第45話.水の一族2
(ユ……ユーリ様じゃない)
慌てて距離を取るブリジット。
するとその人物は残念そうに唇を尖らせた。
「あらら、残念。このまま抱き留めたかったのになー」
「……!?」
ブリジットは目を見開き、上背のある男を見上げる。
というのも、その喉元から流れる声がユーリの響きによく似ていたからだ。
しかし外見はあまり似ていない。
年の頃は十八歳くらいだろうか。
長い青髪は首の後ろでひとつに括っている。
恐ろしく整った顔に、右目の下の泣きぼくろが艶っぽい。
一目で上等と見て取れる衣服を軽く着崩しているが、それでも上品な印象は揺らがないのが不思議だ。
さぞ女性にモテることだろう、と確信するほどの華やかな容姿である。
(この方、ユーリ様のご兄弟の……)
「オレはクライド。クライド・オーレアリス。上から三番目ね」
クライドと名乗った男は、人懐っこく微笑んだ。
「驚かせちゃってごめんね。母親の命日だから、オレたち全員で墓参りに行ってたんだよね」
(母親……)
四人兄弟の内、ユーリだけは後妻の子だというのはブリジットも知っている。
それだからなのか、クライドが「全員で墓参りに行った」――という、全員にユーリが含まれていないのが、妙にブリジットには気に掛かった。
「いやー、しかしアイツもやるなぁ。まさかオレたちが出払ってる間に家に可愛い女の子を連れ込むとは」
(……軟派だわ、この人!)
ユーリと同じ声であっさりと「可愛い」などと評され、ブリジットは愕然とした。
だが、どうやらクライドは誤解している。
このままではユーリの名誉を陥れてしまうと、慌ててブリジットは否定した。
「ち、違いますの」
「ん? 違うって何が?」
「わたくしは、ユーリ様の精霊からお呼び出しを受けただけですので」
「…………精霊?」
きょとんとしたクライドは、そのあとに「ふはっ」と噴き出した。
「へえ、すげえ。やっぱり同類同士だと、精霊に招待を受けたりもするんだ」
「え?」
よく意味が分からず、ブリジットが首を傾げると。
急に整った顔が間近に近づいてきて。
ブリジットが距離を取ろうとする前に。
――耳元に、息を吹き込むようにして囁かれた。
「なぁ。……"赤い妖精"ちゃん?」
「……っ!」
息を呑む。
その反応が気に入ったのか、クライドが口端を上げる。
「あ、やっぱりそうなんだ。目立つ赤髪だねぇ、ブリジットちゃん」
お互い苦労するね、と横髪をいじりながら、陽気に笑うクライド。
そんな彼をじっと見上げながら、ブリジットは困惑していた。
いろいろと社交界での悪い噂を耳にしているのだろう。
クライドはブリジットのことを馬鹿にして、反応を楽しんでいるようだ。
それに兄弟というだけあり、クライドとユーリの声はよく似ている。
そのせいで少し、動揺してしまった。そんな自分に怒りが込み上げる。
(ユーリ様は、こんな言い方をしないのに……)
そんな風に接されるのには慣れていたはずなのに。
ユーリに似た声に揶揄されると、胸の奥がずきりと痛むような感覚がする。
そうして黙り込んだブリジットを、クライドはまじまじと見遣ると。
至近距離から覗き込むようにして、青い双眸がブリジットを見つめた。
「でも、噂で聞くのとはだいぶイメージが違うかなー。馬鹿で高飛車な令嬢、とかよく聞くんだけど、そんな感じじゃない」
「…………」
「今だって、ほら。目が潤んで泣きそうだし……」
筋肉質な腕が無造作に伸びてくる。
避ける間もなかった。彼の手は確かに、ブリジットの頬に触れようとした。
その瞬間。
「ブリジットに触るな」
喩えるまでもなく、氷のように冷たい声音が響く。
声と同時に、ブリジットの身体は彼に抱き留められていた。
ユーリ・オーレアリス――"氷の刃"と恐れられる、ひとりの少年に。
「ユーリ様……?」
「…………」
驚いて呼ぶものの、ユーリは答えない。
ただ、ブリジットを庇うように前に出ると、クライドを鋭く睨みつける。
クライドはポカンとしていた。
ただ、彼の伸ばしたままの右手は赤くなっており――ユーリがその手をはたいたのだと、遅れてブリジットは気がついた。
腕をぶらぶらとさせながら、クライドが顔を顰めて呟く。
「触るなって……別にこの子、お前の恋人でも婚約者でもないだろ?」
「違う。だが、僕が招いた客だ。家に帰るまで安全に過ごさせる責務がある」
堂々と言い切るユーリ。
「おいおい。オレは安全じゃないってか?」
「そう言ったつもりだが、理解できなかったのか?」
明らかに兄に接する態度ではないそれに、見守るブリジットまで顔を青くしてしまう。
「クライド? それにユーリも、何を……」
そこにまた別の声が聞こえてきて、そちらを向いたところで。
……ブリジットは焦り出した。
なぜかというと廊下を進んでくる男性たちは全員が、色味は違えども青っぽい髪をしていて。
たぶん間違いなく、彼らはクライド以外のユーリの兄やら父君やらのはずで。
――もしかして名高き水の一族、目の前に続々と集っているのでは。
焦った結果、ブリジットは触れ合ったままのユーリの服の裾を軽く引っ張った。
「あ、あのユーリ様。ご家族の方に挨拶……」
「必要ない」
「でも」
「いいから」
まるで駄々をこねる子どもを丸め込むような声色で、ユーリが言う。
それと同時に、彼は縋るブリジットの右手を掴んでしまった。
「ユーリ様っ」
「行こう」
命令形ではないのに、口調は厳しくて。
歩き出すユーリに引っ張られ、ブリジットはそのまま彼についていく他ない。
後ろを振り返ると、クライドと目が合った。
ニッコリと、彼は蕩けるような甘い微笑みを浮かべて手を振ってくる。
「また遊ぼうね、ブリジットちゃん」
握った手の力が、より強くなる。
そのあとは振り返る余裕もなく、ブリジットはひたすらユーリに引っ張られていく。
そうしながら、触れ合った手の熱さを感じる。
手袋越しにも関わらず、ユーリの身体は熱を帯びていたのだ。
……きっと、姿を消したブリジットのことを探し回ってくれていたのだろう。
そう思うと、ブリジットは緊張しながらも訊かずにはいられなかった。
「ユーリ様。怒ってます?」
「別に怒ってなどいないが」
(確実に怒っている声だわ……)
思わず悄然としてしまう。
それも当然だ。それくらいのことをブリジットはしてしまったのだ。
「そうですわよね。わたくしが勝手に湖畔から離れて、迷子になっていたから……」
「…………」
ユーリが立ち止まり、くるりと振り返った。
形の良い眉が思いきり寄っている。
「今、少しだけ怒った」
(どういうこと!?)
呆気に取られるブリジットだったが、再びユーリに手を軽く引っ張られる。
(…………あ、そういえば)
ふと、今さらに思い出す。
急にクライドが現れたり、混乱した状況が連続してすっかり忘れていたのだ。
ブリジットはもう一度振り返って確認してみたが。
あの小さな青髪の子の姿は、どこにも見えなかった。
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