第25話.落ちてしまったらしく
ブリジットが隠しから取り出し、ユーリに向かって投げつけたもの。
それは――小さな水の魔石である。
すると頭に喰らった石を、地面に落ちる前に片手でぱしりと掴んで。
その正体を確認したユーリがゆっくりと顔を上げた。
「……………………おい」
(ぎゃっ! キレてる!)
「す、すみません! 今度ウンディーネに会えたら、お近づきの印に渡そうと思っておりまして!」
「人の精霊に色目を使うな」
「固いこと言わないでくださいまし!」
静かながら、明らかに怒気の滲んだ顔つきにブリジットは怯える。
しかし後退ったことで――いつのまにか身体の自由を取り戻しているし、声も出ることに気がついた。
見回せば、視界の限りを覆っていた霜は溶けて消えている。
ユーリと目が合うと、彼はすこぶる不機嫌そうではあるが、先ほどまでの冷徹な雰囲気を消失させていて……それを見てブリジットは、大きく息を吐き出した。
(……良かった)
この空間に凍りつき、囚われていた生徒たちがバラバラと逃げ出す。
彼らの多くがユーリのほうを見て、怯えた表情をしていたのは気になったが、ユーリが強すぎる魔力を発現させたのは事実だから、悔しいがとても説得することは出来ないだろう。
彼が――他でもないブリジットのために怒ってくれたのだとしても。
「セルミン男爵令嬢」
だからブリジットはせめてと、リサに声を掛ける。
拘束が解けたにも関わらず動けずに居たリサは、ブリジットのほうを見たが、その瞳にはより強度の増した憎しみが浮かんでいるようだった。
だがブリジットは動じず、彼女に話しかけた。
「――わたくし、今日はあなたとお話出来てとても安心したわ」
「は? 何を……」
「ジョセフ殿下って、馬鹿な女が好みのタイプなんですって」
また、リサは何を言われたか分からないような顔をする。
なら、とブリジットは噛み砕いて……にやっとした笑みも加えて、言ってやった。
「――女性の好みにお変わりがないようで、安心したの」
「…………ッッ!」
再び逆上したリサは、怒鳴ろうとしたのか大きく口を開いた。
だが、さすがに分が悪いと気がついたのか。
「……覚えてなさいよッ、ブリジット・メイデル!」
つまらない捨て台詞を吐いて。
肩を怒らせて大股で帰っていく彼女を見送り、「あらやだ、お行儀が悪い」とブリジットは目を丸くしてみせた。
そんなブリジットに、ユーリが正面から近づいてくる。
「やはりお前、性格が悪いな」
「ユーリ様にだけは言われたくありませんが」
軽く言い合ってから、ブリジットはユーリに向き直った。
「……庇ってくださってありがとうございました、ユーリ様」
そして深く、頭を下げる。
あのままリサが言葉を続けていたら。
きっとブリジットは泣き出していた。それでリサが喜ぶような結果になったとしても、耐えることは出来なかっただろう。
(自分の弱さがいやになる……)
だが悄然とするブリジットに、ユーリはいつもの調子で返してきた。
「お前を庇ったつもりはまったくない」
「……そうなんですわね。でもわたくしは、嬉しかったのですが」
腕組みをしたユーリが、ちら、とこっちを見てきた。
「……嬉しかったのか?」
「知人に心配されたら、嬉しいものでしょう? 誰だって」
「……なら、そういうことにしてやってもいいが」
(面倒くさい~!)
でもなんとなく、この面倒さにも慣れてきたような気がする。
「それで……あれはいったい?」
ブリジットが声を潜めて聞くと、ユーリが眉を顰めた。
「……知らん。あの女なら最近はずっとあんな調子だ」
ユーリは苛立たしげに呟くと、「そんなことより」とすぐに話題を変えた。
「ブリジット、お前は平気なのか」
ぱちくり、とブリジットは瞬きをした。
リサが何かと絡んできたことについてだろうか。
そう思いきや、ユーリは別の側面を気にしていたらしかった。
「あの女……セルミン男爵令嬢は、お前にとっては恋敵なんだろう。前にも陰から覗き込んでいたし」
「!」
(やっぱり気づかれてたんだわ……!)
いつかの覗き見がバレていたことが、今さら恥ずかしくなってくる。
だがそれよりも、もっと重要なことがあった。
「ユーリ様。その、恋敵というのは……?」
「……?」
ユーリが首を捻る。
「お前、好きなんだろう。第三王子のことが」
「ああ……まぁ、お慕いしてはおりましたけど」
そりゃあ、幼い頃からの婚約者だったし、彼は虐げられるブリジットにとって唯一の味方のような存在だったのだ。
だがこうして婚約を破棄され、ブリジットも少しばかり冷静になってきた。
(だって、自分の婚約者に向かって『馬鹿が好き』とか『ピンク色のドレスを着ろ』とか、『化粧を濃くしろ』とか『馬鹿の振りをしろ』とか……わりとまともな要求じゃないわよね?)
ジョセフがどういうつもりだったのかは分からない。
だが、彼はもともと――あるいはかなり早い段階で、ブリジットのことを疎ましく思っていたのではないだろうか。
(それに気づかなかった私にも、問題があったということで)
「最近はジョセフ殿下のこと自体、あんまり思い出しておりませんでしたわ」
「そうなのか?」
「ええ。だっていつも気がつけば、ユーリ様のことばかり考えてしまうから」
(…………あ)
……いま。
勢い余って、何か大変なことを口走ってしまったような。
失態に気がついたブリジットは、大慌てで両手を勢いよく振り回した。
「――――もっ、もちろんお分かりかと存じますが、ユーリ様との勝負事のことばかり考えてしまうという意味ですから!」
「…………」
「ほ、ほら! 筆記試験はどっ、同率一位で……精霊学の授業は、クラスが違うから競いようがありませんでしたし! 次こそ決着をつけなければと思いまして、ただそれだけのことでして、むしろそれ以外の理由があるはずないといいますかっ!」
だが口を開けば開くほど、嘘くさいというか、言い訳がましい言葉ばかりが出てきてしまう。
ブリジットの頬には、今や抑えきれるわけもない熱がグングンと勢いよく上っていく。
それにユーリも、何も言わないままで――さらに慌てふためいて、ブリジットはそれっぽい理屈を並べ立てようとしたのだが。
「……はっ」
堪えきれないというようにユーリが吹き出して。
真っ赤なブリジットに向かって、笑みの滲む瞳で言った。
「……焦りすぎだ、バカ」
「~~~~~っ……!!」
パクパクパク、とブリジットは口を開閉して、しかし意味のある言葉はもう出てこない。
それなのにユーリは口元に拳を当てて、喉の奥を慣らして笑っていて。
(こんなの、嫉妬なんかじゃ、ない……)
彼へのこの気持ちが、嫉妬なんかであるわけがなかった。
だって、もっと温かくて、切なくて、ずっとずっと大切で。
今までに一度だって、感じたことのないこの気持ちは。
(私は、ユーリ様を……)
「だから、わたくし、馬鹿じゃありませんもの……」
「……知ってる」
真っ赤っかになりながら俯くブリジットに、そう応じる声音だってあんまり優しいものだから。
(この人のどこが、氷のように冷たいのだろう)
それきりブリジットは、何も言えなくなってしまった。
「……おいっ! おい、俺だけ何故かぜんぜん解凍されてねぇぞっ! おい、オーレアリス~ッ!」
……後ろのほうで、よく知っている声が叫んでいる気もしたのだが、いっぱいっぱいのブリジットの耳には届かなかったのだった。
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