第51話.ブリジットの精霊

 


「目の前で……ひどい目に遭わされた女の子が居たんだ」

「……!」


 心臓が跳ねる。


「僕はその子を助けたかったけど、非力だった。なんにもできなかった。だから強くなりたかった。……昔からずっと」


 ぽつりぽつりと、ユーリは言う。

 述懐するように語られる言葉は、ほとんど独り言のようだった。


 ブリジットに聞かせているというより、胸の内をそのまま目の前に取り出したような――。


(その、女の子は……)


 だから、浮かんだ問いを、ブリジットは口には出さずにいた。

 その代わり、未だ震える声でそっと言う。


「……ユーリ様は、強いです」

「……僕が?」


 何も知らないくせに、と怒られるだろうか。

 それでもいい。少なからずブリジットはユーリ・オーレアリスがどんな人か知っていて、ただそれを彼に伝えたいと思ったのだから。


「いつも強く在りたいと思って前を向いているから、誰より格好良いんです。あなたは」


 それと心の中だけで、小さく付け足す。


(だから……好きに、なってしまったんです)


「……そうか」


 ほんの少しだけ、ユーリの声に笑みが混じる。

 つられてブリジットも微笑んだ。毛布に隠れたその顔はユーリには見えなかっただろうに、彼は気がついたように言った。


「顔を見せてくれ」

「……は、恥ずかしいのですが」

「今さらじゃないか?」

「それはそうですけど!!」


 もう、本当に今さらだ。

 数え切れないほどの醜態をユーリに晒している。それがひとつや二つ増えたところであんまり変わりはないかもしれない。


 大声を出したのを誤魔化すように咳払いしつつ、ブリジットはもぞもぞと毛布から目元だけを出す。

 ちょっと腫れぼったい瞳で、じっとユーリを見つめた。彼が少しだけ笑ったのが、なんともくすぐったい。


「……手を、握ってくださいませんか」


 ユーリがブリジットを見る。

 問うようなその目に、ブリジットは素直に理由を言った。


「怖いものがひとつだけ、なくなる気がするから」

「……分かった」


 ブリジットは右手の手袋を外した。

 そっと手を差し出すと、ユーリが握ってくれた。


 指を絡め合う形で繋ぐ。

 それだけでふわっと、夢心地に心拍数が跳ね上がったが……同時に落ち着くような気もして、なんとも不思議だった。


 一見すると少女に見紛うほど整った容姿のユーリだが、手のひらはブリジットよりずっと大きくて、皮膚は分厚くて。


(やっぱり、この手――)


 いろんなことを訊きたいと思うけれど、まだユーリは答えてくれない気もする。

 だから今は、別のことに集中する。


 目を閉じて、ユーリの手の感触だけを追いながら。



(…………お父様のことが、怖い)



 再び溢れそうになる涙の気配を、感じながら。


(お母様のことが、怖い)


 頬を、静かに汗が伝う。

 様子がおかしいのを察したのか。ユーリの手がより強くブリジットの手を握る。


 大丈夫だと囁いてくれているようで。

 その手をブリジットも、震えながらぎゅっと握り返した。


(薪をくべた暖炉が、怖い。嘲るような言葉が怖い。冷たい目が怖い。嗤う声が怖い)


 嫌いなのかどうかは、今でもよく分からない。

 期待に応えられなかったことを申し訳なく思う。血族の恥となったことを情けなくも思う。

 愛してもらえなかったことを苦しく思う。


 左腕の醜い火傷跡を見るたびに、その事実を突きつけられるようで、ただひたすら怖かったのだ。

 あの傷は、ブリジット自身だったから。


(だから、そうだわ。私は……炎のことが、特別怖かったわけじゃない)


 ようやく、気がついた。

 ブリジットは目を開いた。




(私は、――、一緒くたに怖くて仕方がなかったの)




 その瞬間。

 ブリジットの胸元が光り出した。


「!」


 慌てて身を起こす。

 ユーリもさすがに驚いたのだろう、目を見開いている。


(これ、あのときと同じ……?)


 ニバルの精霊、エアリアルの暴走を食い止めたときと似ている黄金の輝き。

 しかしそのときとは違うのは、次第に、目を開けていられないほどに光量が膨れ上がったことだった。


 反射的に目を閉じても、目蓋の裏は焼き尽くされるほどに光り輝いている。

 おそらく、今や部屋中が強すぎる光に包まれてしまっていることだろう。


(な、なにこれえっ……!?)


 ――焦るブリジットは、そのときは知る由もなかったが。


 その日の同時刻、世界中である異変が起こった。


 契約精霊たちが俄に騒ぎ出したのだ。

 契約者の多くは訝しがり、起き上がっては窓の外を眺めた。

 そして誰もが瞠目し、目の前の光景に驚嘆した。


 一本の光の柱が天空に向かって、立ち上っていた。


 それが、とある伯爵家の方角から上ったものであることは、フィーリド王国の国民の中でも、限られた者が気がついただけだったが……光の柱はその後、数十秒で消失したのだった。


 ――のちに畏敬の念と共に、「光の夜」と呼ばれるその日。


 しかし当事者たる少女は、ようやく光が収まったのにほっと胸をなで下ろし、おずおずと目を開いたところだった。


「……?」


 まだ、視界がチカチカする。

 何度か瞬きを繰り返し、どうにか明瞭な視界を取り戻そうと四苦八苦していると。


 やがて――毛布に潜るように。

 もぞもぞとうごめく、小さな生き物のおしりを発見した。


「小鳥……?」


 ユーリが呟く。


「ことり……ですわね」


 ブリジットもどうにか頷いた。

 まだ手は繋いだままだったが、二人ともそれにはまったく気がついていない。


 それはまさしく小鳥だった。

 というより、「ヒヨコ」と呼ぶほうが近いのだろうか。


 手乗りサイズの小さな体躯。

 もふもふとした毛に覆われた身体は、撫で心地が良さそうで。


 やがて注目を浴びているのに気がついたのか。

 毛布に潜るのを諦めて振り返ると、その精霊らしき生き物は、


『ぴ!』


 と、ブリジットを見て可愛らしく鳴いた。

 つぶらな黒目が、キラキラときらめいている。


(な、鳴いた……)


 確認されている、あらゆる精霊の姿や特徴を収録した『精霊図鑑』。

 何度も捲った全てのページの内容を脳裏に思い返すが、目の前の精霊はそのどれにも当てはまらなくて。


(いいえ、でも)


 ――だが、物語の中であるならば。


 ブリジットは、その鳥の名前を知っている。

 いや、あの本に記されていた描写とは、その愛らしい精霊はあんまりにも違っているけれど。


「……『風は笑う』の……」

「伝説の精霊か」


 さすがにユーリは、すぐになんの話か理解したらしい。

 たぶん自分たちは今、同じ精霊の名前を脳裏に思い描いていることだろう。


 ブリジットは唇を震わせながら、その名を辿ろうとした。


「お嬢様っ!?」

「今の光、なに!?」


 そのとき、バタバタと騒がしい足音と共に、シエンナやブルーが駆けつけてきた。

 目が合うと、シエンナたちの目がすぐさま潤む。


 随分と心配を掛けてしまったのだろう。

 申し訳なく思いながら、まず説明しなくてはと思ったのだが。


「心配掛けてごめんなさい、みんな。あのね、今の光、は……」


 しかしそこで、緊張感が途切れたのか。

 ブリジットはふらりと、また意識を飛ばしたのだった。



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