第43話.頭の中のあなた

 


 ブリジットは、湖畔の脇に置かれた白いベンチに並んで座っていた。


 燦々と降り注ぐ陽射しを、頭上の背の高い木が受け止めている。

 目の前では、陽光を反射した湖が光っているかのように見えた。

 ブリジットは目を眇め、そんな光景を眺める。まるで避暑地に来たような気分だ。


 よくよく見ると、湖面では水滴もたまに跳ねている。

 小魚が居るのかもしれないし、小精霊たちが戯れているのかもしれない。自然豊かな場所は精霊たちがよく好むのだ。


 そうして、どこかのんびりとした穏やかな昼下がりの時間が流れていたのだが。


 ブリジットの隣――ただし人ひとり分を空けた隣には、ユーリが座っている。

 木漏れ日の下、美貌の令息も遠くを見つめていたが、ブリジットの視線に気がつくと顔を向けてきた。


「!」


 それだけでブリジットは思わず、そっぽを向いてしまう。


(わざとらしい。今のはあまりにわざとらしかったわ!)


 ぎこちない首の向きのまま猛省しながらも、ユーリのほうを向くことができない。


 ここに来る前。

 精霊に会ってほしいというユーリに承諾し、オーレアリス家の屋敷内をブリジットは彼について歩き回った。


 だが精霊はなぜか、どこを探し回っても見つからない。

 それに何人かの使用人とすれ違うだけで、家人の姿もなく。


 慣れない環境で少しだけ疲れ始めたときに、気を遣ったのかユーリの従者であるクリフォードが言ったのだ。『二人で湖でも見に行ってはどうでしょうか』と。


 なるほど、それは良いかも、とブリジットが頷いたところで。

 それまで黙っていたシエンナが爆弾発言を投下した。



『では、若いお二人でどうぞ楽しんできてくださいませ』



 自分もそう変わらない年齢なのに、そんなことを軽々と言ってのけたシエンナに、クリフォードはちょっと噴き出したようだった。


 そのままシエンナとクリフォードは下がってしまい、今はユーリと二人きりだ。


「悪かったな、こんな理由で呼び出して」


 ブリジットが変な方向を向いているので、どうやら怒っていると思ったのか。

 そんな風に話しかけてくるユーリに、ブリジットはふるふると首を横に振る。


「いいえ。勝負は勝負ですので、構いませんわ」


 ――が、実際はものすごく気にしていた。


(精霊がわたくしを呼び出しただけ、なんですわよね。精霊……ユーリ様でなく……)


 いや違う。別に落胆などしていない。

 ユーリ自身にブリジットを誘う理由なんてないと、最初から分かっていたし。


「でも、どうしてユーリ様の精霊がわたくしを?」

「……僕にもよく分からん」


 少しだけ話題をずらすと、ユーリが渋い顔つきになる。


 前代未聞である、最上級精霊二体との契約を交わしたユーリ。

 彼の精霊の内の一体であるウンディーネは、なぜだかブリジットに友好的な態度なので、なんとなくブリジットはもう一体のほうもそうであることを期待している。


(そもそも、私のことをわざわざ呼んでいるくらいだし)


 しかしそれならば、学院に居るときにウンディーネのように出てきてくれればいいのでは、と思わなくもない。

 何か、オーレアリス家の屋敷でないと顕現したくない理由でもあるのだろうか?


 そうしてブリジットが考えていると、横のユーリが溜め息を吐いていた。


「お前との勝負の結果が出た直後から、頭の中でギャンギャン騒いでうるさくてな……」


(えっ)


 思わずブリジットは飛びついた。


「……ど、どんな感じなんですのっ? それって!」

「?」

「頭の中で精霊が騒ぐのって、どういう感覚なんですの!?」


 本や物語の中には、当たり前のように書かれている言葉だ。

 普段は精霊界で過ごすことの多い精霊たちは、たまに契約した人間相手に語りかけることがあるという。


 だが、頭の中で精霊が話すというのは、いったいどういうことなのか。


 気になって仕方がなかったので、屋敷の使用人たちにもよく質問したものだ。

 だが、人の言葉を用いる精霊と契約した知り合いは少なかったので――ブリジットとしては、ぜひユーリの話を聞いてみたい。


 身をずずいと乗り出し、わくわくとした好奇心に翠玉エメラルドの瞳を輝かせるブリジット。

 そんな彼女と至近距離で目が合ったユーリは僅かに目を見開き、ほんの少しだけ尻の位置を後ろに下げたのだったが……その分ブリジットが寄ってきたので、ぎこちなく首を横に向ける。


「どういうって……自分で分かるんじゃないか、そんなの」


 顔には出ないものの密かに焦った彼はそんなことを言ったのだったが、ブリジットは消沈した。


「いえ……わたくし、微精霊とは一度も交信できたことがありませんので……」

「!……ごめん」

「謝っていただく必要はないですわ。それで、どういう感覚なんです?」


 めげずに迫ってくるブリジットに根負けし、ユーリは少し考えを巡らせる。


「そうだな……普段はひとりで使っている頭の中に、たまに他人が這入り込んでくる感じというか」

「それは……なんというか、微妙ですわね?」

「今はもう慣れたが、確かにな。考え事をしているときに話しかけられると鬱陶しくて、シッシと追い払うこともあるが」

「まぁ……」


 ブリジットは思わず口元を手で覆う。ユーリの言い様がおかしかった。

 最上級精霊を犬猫のように邪険に扱うなんて、彼でなければできない芸当じゃないだろうか。


 精霊が頭の中に居る――という、自分とは縁遠いはずの知覚が、ユーリのおかげで少しだけ身近に感じられた気がする。


「でもそういう感覚でしたら、なんとなくですがわたくしにも理解できますわ」

「そうなのか?」

「ええ。不意にユーリ様の姿が頭の中に思い浮かんで、話しかけてきたりしますもの」


 くすりと微笑みをこぼすブリジット。


 ユーリが黙り込む。

 二人の間を、涼やかな風が通り過ぎていき、木々の立派な葉がそよそよと揺れた。




(――――――私は今、何をっ!?)




 ブリジットが失言に気がつくのには十数秒掛かった。


 リラックスしていたのは事実だが、なんてとんでもないことを口走ってしまったのか。

 これではまるでブリジットが、毎日毎分毎秒、ユーリのことを考えているようではないか。


 頭を抱えて悶絶したいくらいの後悔に襲われるが、隣にユーリが居るのでそんなこともできず。


(というか、なんでユーリ様は何も言わないの……!?)


 いつもの毒舌が飛んでこないということは、もしかして聞こえていなかったのだろうか。

 それとも空気を読んで聞こえない振りをしてくれたのか。表情を伺っても、いつも通りの無表情からはまったく読み取れない。


 となると、否定するのもおかしいような。

 でも否定しないと、今の発言が事実だと認めてしまうことになるわけで……すると、もし彼に聞こえていたらまずいわけで……ぐるぐると考えすぎて、ブリジットは頭がクラクラしてくる。


「……おい。大丈夫かブリジット?」

「えっ、あ、い、ッいえ! 何も……そう! わたくしはこの通り、いつも通りですわ! オホホホ!」


 高笑いしつつも、明らかに様子がおかしいブリジットに。


「別に僕は何も聞いていないから……」


 と、どこか歯切れ悪くユーリが小さく口にした。

 その瞬間、ブリジットの思考は一瞬、きれいに停止した。



(きっ、……きこ…………聞こえてた――――!!)



 史上最大のパニックに陥り。

 ブリジットはその場から脱兎の如く逃げ出した。



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