が配置されている。
そして、五歳の子どもが神殿にて行う契約の儀を担当する神官は、若く有能な者と決められている。
現在の神官長は順調に出世したということだろう。
「あれは間違いなく、名無しでした。何百回も、何千回も見てきたのですから、間違いありません」
「本当に? まさか見間違えたのではないだろうね?」
「本当です! 見間違いなどと、そんなことあるわけが!」
訝しげに大司祭に問われた神官長が、顔を真っ赤にして卓の表面を叩く。
「あ、あの少女が名無し精霊と契約したために、父親に腕を焼かれたのは自分も知っていますが!」
はっとした様子で神官長は口元を押さえたが、時は既に遅く。
一斉に、音という音がその空間から消え失せた。
何人かは青い顔をしている。つい数秒前まで騒がしかったというのに、誰もが言葉を発しようとはしない。
(ああ、そういうことね……)
トナリにも薄汚い事情が見えてきた。
精霊博士である自分を、ブリジットに引き合わせたくない理由というやつが。
――契約の儀は絶対だ。
絶対の法であり、絶対に正しくなくてはならないものなのだ。
だが、ブリジット・メイデルが、もしも本当に伝説上の精霊と契約していたとするならば。
それが、精霊が自身を力の弱い微精霊のように偽った結果だとしても……当時、神殿側が契約精霊の正体を誤認したことは事実となる。
(自分らの失態を、素直に認めるわけにいかないってことか)
炎の一族――伯爵家を相手にして、どう申し開きができるのか。
きっと神官たちの頭の中は、伯爵家に対して体裁と言いわけを取り繕うことでいっぱいになっている。
(下らねぇ……)
肉親に腕を焼かれたという少女。
彼女の苦痛と絶望を気に掛けている人間など、この場には誰ひとりとして居ないのだろうか。
「ブリジットを神殿に呼ぶのは、まだ早いと思います」
そう情けなく思っていると、沈黙を破る声があった。
発言したのは、それまで黙っていた第三王子――神官長の隣に席を許されたジョセフだった。
王家と神殿とは、古くより密接に繋がっている。
秋の月の建国記念日には、当代の王と王妃が神殿にて儀を執り行い、炎・風・水・土の基本系統を得意とする四大貴族の当主が、自身の精霊の最大魔法を使って空を彩る式典が開かれる。
だからといって一方的に、王族が神殿に対して何かの権利を持つわけではないが……そのあたりを、一部の神官とこの王子ははき違えているように、トナリには思えている。
毎日のように神殿に足を運んでいる様子からしても、この神殿こそ自分の城のように思っているのだろうか?
(オレには関係ねぇ話だけど)
ジョセフは胡散臭げに見るトナリには見向きもせず、大司教に向かってにこりと微笑むと。
「彼女は非常に繊細な人だから……急に神殿に呼んだりしたら驚くだろうし、倒れてしまうかもしれないから」
それを聞いた人々の顔に、不思議そうな表情が浮かぶ。
大司教の隣席の司教が、僅かに首を右に傾けた。
「……失礼ですがジョセフ殿下は、メイデル伯爵令嬢とのご婚約を破棄されたのでは……?」
「ああ、そんなこともあったね」
ジョセフは薄く微笑む。
「少し行き違いがあっただけなんだ。ブリジットだって分かってくれている」
「左様でしたか……」
「それで、俺やブリジットが通うオトレイアナ魔法学院は今は夏季休暇中なんだ。だから休暇後に行われる学院視察の際に、彼女の精霊についても確認すればいいんじゃないかな」
学院視察というのは、大司祭や司祭が学院に直接赴き、生徒と精霊が良い関係を築けているか確認する伝統行事である。
中央神殿が担当するのは、オトレイアナを含めた近隣の三校だという。そして中央神殿の場合は、その視察に精霊博士も同行することになっている。
するとジョセフの言葉に、ところどころから賛成意見が上がった。
神官たちにとっては、ジョセフの意見は願ったり叶ったりだったのだろう。
ずいぶんと悠長なことだが、これ以上、トナリが何か言えば睨まれてしまう。
苦々しく思いながらも、それ以降は聞き流すに留め……こうして緊急会議は終了した。
何人かは歓談し、何人かはすぐに部屋を出て行く。
その中で、ひとりだけ壁画を見上げていたジョセフに何気なくトナリは近づいて。
「王子サマ。まるでアンタは、オレとブリジットやらを引き合わせたくないみたいだな」
「…………」
囁きが聞こえたのか、聞こえていないのか。
ジョセフは無言のまま退室していった。
その背を見送り、さてどうなることやら、とトナリは顎を撫でる。
(王子様の事情はよく知らねえが、ブリジットとやら……オレが観察するまでは無事で居てくれよ?)
トナリは無意識に舌なめずりをした。
未知の精霊との出会い。これに期待せずにいられる精霊博士など、居るわけがない。
壁一面に描かれた見事な壁画を眺めてから、トナリもまた部屋をあとにする。
――――その日。
精霊博士であるトナリを含めた誰もが、ついぞ気づくことはなかった。
神殿にて絶対の象徴として崇められる架空の精霊。
壁画に描かれる、神々しい翼を持つその姿。
それが十一年前よりひとりの少女に宿り、長い時を経て、今その姿を地上に顕したことなど――誰ひとりとして、気づくことはなかったのだった。
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