第22話.気持ちの正体

 


(最近の私、おかしいわ……)



 お昼休憩の時間、食堂にて。

 ブリジットは四人席のテーブルで、クリームパスタを優雅に口に運びながらそう思っていた。


 隣の席からは、サンドイッチを注文したニバルが先ほどからにぎやかに話掛けてきているのだが……思考に没頭しているブリジットの耳にはまったく入ってこない。


 そう。最近の自分はおかしい。


 放課後になると、否――より正しく言うなら、いつでも気がつけばユーリのことを考えてしまうのだ。

 ユーリの表情、声、仕草、言葉……そしてそれらをひとつずつ思い出すたびに、みるみるとブリジットの顔は熱っぽくなってしまって。


 挙げ句の果てには、青いものや黄色いものを目にすると、条件反射のようにユーリの横顔を思い浮かべてしまう始末である。


(昨日はシエンナにも、『何か悪いものを食べたのでは』とか心配されちゃったし……)


 きれいに咲いていたから庭師のハンスに分けてもらった。

 そう言いながら、シエンナが切り花にしたオキシペタラムを見せてもらったら、ふと――その青さにユーリを連想してしまったのだ。

 真っ赤になったブリジットを、シエンナは慌ててベッドに寝かせたのだったが……明らかに、現在のブリジットは異常である。


 そしてその原因にも、本当は心当たりがあった。

 屈辱ではあるが、認めないわけにはいかないのだろう。


 たぶんこれは、



(嫉妬……! 私、ユーリ様に嫉妬しているんだわ!)



 間違いないだろう、と断定し、ブリジットは強く拳を握る。


 ユーリ・オーレアリス。

 水の一族の四男にして、二体もの最上級精霊と契約した前代未聞の天才少年。


 もともとブリジットは彼の存在を意識していた。

 炎の一族の長子として、優秀な彼と比べられることも少なくなかったからだ。


 そしてユーリと出会い、二人でよく話をする仲になってからは、ますますユーリが優れていると再認識させられてばかりで。


 ライバル心を刺激されたからこそ、気がつけば彼に会いたくなり、また嫉妬を覚えてしまう……きっと自分はそういう悪循環に陥っているのだ。そうに違いない。


 というのも、


(精霊学の授業も、すごかったらしいし……)


 ニバルが契約精霊を暴走させる事件を起こして、屋外魔法訓練場はしばらく使用禁止となったのだが。


 昨日はユーリのクラスでも、遅れて精霊とのコミュニケーションを披露する授業が行われた。

 そこで彼はウンディーネと滑らかに会話する様子を披露し、あまつさえ二人で魔力を練り上げ、極大の水魔法を放つ様子をまざまざと見せつけたのだという。


 それをブリジットは、最近少しずつ話すようになったクラスメイトの女子から聞いたのだった。


(出来ることなら私も近くで見たかった……!)


 ユーリのクラスにはジョセフやリサが居るが――それを差し置いてでも、ぜひ見てみたかったと思う。


「げっ。ユーリ・オーレアリス……」

「!」


 そんなとき。


 ニバルの呻くような声が聞こえて、ブリジットは弾かれたように顔を上げた。

 見ればそこには、ユーリ本人が立っていた。


「ユーリ様……」

「ああ」


 気のない返事をしたユーリが「ここ、いいか」と呟く。

 ニバルが「はぁ?」と胡散臭そうに顔を歪めた。


「いいわけないだろ。俺とブリジット嬢の安らぎの時間を邪魔するな」

「どうぞ」

「ブリジット嬢!?」


 断る理由もないのでブリジットが頷くと、ユーリが向かいの席に腰を下ろす。

 ブリジットは気にせず貴族令嬢らしく落ち着いた所作で、パスタを口に運びながら、




(なっ、なななんなんで急にユーリ様が来るのよ……!?)




 実際のところ、心の中では盛大にパニックになっていた。


(気を抜いたらフォークを持つ手が震えそう……! い、いえ駄目よっ、耐えなければ! ゼッタイに変に思われるもの!)


