第46話.小さな客人
ユーリとクリフォードに見送られ、オーレアリス家を出たあと。
夕焼けの道をのんびりと進む馬車の中、向かいの席に座るシエンナが首を傾げた。
「今日は楽しかったですか? お嬢様」
「……そうね……」
何気ない問いだったが、どう答えたものか悩むブリジット。
というのも――今日の本題であった、ブリジットを呼んでいたというユーリの契約精霊は姿を現わさないままで。
夜になるまで居座っていては迷惑になるだろうと、今日は帰ることにしたのだ。
帰り際、馬車に乗り込むブリジットのことを、ユーリは物言いたげな目をして見送っていた。
「それが、いろいろあって……」
ブリジットは迷いつつも、屋敷での出来事をシエンナに話すことにした。
もちろん、湖畔近くでのユーリとのやり取りとか、どさくさで彼と手を繋いだことなどは内緒にしつつ……である。
そんなの、あんまりにも照れくさくて、シエンナ相手にも話せそうにないから。
「青髪の子どもに、オーレアリス家の三番目のご子息ですか……」
話を聞いたシエンナが頬に手を当てる。
「お嬢様が失言に気がついて慌てて湖畔から離れたあと、そんなことがあったんですね」
「そうなのよ。…………………………ん?」
ブリジットは小首を傾げた。
いま、シエンナが変なことを口にしたような。
「ちょっと待って。なんでシエンナはそんなこと知ってるの?」
「それはもちろん、クリフォードさんと一緒に密かにお二人を見守っていたからです」
「なっ――なんで!?」
「公爵令息がお嬢様に不埒な真似をするかもしれませんので」
思わずブリジットは頭を抱えてしまった。
まったく気がつかなかったが、まさか見られていたとは。しかもそんな心配をされていたとは。
「ユーリ様はそんなことしないわよ……!」
「そうでしょうか?」
「そうよ。あの人はわたくしに、女性としての関心なんてないもの」
(ええ、分かってるわ。ただ競争相手として見られてるだけだって)
ブリジットとしてはそれで十分だ。
優秀極まりないユーリから、
学院を卒業したら、きっと自分は伯爵家を勘当されることだろう。
そのあとは精霊博士として身を立てようと思っていたが、そこに彼に勝ちたいという強い思いが加わったことで、ますます勉強だって気合いを入れて頑張れるのだ。
「…………」
しかし無表情のまま沈黙するシエンナは、納得いかなげな様子である。
そうこうしている間に馬車が止まり、ブリジットは馬車から下りると御者台に向かって声を掛けた。
「マイク、ありがとう。今日はもう馬車は使わないから」
「へい、分かりました」
気の良い中年の御者は軽く頭を下げ、別邸専用の
メイデル伯爵家では、正門の先に本邸が、そしてその裏側に隠れるようにブリジットが住む別邸がひっそりと佇んでいる。
そのため、厩やごみの焼却場などの設備はすべて別々に配置されている。
他人から隠れるように、そして伯爵家にとっても目に入れずに済むように……ということなのだろう。
決して感謝しているわけではないが、その点は気が楽だとは思う。
(今日は少し疲れたかも……)
早く湯浴みをしたいなと思いつつ、ブリジットが別邸に向かおうとすると。
「おい!!」
どこからか声を掛けられ、振り返ったブリジットは仰天した。
そこに立っていたのは、忘れもしない――例のブリジットのお尻を突き飛ばしてきた子どもである。
青髪青目のその子は、ムッと頬を膨らませて仁王立ちしている。態度は相変わらず生意気だ。
庇うようにシエンナが前に出た。
「お嬢様。この子はもしかして……」
「え、ええ。さっき話した子よ」
しかし、どうやってここまでついてきたのか。
もちろん、馬車に同乗していたなんてことはあるまいし。
「尾行している馬車はありませんでしたが……」
こっそりとシエンナが教えてくれる。
用心深い彼女は、どうやらそんなところまでチェックしてくれていたらしい。
感心しつつ、ブリジットはますます不思議に思って、少年とも少女ともつかないその子どもを見つめる。
「あの、わたくしに何か?」
「だから、おまえに言いたいことがあるんだ。かってに帰るな」
ブリジットはぱちくりと瞬きをした。
その話なら、つい数時間前もしたような。
(屋敷に招かれたのを、デートと誤解した件のこと?)
しかしどうやら違ったらしい。
「おまえ――まともに精霊が使えないんだろ?」
「……ええ、そうだけど」
「ボクにはその原因が分かる。だから、しどうしてやるって言ってるんだ」
(指導……?)
小さな子にはあまりに似つかわしくない物言いだ。
戸惑っていると、シエンナが再びこっそりと耳打ちしてくる。
「お嬢様、もしかすると……」
「…………!」
そういうことか、とブリジットは納得した。
大変言いにくかったが、これは別邸の主であるブリジットが直接訊いてあげなければ。
「つまりあの……」
「なんだ」
「家出ってことね?」
「そ――――、ちがう!!」
顔を真っ赤にして怒鳴られたが、ブリジットは「なるほど」と深く納得する。
こんなに小さい子だが、きっといろいろと事情があるのだろう。
ブリジットだって、半日ほどお邪魔しただけでこの疲労感である。
お屋敷でいろんな苦労があって、こうして逃げ出してきたのかもしれない。
(結局ユーリ様の親戚なのかは、よく分からないけど……)
「そういうことなら、いいわ。気が済むまでこの家に居ていいのよ」
「おい! かんちがいするな!」
「ユーリ様にもしばらく内緒にするから、安心してちょうだい」
「だから! ちがう!!」
よし。話がまとまった。
ブリジットは両手を合わせて提案する。
「それじゃ、とりあえずご飯にしましょう。わたくしの家の料理人はとっても優秀なのよ」
「……ごはん……」
その子は急に、お腹のあたりを押さえた。
「いらない」と突っぱねないあたり、お腹は空いているのだろうか。
「あなた、名前はなんて言うの?」
「……おまえに名乗るような名前はない」
だが、どうやら心はまったく開いてくれてないらしい。
少しブリジットは考えて、それから確認のため訊いてみた。
「じゃあ、ブルーって呼んでもいい?」
「……好きにしろ」
安直なあだ名だったが、許可をもらえてホッとする。
調子に乗って片手を差し出してみたが、それは無視されたのだった。
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