第21話.息もできない

 


「……あの、ニバル級長。どこまでついてくるつもりですの?」



 もう何度目か分からなかったが、ブリジットが後ろを振り返ってそう訊くと。

 小股でついてきていたそのガタイの良い男は、誇らしげに胸を張ってみせた。


「どこまでって、ブリジット嬢の行く先ならどこでもお供しますよ」


 ここ最近は、そんな遣り取りが延々と続いている。

 ブリジットはげんなりとしたが、ニバルがやたらと嬉しそうにしているのであまり強く言うことも出来ずにいた。


(気がつけば、私相手に敬語になってるし……)


 ニバルは何故だかブリジットに懐いてしまったらしい。

 そもそもジョセフの側近候補のひとりであり、ブリジットを嫌っていたはずなのだが……精霊学の授業でブリジットが結果的に彼の暴走を食い止めたために、どうやら恩義を感じている様子だ。


 あのあと、彼は学院の教師たちによって、数日に亘り取り調べを受けたそうだ。

 その結果、しばらくは【魔封じの首輪】を着けられることとなったが、本人はあまり気にしていないようである。


 しかしユーリが居る――かもしれない場所に今から向かう予定のブリジットとしては、どうしても彼の存在が気にかかる。


「もう結構なので、このあたりでお帰りいただけませんか?」

「ハハハ。そう遠慮しなくても」


(遠慮とかじゃないんだけど……)


 自分でもよく分からないが……この先に、ニバルを連れて行きたくないような気がする。

 どうしてそんな風に感じるのかは、よく分からないが。


 ブリジットは首を捻りながら、図書館の横の庭園……に向かおうとして、直前で図書館へと行先を変えた。

 煉瓦造りの建造物の中を、慣れた足取りで進んでいく。ニバルはあまり馴染みがないのか、物珍しそうにきょろきょろしていた。


 ――心のどこかで『居ませんように』と祈りながらも。

 初めて見かけた閲覧スペースの、いつもの席にやはり彼の姿はあった。


 青く艶めいた髪の毛に、冷たい黄水晶シトリンの瞳。

 陽射しを知らないように白い肌と、スッと通った鼻梁。


 美貌の令息の姿には、このところ見慣れてきたつもりだったがやはり目を奪われて。


「…………?」


 そうして、じいっと見惚れるブリジットの視線に気がついたのか。


 本から顔を上げた彼と、思いきり目が合う。

 ユーリは瞬きしてから、何気なくブリジットの背後へと視線を移し……軽く目を見開いた。


 ――やっぱり、とブリジットは思った。


 彼の誤解を解こうと口を開きかける。

 だがブリジットが言うより先に、ユーリが納得した様子で呟いた。




「ブリジット。それがお前の契約精霊か」




「――――――違いますけどっ!?」


(言うに事欠いて!?)


 どういう勘違いだ。ブリジットは信じられない思いで否定した。

 するとユーリは意外そうにブリジットとニバルを見比べる。


「……そうなのか? 雰囲気が似ているから、てっきり……」

「面白くない冗談はやめていただけますか!」

「僕は冗談は言わないが」


(余計悪いわよっ!)


 しかしわなわなと拳を握って震えるブリジットの後ろで、ニバルは照れくさそうに頬を染めて頭を搔いている。


「俺は――その、やぶさかではないですが」

「わたくしは吝かだわ……」


 げっそりと呟くブリジット。

 だがニバルはまったく気にしない様子で訊いてくる。


「それでブリジット嬢。図書館には何の御用で?」

「何の用って、ユーリ様に……」


 ブリジットは思わずそこで黙り込んだ。

 今、無意識に――なんだかすごく、変なことを言いかけてしまったような。


「――ユーリ様が邪魔だなぁと思いつつ、本を読みに来たのですっ!」

「は?」


 ユーリが眉を寄せる。

 ブリジットも、自分は何を言っているのかと慌てた。誤魔化すにも、もう少しマシな物言いがあったはずだ。


 するとニバルは何を勘違いしたのか、大きく頷いて制服の袖をまくった。


「なるほど。ではこの男を俺が排除しましょう!!」


(ええっ!?)