 思い出すのは――そう、つい数日前の図書館での出来事である。


 ニバルから隠れるために、ユーリと手を繋いで。

 光の射さない暗い本棚の間に隠れながら、息を殺してやり過ごした。


 まるで、世界に二人きりしか居ないようで……。

 あの後はあんまりにも恥ずかしくて、何か変な言い訳を口走りながら逃げてしまったのだ。


(っああ、もう……)


 口元を覆った手の感触も、未だに残っているような気がして。

 あのときのことを思い出すと、ブリジットの心臓はどくどくとうるさく騒いで、言うことなんてちっとも聞かなくなってしまう。


 毎日こんな調子で、本当に参っているのだ。


「それで、俺に何か用か?」

「逆に訊きたいが、どうして僕がお前に用事があると思うんだ?」


 ブリジットが黙っている間にも、ユーリとニバルはつっけんどんとした調子で会話している。

 だがニバルがそう訊いたのも無理はない。普段ユーリは個室を使うことが多かったはずだ。


 何故、今日はテーブル席に――しかもわざわざ、ブリジットとニバルの居る席を選んだのだろう。

 見回せば、他にもちらほらと席は空きがあるのに。


(もしかして私が居たから、とか――)


 ……なんて、自意識過剰なことを考えかけたとき。

 ブリジットは気がついた。


(……? あれ……?)


 ユーリの様子が、いつもと少し違う気がする。

 うまくは言えないが、なんとなく違和感を覚えて……その感覚を逃す前に、問うた。


「あの、ユーリ様……もしかして寝不足ですか?」


 給仕が運んできたのも、小皿に載ったサラダだけで。

 それに手をつけることもせず、ユーリがブリジットに視線を向けた。


「違う」


 冷ややかな否定の言葉。

 だが、常のような鋭さはない。


(寝不足……じゃなくて熱中症とか?)


 心配に思うが、そういう気遣いの言葉がうまく口から出てこない。

 そうしてひとりで悶々としていると。


「どうしてあれから、図書館に来ない?」


 急にユーリがそんなことを訊いてきたので、ブリジットは硬直してしまった。


 あれから――というのはもちろん、ニバルから逃げたあの日のことを指しているのだろう。

 先ほどまでもそのときのことを回想していた、なんて知られているわけはないだろうが、ブリジットを見つめるユーリの瞳には、何故だか切実な色があるようにも見えて。


「……ちょ、ちょっと野暮用がありまして」


 結局、ブリジットは誤魔化し気味にそんなことを言った。

 ついでに照れ隠しに、バサリと扇子を広げつつ、


「お、オホホ。もしかしてユーリ様ったら、わたくしが来なくて寂しいんですの?」


 と冗談交じりに揶揄するようなことを言ってみる。

 きっと普段通りに、ものすごーく失礼な言葉が返ってくるに違いなかったのだが、


「……まぁ、そうだな」


(え!?)


 まさかの同意が返ってきて、ブリジットは耳を疑った。


 やっぱり、今日のユーリは様子がおかしい。

 おかしいというか異常である。もはやブリジットの不調を超越するほどに。


「ユーリ様、もしかして拾い食いとかしたのでは……?」

「お前と一緒にするな」


 鼻を鳴らすユーリ。

 だが、どことなく元気のない彼に、ブリジットはおずおずと手元のそれを差し出した。


「……あの、これどうぞ」

「え?」

「デザートのプリンです。甘い物なら、食べやすいかと思いまして」


 ブリジットは甘い物が大好きで、プリンだってもちろん好きだ。

 でも別邸に帰ればパティシエのカーシンが毎日のように新作デザートを提供してくれるので、お昼は我慢しておくことにする。


 しばらくユーリは黙ったままだった。


 余計なことをしただろうか、とブリジットがそわそわしていると。

 ユーリはやがて、ぽつりと呟いた。


「お前、良いヤツだな」

「ひぃっ……!」


 ブリジットは恐怖のあまり震えた。隣ではニバルも「うわぁっ!」と叫んでいた。



(やっぱりおかしいわ、今日のユーリ様……!!)



 だがその理由が、ブリジットにはよく分からなかった。

 ――そしてその理由を彼女が知ることになるのは、それから数時間後のことだった。



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