第39話.温かな腕
一瞬、森の中は痛いほどに静まりかえる。
黙り込んだ生徒たちは、その瞬間にすべてが理解できたことだろう。
顔色を変え、あからさまに動揺したリサと。
正反対に、降って湧いた幸運にほっと吐息したブリジット。
どちらが正しい発言をして、どちらが嘘を吐いていたのか――。
そんな状況で、最初に口を開いたのは精霊学の教員であるマジョリー・ナハだった。
先ほどまでの険しさはすっかり消え失せ、いつも通りののんびりとした口調で彼女は言う。
「ありがとう~、ウンディーネ。協力に感謝するわ」
『いいえ。ワタシはただ、困っている女の子を見過ごせないだけよ?』
空中で器用に振り返ると、ブリジットを見てウィンクしてみせるウンディーネ。
そんなウンディーネに、ブリジットもぎこちないながら微笑みを返した。
「水鏡は、公正を期すため先生が他の教員と一緒に確認します。ブリジットさんはそれでいいかしら」
「はい。もちろんですわ」
「リサさんも、異存はない?」
「え……あ、……そ、そんなの見る必要ありません!」
自分にとって、思いがけない方向に話が進んでいると分かったのだろう。
慌てふためくリサにマジョリーは首を振る。
「そんなはずないわ。真実を映す水鏡があれば、あなたの
「そっ、それは、…………っ、ウンディーネはユーリ様の契約精霊です! ブリジットはユーリ様に取り入ってたし、だからウンディーネの水鏡なんて信用しないでください!」
「……リサさん」
リサがびくりと震える。
「あなたは、他の生徒を、大勢の前で嘘吐き呼ばわりしたわ。……それがどういうことかは分かっている?」
「……ッ!!」
これ以上なく悲愴な顔つきになるリサを眺めながら、無情にも他の生徒たちはヒソヒソと言葉を交わしている。
そんな光景は、ブリジットにとっても気持ちの良いものではなかったが、マジョリーはリサの立場を最低限慮ってくれたようだった。
「みんな聞いて。試験は一時中断とします。今日は全員、学院に戻って宿舎に泊まること。寮生は自分の部屋を、それ以外の生徒は別棟が空いてるから使ってね。まだ集まっていない生徒は先生の精霊が回収します」
てきぱきと告げたマジョリーがコロポックルたちを放ち、力なく俯いたままのリサの肩を押してさっさと歩き出す。
それが合図となり、戸惑いながらも何人かの生徒はマジョリーについていくように歩き出した。
ブリジットと同じクラスの生徒たちは、こちらに駆け寄ってこようとしたが……ニバルがそれを押し留める。
「あー、ホラホラ、全員宿舎に向かうぞ。夜道は危険だから光魔法使える奴は明かり出してくれ」
級長らしくみんなをまとめるニバルだが、最後に振り返ると。
くわっと目と口を開けながら、ユーリを鋭く指さした。
「これは貸しだからな、ユーリッ!」
「……さっそく返品したいんだが」
「駄目に決まってるだろ! じゃあ……任せたからな!」
「チクショー!」とか叫びながら去って行くニバル。
視線を右往左往させつつ、キーラも不安そうに話しかけてきた。
「ブリジット様。あの……」
「大丈夫だ。僕が連れていくから」
「……は、はい。じゃあわたし、洞窟に置いてきちゃった荷物を取ってきます!」
びくびくしながら走り出すキーラを見送ってから、ユーリは傍らを見上げると。
「にしても、お前が特定の相手に肩入れするなんて珍しいな」
『マイマスター。その言葉、そのままお返ししちゃおうかしら?』
宙でくるくる反転し、尾ひれを振ったウンディーネがクスクスと笑う。
『それじゃ、マスター。"赤い妖精"さんのお相手はお任せするわね』
そう言い残して、空間に溶けるように消えるウンディーネ。
先ほどまでの喧噪が嘘のように静まり返ると、ユーリはブリジットを見つめた。
「ブリジット」
「…………」
「ブリジット?」
ユーリの声は、信じられないほどに優しくて。
それまで言葉を発さず、黙り込んでいたブリジットは――急に力が抜けて、思わずこぼしてしまった。
「…………怖かったです」
ユーリは、やっぱり笑わなかった。
ただ、「そうか」と頷く。だから次々と、隠していた本音がブリジットの中から溢れてしまう。
「もう駄目だって、何度も――思って、苦しくて、痛くて……」
「……分かってる」
何か、柔らかな感触が、頭を撫でた。
それが彼の手のひらだと気づくまでは、少し時間が掛かって。
「よく耐えた。よく頑張ったな。……ブリジット」
「……っっ」
じわ――と、目の縁に涙が盛り上がる。
なんだかいろいろ堪えることができなくて、思わずブリジットはユーリの胸にしがみついた。
「うわっ!」
露骨に嫌そうな悲鳴が聞こえた気がしたが、気づかない振りをする。
ぎゅうと閉じた目蓋の裏が熱い。涙は絶えずこぼれ落ちて、頬ごと溶けていってしまいそうだ。
それに、ひぃひぃと喉から情けない音まで出ている。
そうして子どものように、どうしようもない醜態を見せるブリジットに、ユーリは困った様子だった。
「何故泣く」
問うその声まで、困惑に揺れている。
「な、泣かせるようなこと、あなたが言うから」
ひどい責任転嫁だ。よく分かっている。
それでもブリジットは、そうでも言わないと、たぶんうまく呼吸ができなかったのだ。
「……そうか。なら泣いていい。僕の責任だからな」
呆れたような頷きさえ、ひどく優しくて。
何度も嗚咽を零して、しゃくり上げて、ブリジットは泣いた。
――そして数分後。
落ち着いてきたところで、はたと我に返った。
(わ、私。いったい何をして……!?)
いくら動揺していたとはいえ、限度というものがある。
正体をなくすほど泣いて、感情に振り回されるなど、貴族令嬢としてあるまじき振る舞いだ。
ショックのあまり涙は引っ込んでいたが、同時にブリジットは大変なことに気がついた。
「ご、ごめんなさい。鼻水ついちゃったかも……!」
慌てて離れようとするが、逆に引き寄せられた。
ユーリの片腕の中に、そっと閉じ込められる。
氷と呼ばれる彼の腕は、思いがけず温かかった。
無性に、その温かさが恋しく、愛おしく思えて、ブリジットは小さな声でお礼を言う。
「ありがとう……ございます、ユーリ様」
「……別に」
『「別に」って、マスター。可愛い妖精さんの窮地を救ったのはワタシよね?』
そこに、先ほど消えたばかりのはずのウンディーネの声が聞こえてきたので、跳び上がるような勢いでブリジットはユーリから離れた。
誰にも見られていないと思えば、ユーリに甘えることもできたが――しかし、目撃者がいるとなれば話は別である。
(というかウンディーネ、もしかして最初から見てたんじゃ……)
そわそわするブリジットは、広げたままの腕をユーリが不機嫌そうに腕組みの形に組み替えたのにはまったく気がついていなかった。
「………………水の魔石は弾む」
『魔石だけじゃ足りないわ。聖水もお願いしまーす』
「………………ハァ」
深い溜め息を吐きながら、軽く顎を引くユーリ。
そんな二人のやり取りを聞きつつ。
今さらながら、ブリジットは少し不思議に思う。
(懇意にしているセルミン男爵令嬢が、あんなことになったのに……)
結局、騒ぎの間、一度もジョセフは姿を見せなかった。
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