 なんでそうなる。

 ブリジットは慌てて、ユーリに向かおうとするニバルの腕を掴んだ。


「ちょっと! ニバル級長、何もしないで結構ですからっ!」

「そういうわけにはいきません! だってさっき、この男が邪魔だと」

「あ、あれは――」


 違う、と言いかけてブリジットは言葉に詰まる。

 だっていったい、どういう言い訳をすればいいのか。


(ユーリ様に会いに来た――なんて、言えるわけないのにっ……!)


「あのぉ。図書館ではどうかお静かに~……!」


 そんなタイミングでのことだった。

 本棚の隅から、ひょっこりと眼鏡の女性司書が顔を出す。


「ああ、すみません。これはですね――」


 根が真面目なニバルが、説明しようと司書に向き直る。


 その一瞬の隙をついて。


「……こっち」

「え?」


 音もなく寄ってきたユーリが、ブリジットの右手を後ろからぐいと掴んだ。


 小走りをするユーリに、ブリジットは引っ張られる。

 背後からニバルの声が聞こえるが、ユーリは足を止めなかった。


 ニバルを攪乱するためなのか、閲覧スペース横の本棚の間をジグザグと、ふたりで通り抜けていく。

 図書館の構造には詳しいのだろう。ユーリは一度も迷うことなく、最も奥まった辞書置き場までやって来ると、そこでようやく立ち止まった。


 そうしてブリジットは、繋いだ手を呆気なく離されたのを少し心細く思う。

 同時に、気がついた。


(振り解こうなんて、少しも思わなかった……)


 少々埃っぽい暗がりの中、ユーリが振り向く。

 少しだけ、表情が読みにくかった。


「……それで、あれは?」

「あれって……」

「誰?」


 じっと、物静かな瞳がブリジットを見つめる。

 それだけで不思議と――動悸が激しくなって、ブリジットは目を逸らした。


「か、彼は……わたくしのクラスの級長ですわ。ニバル・ウィア子爵令息です」

「知らない名前だな」


(そりゃあ、ユーリ様が気に留める名前なんてなかなかないでしょう……)


 呆れるような気持ちでいると、ユーリが淡々と言う。


「あいつ、すごくうるさいな」

「……そうですわね」

「もしかしたらブリジットよりも」

「き、聞き捨てなりませんわねっ! さすがのわたくしもあそこまでやかましくありませ――っ」


 ムカっとして言い返しかけたときだった。


 ――ふいに。

 とん、とユーリの右腕が本棚を軽く押した。


 本棚とユーリに挟まれるように密着されたブリジットは、何事かと目を丸くする。

 でも発言を許さないというように、次いで口元を覆ったのは彼の左手で。


「……!?」


 覆いかぶさってきた身体が自由を柔く奪う。

 それでもう、すっかり動転してしまった。


「むっ!? むぐ――」




「………………静かに」




 しー、とユーリが、子どもにやるように口の前で人差し指を立てた。

 それを触れるほど間近で目にして、ブリジットの呼吸がきれいに止まる。


 ――それは恐らく、長くて数十秒の。

 しかしブリジットにとっては、永遠に感じるような時間で。


「ブリジット嬢? ブリジット嬢~! どこですか?」

「あ、あのぉ。だからっ、図書館では騒がずに……!」


 バタバタとした足音と声が、二つ隣の本棚あたりから響いてくる。

 だがそんな騒がしい追手たちは、結局、ふたりが隠れる薄闇には辿り着けずに……また気配は遠ざかっていった。


 それから、しばらくすると。

 ようやくユーリは、ブリジットの口を塞いでいた手を離した。


 同時にへなへな、とブリジットは力なくその場に座り込んでしまう。


「……ブリジット?」


 訝しげに名前を呼ばれても、返事を返す気にもなれない。

 だって、


(意外と手、大きい……)


 それに、距離が近いせいでよく分かった。


 細身で華奢と思っていた彼が、自分よりずっと身長が高いことだとか。

 石けんの良い香りがしたこととか。睫毛がびっくりするくらい長いことだとか。


 あとはあとは、もう全部が。


「……もしかして、息を止めていたのか。大丈夫か?」



(こ、れがっ、大丈夫に見えるんですかッ……!)



 そう怒鳴りたかったが、本当に呼吸が苦しくて。

 顔は上げられなかったし――もううまく、返事も出来なかった。



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