第52話.ざわめく神殿

 


 常に厳かであり、神聖な空気の流れる神殿。

 しかし、その日の神殿内は妙なざわつきに満ちていた。


 というのも、昨夜発生した前代未聞の事態を前にして、重鎮を集めた緊急の会議が開かれようとしていたからである。


 ――中央神殿。

 または宗教名からレヴァン総本山とも呼ばれる、王都の外壁に沿うように建築された巨大にして荘厳な神殿。


 その広い円卓の席に、大司教と司教、召集に間に合った数人の大司祭に司祭、神官長たちが一堂に会すというのは、レヴァン教の長い歴史においても滅多にないことだった。


「あの光の柱は、結局なんだったんだ?」

「メイデル伯爵邸から天空に向かって伸びていたと、何人かの神官の報告にあったが」

「炎の一族の……」

「伯爵に問い合わせましたが、彼は何も知らないと」

「では、あの光の柱はいったい――?」


 錯綜する声。会話。

 確かに大きな混乱があった。しかしそこには同時に隠しきれない熱がある。


 未知の存在を前にして、密かに胸を踊らせていた司教が居た。

 あまりにも美しい光景を遠く目にし、両手を合わせて涙した大司祭が居た。

 衝動のままに駆け出したものの、光の御許に間に合わなかった司祭が居た。


 そうして騒ぎ立てる聖職者たちを見つめながら。

 静かに、腰の曲がった大司教が声を発した。



「おぬしはどう思う、精霊博士」



 どこか覚束ないながら、その声音は依然としてしっかりとした響きを持っている。

 神殿に雇用される精霊博士――トナリは、「あい」と間抜けな返事を漏らした。


 ボサボサの髪の毛に目元まで覆われ、顔にはだらしなく無精髭を生やした男だ。

 その薄汚れた服装や、どこか野生じみた体臭に、神官たちはこぞって嫌そうな顔をする。


 円卓に席を許されながらも、椅子にあぐらをかくという不遜な格好をしたトナリは、神官たちの注目を浴びながら鼻の頭を掻いた。


「そうですねぇ……今のところはなんとも言えませんね」


 円卓についた老人たちの多くは落胆した。

 この不甲斐ない精霊博士は、相変わらずろくな仕事をしない。

 前の精霊博士とは大違いだ。給料泥棒め、と小声でトナリを罵る声もあった。


「だけどひとつ言えるのは、間違いなくあの光の柱には精霊が関わってるってことで……そしてその精霊は、『精霊図鑑』や『精霊史』に名を記されていない存在だということです」

「……どういうことだ?」

「だってそうでしょうよ。あんな技を起こす精霊や人間なんか、オレにゃ皆目見当がつきませんもの」


 嵐を起こし、海を割り、大地を裂く精霊たち。


 そういうものをトナリも精霊博士として何度か目にしてきた。

 最上級の名を冠された精霊たちには少なからず、そういった特性を持つものが居るのだ。


(だけどアレは――それらより、遥かに凄まじかった)


 天を貫いた光の柱を、トナリも目にした。

 雲を割り、人の手の届かぬ天井の空を突き破り、地上にあらわれたまばゆいばかりの奇跡。


 それは、恐ろしいほどに美しかった。

 触れがたいほどに気高く、神々しかった。


 どうしようもなく焦がれ、手を伸ばしてしまうほどに。

 ……まぁ、大変な距離があったので届くはずはなく、その光はほんの数分ほどで消えてしまったが。


「炎のお家……メイデル伯爵家の人間の中に、その精霊の契約者らしいヤツは居ないんですか?」


 トナリは好奇心に駆られそう訊いたが、芳しい反応は返ってこない。


 そういうヤツは居ないのか。

 あるいは……と、トナリはその推論を口にした。


「これは、あくまでオレの推測ですが……もしかするとその精霊は、力が強すぎて微精霊の振りでもしてたのかもしれない」

「それは……どういう意味だ?」


 トナリは目の前に出されていた硝子のグラスを手に取った。


 そしてその表面を無造作に、テーブルへと叩きつける。

 カシャン、とグラスの一部が細かく割れた。精緻に描かれたプラチナの紋様に無残な亀裂が入り、何人かが息を呑む。


 しかし何も気負うことなく、そこに水差しから水を注ぎ込むトナリ。

 年老いたお偉方たちは唖然としているが、あまりに呆気に取られたためか、誰もトナリの行動に口出ししてこない。


「ね。器が脆いと、水が溢れちゃうでしょ?」


 割れた隙間から、少しずつ水が漏れ出て卓上が濡れていくのを見せつけるトナリ。


「つまり契約者の準備が整うまではなるべく魔力量を押さえて、眠りについてたのかも。ほら、契約者が死んじゃったら困るしね。その様子は、素人目に見れば微精霊に見えるでしょってことです」


 大きなざわつきが走る。

 お偉い神官たちが声を交わし合う中……トナリはやれやれ、と肩を竦める。


 この場所は、精霊信仰を謳うレヴァン教の総本山だ。

 だが、彼らの多くは古くからの教えを後生大事に守っており、不測の事態というヤツを想定してもいない。

 きっとこの中の八割方の人間はまだ事態の重さを理解してもいないだろう。


 というのも――もしもトナリの推測が、本当に当たっていたとして。


(そもそもそんなの、あり得ないんだ)


 そう、トナリ自身は同時に心から思っている。


 精霊というのは、少なからず自身と波長の合う人間や、面白いと思う人間に引き寄せられて契約を結ぶ。

 そして誤解している者が多いが、それは人間のほうも同じだ。

 人間だって、自身と相性の良い精霊を追い求めて、無意識の内に受け入れている。


 双方の合意――あるいは、実力の見合った同士が自然と結ばれるのが、本来の契約の儀というものだ。

 そのため、水の一族や炎の一族と呼ばれる、傑出した血族が生まれるのだから。


 そして、渦中の契約者が、本当にあの炎の一族の出身であったとしたら。




(――ただでさえ優れているだろう契約者に、そこまでの負担を掛ける精霊って時点で、




 人間と精霊の付き合いの歴史はそれなりに長いが、それなりに長い時間においてさえ、そんな例はひとつもない。

 トナリはあの光の柱に、最上級精霊――なんて言葉が生やさしすぎるほどの存在が見え隠れしている気がしてならなかった。


 すると壁際に立つ神官が、小さく呟いた。


 怖々と。

 まるでその名を口にするのが禁忌であるかのように。



「――ブリジット・メイデル」



 一瞬、すべての話し声が止んだ気がした。



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