第20話.翻弄されるリサ
隣のクラスから流れてきた、
「ジョセフ様……っ!」
人気のない空き教室で、リサはジョセフに抱きついていた。
いつもこうして、邪魔されない場所で彼と甘い時間を過ごすのがリサの楽しみだ。
だが、今日は違う。
リサはジョセフの制服の裾をぎゅっと握り、彼を見上げる。
整った容姿のジョセフは、そんなリサに優しく首を傾けてみせた。
「……リサ。どうしたの?」
「ブリジット・メイデルのことです……! 精霊学の授業で……ブリジットが暴走した精霊の力を、抑えたって!」
どうしてとぼけたりするのだろう、と思いながらリサは必死に訴える。
もちろんジョセフだって知っているはずだ。
だって今日の午後は、学院中がずっとその話で持ちきりで……誰も彼もが、ブリジットの話ばかりを飽きずにしているのだから。
どうやら、事実はよく分かってはいないらしい。
だがブリジットがなんらかの特殊な力を使って、中級精霊の暴走を抑えてみせたこと。
他の生徒を庇おうと前に出て、ニバルに正気を取り戻すように声を掛けてみせたこと。
そんな噂は広がり続け、ブリジット・メイデルは本当に無能で高慢な令嬢なのかと――そう疑う声が、そこかしこから聞こえてくるのだ。
(あいつは"赤い妖精"……やかましいだけのうざったい女なのに……!)
リサは焦っていた。状況が、ブリジットに有利な方向に動いている気がしてならないから。
しかしジョセフはリサの頭を撫でながら、気のない様子で言う。
「……ああ。ニバルのエアリアルが暴走したんだったね」
まったく危機感のない彼に――リサは歯ぎしりしそうになる。
なんとか、分からせてやりたかった。
その一心でリサはジョセフから身体を離すと、震える唇を開く。
「……あたし、見たんです」
何を? というように、ジョセフが首を傾げる。
「あのニバル様が……ブリジットの奴隷のように振る舞っていたんです!!」
隣のクラスの級長であるニバル・ウィア。
彼はジョセフと小さい頃からの友人同士で、将来はジョセフの側近になることが確実視されていた少年だ。
ニバルにはリサも良くしてもらっていた。
彼はいつも、ブリジットは王族の伴侶として相応しくないとこき下ろしていた。その言葉を聞くたびに、リサも気持ちよくなっていたものだ。
それなのに、とリサは、数分前に見たばかりの光景を思い出す。
「ニバル様は、ブリジットに笑顔で話しかけていて……荷物を持ったり、段差があると気遣ったりしていて。それに変な模様がついた首輪までつけられて――まるで犬みたいでした!」
それが【魔封じの首輪】だとは気づかず、おぞましい、と二の腕をさするリサ。
「精霊を暴走させて、おかしくなっちゃったのかも……っ。あんなの、とてもニバル様とは思えません!」
「…………」
「だってニバル様は、ジョセフ様の側近候補で! ブリジットのことなんて、嫌っていたはずで――」
「……つまりリサ、こう言いたいの?」
それまで黙って話を聞いていたジョセフが、口を開いた。
無表情のまま、淡々と彼は言い放った。
「俺はブリジットより優れていない。だからニバルは、ブリジットに従うようになった……って」
(……えっ……?)
思いも寄らない発言に、リサの思考が一瞬固まる。
ただ、明らかに、ジョセフはリサの言葉を不快に思っていて――それを理解した途端に、リサの顔色は蒼白になった。
「あ、あたし、そんなつもりじゃ……ごめんなさいっ、ジョセフ様。あたし…………」
縋りつくように手を伸ばす。
その手を、まるで羽虫でも見るような目でジョセフが見た気がして……びくっとリサは手を引きかけた。
(ど、どうしよう。ジョセフ様を怒らせちゃった。どうしよう……!)
ほとんど泣きそうになりながら、鼻を啜ると。
「――なんてね。冗談だよ、リサ」
甘やかに微笑んだジョセフが、震えるリサの手を取る。
それだけで次第に、リサの呼吸も、震える手も、穏やかさを取り戻していった。
「リサ、考えてみて。ブリジットはどう見ても、ただの無能で厚かましい女だよね?」
「は、はい……っ」
「今はみんな、何かの間違いで騙されているのかもしれないけど……真実はどうしたって揺らがないよ。だから低俗な噂を、気にする必要なんかない」
ジョセフがはっきりとそう断言すると、リサはそうかもしれないと思い始めてきた。
「それにニバルはもともと切り捨てる予定だったんだ。大した能力のない男だから」
「そうだったんですね!」
なんだ。ならば、何も心配なかったのだ。
「あたし、どうかしてました。あのユーリ様まで、ブリジットを気に入っている様子だったから……どうしても気になっちゃって」
「……なんの話?」
温度のない声で問われつつも、リサは絡めた手に気を取られて夢中で答えた。
「よくは知らないんですが、ユーリ様はブリジットと勝負事をしてたらしくて」
「ふぅん……」
要領を得ないそんな説明を前に。
「…………ユーリ・オーレアリスか……」
ジョセフが低く呟いたその声が、浮かれるリサに届くことはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます