第27話.ばったりと、顔を合わせて
(うう、落ち着かないわ……!)
シエンナに導かれ、馬車から降りたブリジットは非常にそわそわしていた。
本日は彼女と約束した外出の日――である。
だがいつもと違う服装や化粧に、思わず緊張していたのだ。
赤くウェーブがかった長髪は、横髪を一房ずつ三つ編みに編み込んである。
純白のワンピースドレスの裾は優雅に広がっていて、爽やかで上品なシルエットだ。
そして化粧はあくまで最低限に。
白粉は薄く、唇に鮮やかな紅を載せ、淡い桜色のアイシャドウを散らしただけである。
シエンナが中心となり、仕上げてくれたこの姿は、まるで名家の大人しい令嬢が、お忍びで街を歩いているような出で立ちで……。
(今までは、ピンク色の派手な格好ばかりしていたから……どうしても落ち着かないのよね)
ジョセフの好みに合わせた衣装棚の中は、今までは目に痛いほどのピンク色ばかりが詰め込まれていたのだ。
それらは婚約破棄された週末に侍女たちが、良い笑顔を浮かべながらすべて焼き切ったらしい。というのもメイデル家に連なる者が多いので、そのうちの多くが炎精霊と契約しているのである。
(なんか、見られてるような……)
そしてシエンナの差す日傘の下で、ブリジットはおっかなびっくりと長い手足を動かしていた。
恐らく気のせいではない。すれ違う人々……特に若い男性たちが、先ほどから何度も視線を寄越してきていた。
だが、好奇心のようなものは感じ取れるものの、その中の多くには悪意は含まれていないようだ。
意外にも――と言うべきなのか、王都の往来を歩く人々は、いま目の前を歩いているのがかの悪名高きブリジット・メイデルとは気づいていないようである。
「お嬢様。気になるようでしたら、片っ端から燃やしましょうか」
(どこを燃やすつもりなの……!?)
ブリジットは気になったが、恐ろしい答えが返ってくる予感がしたのでその問いは言葉にしなかった。
「だ、大丈夫よシエンナ。それよりどこか、行きたいところはある?」
「……お嬢様の行きたいところが、私にとってのその場所です」
小首を傾げるシエンナも、今日はいつものお仕着せ姿ではなく、裾の短めのライトグリーンのワンピースを着ている。
そんな彼女の愛らしさは尋常ではなく……ぽぅっと熱を帯びた目を向けている男たちの視線を感じつつ、ブリジットは思わず呟いた。
「私もシエンナのために、炎魔法を早く習得したいわ」
「……? よく分かりませんが、お嬢様は汚いものを燃やさずとも結構ですよ」
どこかズレている会話をしつつ、二人はとりあえず目についた本屋に入店したのだった。
その後も、ブリジットとシエンナはのんびりと王都を散策した。
というのも、街中を注視すると至る所に魔法を使役している職業人の姿が見受けられるのだ。
土精霊の加護があれば土木作業や建築作業に向くし、水精霊の加護があれば水道設備の整備や清掃の仕事に優れる。
時にはその中に、気ままに顕現した契約精霊と喋る人の姿もあって……それを見つめているだけでも、ブリジットにとっては有意義な時間だ。
(
しかし自分にとっては楽しくて堪らないその時間が、供を務めてくれている人物にとっても同じとは限らない。
「大丈夫? つまらなくない?」
「いいえ。とても楽しいです」
心配になってブリジットが訊くと、シエンナはほんのりと口元を緩めてそう答えた。
どうやら嘘を言っている様子ではなさそうだ。ブリジットはほっとしたが、夏の陽射しは暑く、そろそろどこかの店に入ろうと思った。
周囲を見回したブリジットは、よく使用人に買い物をお願いしている魔石店の看板を折良く通りの向こうに見つけた。
「次はあの店に行きましょう」
「はい」
カランコロンと、涼やかなベルの音と共に入店する。
思った通り、店の中は非常に涼しく――というのも、四方に配置された水の魔石によって低い温度と瑞々しい空気が保たれていた。
店内には数人の客の姿がある。
上級貴族御用達の品質の良い魔石や、魔石を使ったアクセサリーばかりを取り扱っているので、貴婦人の姿が目立っていた。
僅かに汗ばんでいる額を、白いハンカチで軽く拭う。
ふぅ、と息を吐いたブリジットは、そこでふと、すぐ右側に人の姿があるのに気がついた。
距離を取ろうと、左側にずれようとしたときだった。
飾り棚の前に立つその人に何気なく目をやって。
ブリジットは盛大に顔を引き攣らせた。
「ゆ……」
(――ユーリ様!?)
寸前でどうにか、口元を押さえる。
恐る恐ると両手を口にやったまま、左にスススと音もなく移動する。
シエンナは不審げに瞬きして、そんなブリジットとユーリを見比べている。
だがユーリはまったくこちらを見向きもせず、よく磨かれた硝子張りのケースをじっと見下ろしている。
(で、でもこの赤毛よ。この距離で気づかないことってあるかしら……?)
ブリジットは息を殺しながらも、そう首を捻っていた。
メイデル家や、それに連なる者には、髪に赤に近い色素を持って生まれてくる子が多い。
別邸の使用人でいっても、ブリジットの専属侍女のシエンナはオレンジの髪、厨房係兼パティシエのカーシンは薄赤の髪の毛の持ち主だ。
だがユーリは真剣な横顔を動かさず、口元を小さく動かしている。
「クリフォード、最高品質の水の魔石を……そうだな、五十個。それと各魔石を十個ずつだ」
「承知しました」
どうやら魔石の買いつけに来ているらしい。
横に居る同い年くらいの、こちらもまた身なり良く整った容姿の青年にてきぱきと指示を出している。
ユーリの従者だろうか。水色の髪の毛は、彼もオーレアリスに連なる家系なのだろうとブリジットに連想させた。
すると、ユーリが注文と同じ口調で言った。
「そういえばこの前の魔石、返していなかったな」
「え?」
「ほら」
こちらを見ないままの彼に急に拳を差し出されて、ブリジットは無意識に両手を差し出していた。
手のひらの上に水の魔石が載せられる。
見覚えのあるシルエットを見た途端に。
――弾かれたように、ブリジットは真っ赤な顔を上げた。
(最初から、き、きき、気づいているじゃないのっっ!!)
ひとりで悶々としていたのはなんだったのか!
人目がなければ、沸点低めのブリジットは間違いなく怒鳴り散らしていたことだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます