第18話.ブリジットに眠る力
まばゆい光が、目蓋の裏を満たしていって。
驚き、目を見開いたブリジットは――光っていたのが、自分自身の胸のあたりだと遅れて気がついた。
(何、これ……?)
状況が理解できないまま、光はますます強くなっていく。
そしてその光に触れた途端に、ニバルのエアリアルが生み出していた嵐が……
「え?」
誰かが、あるいは誰もが呆然と呟く。
それも無理はなかった。
あれほどに猛り狂い、今まさに生徒たちを呑み込まんとしていた暴風が、光に消し飛ばされたかのように霧散したのだから。
そんなあり得ない光景を目にしながら。
ブリジットがどこか夢うつつに思い出していたのは、おかしそうに話すウンディーネの言葉だった。
――『そう、気づいていないのね。あなたが契約しているのは――』
再び、空が明るく晴れ渡ったのを知りながら。
そのまま、ブリジットの意識は途切れたのだった。
◇◇◇
「…………う……」
最初に目に入ったのは、白い天井だった。
怠い身体をベッドから起こしたブリジットは、薬品の臭いのするその場所が学院の医務室だと気がついた。
制服が皺にならないようにか、簡易なワンピースのような服に着替えさせられている。
びっくりして確認すれば、火傷跡の目立つ左手は右手と共に、肘までの手袋で隠されていて――少しだけ、ほっとした。
誰が着替えさせてくれたか分からないが、こんな気味の悪い傷跡は誰にも見られたくなかったから。
「ブリジットさん。目が覚めた?」
白く清潔なカーテンが開くと、そこから安堵の表情を浮かべたマジョリーが姿を現した。
「マジョリー先生。わたくしは……」
「あなたは気を失ってしまってね。あたしのコロポックルたちにここまで運ばせたのよ~」
ベッドの傍に置かれた椅子に座り、のんびりとマジョリーが言う。
聞けば、幸い怪我人はほとんど居なかったという。
パニックになって転んだ生徒や、飛来した石が腕に当たった者など数名だけだ。彼らは手当を受け、既に教室に戻っているらしい。
ブリジットは二時間ほど眠り続け、隣の第二医務室では、契約精霊を暴走させてしまったニバルが今も眠っているらしい。
本来、精霊の正しい使役方法を学ぶために学院に通っている身である。ニバルも謹慎は免れないだろうが、退学などには陥らないだろうというのがマジョリーの見立てだった。
「中級精霊が暴走した事件としては、前代未聞に丸く収まったと言えるでしょうね」
ふぅ、とマジョリーが息を吐く。
「……あなたには申し訳なかったわ~、ブリジットさん。あたしが頼りなくて、生徒のあなたに身体を張らせてしまうなんて」
「いいえ、そんなこと!……マジョリー先生なら、なんらかの手は打っているとは思ったのですが……」
余計なことをしました、とブリジットは頭を下げる。
契約者と対話して暴走する精霊を落ち着かせられないかと思ったのに、結果的にブリジットが刺激したことで、さらにニバルの怒りを買ってしまったからだ。
落ち込むブリジットに、マジョリーは口の端を吊り上げてみせた。
「ねぇ。コロポックルの別名、ブリジットさんなら分かるかしら~?」
「……穴掘り妖精?」
正解を意味して、マジョリーが笑う。
秘密よ、と唇の前に人差し指を立てて。
「――この魔法学院の地下にはこっそり、あたしの穴掘り妖精たちが掘ったトンネルが張り巡らされているのよ~」
ブリジットは目を丸くする。
つまり、コロポックルたちはあのとき、トンネルを使ってニバルの足元に潜んでいた――ということか。
(そうよね……精霊が暴走する危険があるんだもの、学院側にはいくつでも手札があるんだわ)
ニバルを無力化する算段はしっかり整っていたのだ。ますますブリジットはしょんぼりしてしまった。
だがそんなブリジットに、はっきりとマジョリーは言う。
「あのね、ブリジットさん。生徒たちが全員、大した怪我もなかったのは全部あなたのおかげ」
「……え……」
「覚えているかしら。あなたの身体が光に包まれて、その光がエアリアルの暴風を打ち消したの」
それならなんとなく覚えている。
だが、ブリジットにも、ブリジットと契約した精霊にもそんな芸当は不可能だ。
(微精霊の魔力で、中級精霊の魔法を止められるはずがない……)
何かの見間違いだろうと思う。
だが実際に、それをブリジットが成し遂げたのだとマジョリーははっきりと言う。
「見惚れるほど美しく、練り上げられた魔力の波を感じたわ~」
そのときのことを思い出しているのか、マジョリーはどこかうっとりとしていた。
「それでね、あたし思ったの。ブリジットさんが契約しているのは本当に、微精霊なのかしら?」
「え?」
「もしかしてあなたの精霊は、寝ぼすけさんなだけなんじゃないかしら~ってね」
(眠っている……だけ?)
そんなことがあり得るのだろうか。
ブリジットがマジョリーに質問しようとすると。
「ッブリジット!」
医務室の扉が、激しく開かれた音がした。
そのままバタバタと、足音が近づいてくる。
あまりの騒々しさにブリジットが目を丸くすると、マジョリーが「あらあら」と立ち上がった。
「あたしはお邪魔みたいね。そろそろ退散するわ~」
(ええっ)
しかし止める間もなくマジョリーはカーテンから出て行ってしまった。
ブリジットは慌てて、乱れた髪の毛やら簡易なワンピースの裾やらを整えようとするが……ほとんど間もなくして。
再び勢いよく開いたカーテンの向こう側に、肩で息をしたユーリが立っていた。
目が合うと彼は、一瞬、驚いたような顔をして――
「…………倒れたと聞いたから。それで……」
どこか言い訳がましく、そんなことを低い声で呟いた。
かと思えば途端に不機嫌そうに唇をむっと曲げ、先ほどまでマジョリーが座っていた椅子に座る。
小さく溜め息を吐き、何を言い出すかと思えば。
「……まったく、無駄に心配させられた」
「……心配、してくださったんですの?」
ブリジットがポカンとすると、ユーリも次いでポカンと間の抜けた顔をした。
それから、ぶっきらぼうに顔を背ける。
「――違う。今のは言葉の綾だ」
「つまり心配はしていないと?」
「…………そうは言っていない」
(面倒くさい……)
でも、と思う。
別邸の使用人以外でブリジットを気遣ってくれる人なんて、今までは居なかった。
こんな風に息を切らしてまで心配して、駆けつけてくれる人なんて、ただのひとりも。
……だからブリジットも、どうにか素直な気持ちを伝えておくことにする。
「……ありがとうございます」
「……別に」
フン、とユーリが鼻を鳴らす。
「それで、何があったんだ?」
詳しくは事情を知らないらしいユーリにそう問われ、躊躇いつつもブリジットは一連の出来事について説明することにした。
その結果、
「やっぱりお前は馬鹿だな」
(やっぱり言ったー!)
いつものやつを喰らったブリジット。
悔しさのあまりシーツをギリギリと掴んでいると、組んだ足の上に肘をつき、ユーリがじとっとした目でこちらを見てくる。
「……お前が矢面に立つ必要なんてなかっただろう。どうしてそう、無鉄砲なんだ」
どうやら、言葉通りに小馬鹿にしているわけではないらしい。
「それは、だって……自分に出来ることがあるなら、と思うではありませんか」
ブリジットが唇を尖らせると、ユーリは胡散臭そうな目を向けてきて。
それから、ぽつりと呟いた。
「――クラスが一緒だったら気楽だったのに」
「…………?」
独り言のように何気ない言葉だったが、ブリジットは不思議に思って耳を傾ける。
「そうすれば僕が、そのエアリアルの暴走も止めていたのに」
「………………」
しばらく、じっと考え込んで。
ようやく、その言葉の意味するところに思い当たって――。
「っっ……!?」
ブリジットは反射的に。
ぐい、とユーリの肩を向こう側に押していた。
「……なんだ?」
「…………」
唐突に押されたユーリは何事かと思っただろう。
だがブリジットには、もはやそんな彼の顔色を確認する余裕もなかった。
「……で、出て行ってください」
「は?」
「わ、わたくし、まだ眠いんですの」
数秒間の沈黙が訪れる。
「まだ眠いって……数時間、大口開けて爆睡してたってさっき先生が」
「大口なんて開けてませんわっっ!」
(いいから出てって!!)
渾身の力を込めて両手で突き飛ばすと、さすがのユーリも蹈鞴を踏んでカーテンの裏に弾かれる。
「おいっ、なんなんだ急に」
「そっ、それは――ね、眠くて暴力衝動が抑えられないのでっ! 近くに居ないほうがユーリ様の身のためかとっ!」
「……なるほど。では僕は教室に戻る」
驚くほどアッサリと引かれ、自分でも身勝手なことに少しショックだったが――。
医務室の扉が開く音がした直後に、ユーリがごにょごにょと言っているのが聞こえた。
「……よく分からないが……寝るときは口は開けるなよ。乾燥するから」
(だから、開けてませんってば!)
「……それから、シーツを蹴っ飛ばして腹を冷やさないように」
(私は子どもじゃないっ!)
いろいろと言い返したいのは山々だったが――結局ブリジットは何も言えず、そしてユーリもそれきり黙って、医務室を出て行ってしまった。
足音が遠ざかっていったのを感じ取り……それでようやく、ブリジットは肺に溜め込んでいた息を吐き出した。
もしかして何か、不思議な力を使った後遺症でも出てしまったのか。
そう疑ってしまうほどに、今のブリジットはおかしかった。
というのも、
(か、顔が、熱いっ……!!)
触れるだけで、手袋越しに指先も火傷しそうになる。
たぶん、ものすごく真っ赤っかになっているのではないだろうか。
こんな顔を、ユーリに見られるわけにはいかないと思う。……なんとなく。
だが動悸は治まらず、顔の火照りも治らず――ブリジットはしばらく悶々と、広いベッドの上で寝返りを打ち続けたのだった。
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