第17話.暴走の嵐

 


 ――特に対策も思いつかないまま、精霊学の授業の日が来てしまった。



 クラスに話す相手も居ないので、訓練場の隅っこで立ち尽くしつつ、ブリジットは余裕――らしき表情を浮かべてみせていたが、内心は非常に焦っていた。


 二年生の教室がある三階建ての東棟を出て、西棟を横切った前方にある屋外魔法訓練場が、本日の授業の場である。

 魔法の行使を内容に含む課外授業の多くは、オトレイアナ魔法学院を囲む森の中ではなく、大抵は屋外魔法訓練場で行われるのが決まりだ。


 というのも、例えば森の中で無作為に炎魔法を放ったりすれば、森に火が広がってしまう可能性もあるからだ。

 実際に二十年ほど前には、炎魔法で森の一角を全焼させてしまった生徒も居たらしい。そういった事態を防ぐため、魔力障壁と呼ばれる結界が全方位に張り巡らされた訓練場が増設されたという事情があったそうだ。


 精霊学の担当教員であるマジョリー・ナハが、のんびりと言う。

 ふくよかな体つきの彼女は、オトレイアナ魔法学院を代表する優秀な魔法師のひとりでもある。


「それでは本日は、皆さんと契約精霊のコミュニケーションの様子を披露していただきます。二年生の五クラスの中でこのクラスがトップバッターになるわね。先生も今日という日をとっても楽しみにしていたのよ~」


(うう…………どうしよう)


 しかしブリジットの耳にはさっぱり入ってこない。


 メイデル家の別邸にも、何人か契約精霊持ちが居る。

 特に参考にしたかったのが、ブリジットと同じように微精霊……名無しを契約精霊に持つ使用人の話だったのだが……誰に聞いても、有力なヒントは得られなかった。


 というのも、そもそも微精霊との意思疎通は不可能と言われているからだ。

 彼らと契約した人間は、生活魔法と呼ばれるほんの小さな奇跡を起こすことができるが、その回数も一日数回に限られている。そのことからも、微精霊には契約者に応じられるような、明確な個性は宿っていないと言われている。


 そして微精霊と契約した貴族の子息令嬢は、大抵は、魔法学院には入学しない。

 理由は明快で、学院生活で恥を掻くのが分かりきっているから、両親が反対するか、本人が入学を拒否するからだ。


 ブリジットの場合は、恥さらしと分かっていても、炎の一族と謳われる伯爵家の長女を魔法学院に通わせないわけにもいかず――こうして入学自体は果たせたのだが。


 ブリジットが焦る合間にも授業は進んでいく。

 二十人の生徒は、ネームプレート順に次々と契約精霊とのコミュニケーションを披露していく。


(いいなぁ、サラマンダーのあのギョロッとした目、可愛らしくて好きよ。あの黒髪の女の子は、ブラウニーと契約してたんだ……カーシンの妹さんと一緒ね)


 そしていざ始まると、ブリジットは焦りを忘れて単純に授業を楽しんでしまっていた。

 だって本で見ただけの精霊たちが、実際に目の前で鮮やかに動いてみせるのだ。これが楽しくないわけがなかった。


 ブリジットのみならず、他の生徒たちも純粋に目を輝かせていて、ときにはそこかしこから歓声が上がった。

 気がつけば誰もが観客のひとりとして、生徒と精霊のやり取りや、一芸を披露する姿に見入ってしまう。


(ジャックフロストを顕現させるために、ああやって重い氷をたくさん持ってきていたのね……うんうん、愛を感じるわ。素敵。わっ、エインセルなんて珍しい……ち、近くに来てくれたー!)


 愛らしい小妖精の姿をしたエインセルが、透明な羽を動かし、ブリジットの頭の周りを飛び回ってクスクスと笑う。

 無邪気な子どものような行動が可愛らしい。ブリジットはそうして、多種多様な精霊たちに囲まれてすっかり癒されていたのだが。


「では次はニバル君ね。よろしくね~」


 マジョリーに呼びかけられ、堂々と立ち上がったのは、級長でもあるニバル・ウィアだった。

 ニバルは友人たちから声援を送られながら、全員の前に立つが――しばらく経っても、何もしようとはしない。


 訝しげな空気が訓練場に広がっていくと……満を持したように、ニバルが口を開いた。



「マジョリー先生。この中で、この授業に相応しくない生徒がひとり、居ると思うんですが」



 ――シンとした静寂が落ちる。

 何を言い出すのか、という顔をしたマジョリーに、ニバルは続けた。


「先生もご存知でしょう。ブリジット・メイデル伯爵令嬢――彼女は、何の価値もない名無しと契約しているんですよ」


(ニバル……)


 思わず、ブリジットはげっそりとした顔をしてしまった。

 二日前に絡まれたときから、いやな感じはしていたが……まさか授業の場でもケチをつけてくるとは。


 もちろん、今がどういう時間か理解しているブリジットは一言も言い返さなかった。

 それは正しい判断だったのだろう。マジョリーはそんなブリジットを見て小さく頷き、ニバルに向き合った。


「……ニバル君。先生は名無しという呼び方は好きじゃないわ。そして今は授業の最中です。軽率な発言は控えてもらえるかしら」

「軽率でしょうか? 俺の言っていることは真実です。他のクラスメイトたちだって、同じことを思っています。そうだろう?」


 ニバルが目を向けると、周囲の生徒たちにも戸惑いが浮かぶ。

 それは少しだけ、ブリジットには意外だった。てっきり全員、ニバルに同意するかと思っていたのだ。


 だが、最も肩すかしを食らったのはニバルだったのだろう。

 狼狽えるように生徒たち、ひとりひとりの顔を見るが、誰もが困ったような顔をするばかりで、ニバルに賛成する意見はない。


 ――ハァ、とマジョリーが深い溜め息を吐いた。


「……ニバル君。もう結構です、下がってちょうだい」

「はっ? なんで……」

「あなたに点数はつけられません。その理由は分かるわね?」

「はぁっ……?!」


 愕然とするニバル。

 マジョリーは彼を放置し、次の生徒の名を呼ぼうとした。


 そんなマジョリーの前にニバルは躍り出た。


「待ってください! なんで俺が!」


 不審の滲む目でマジョリーがニバルを見遣る。

 級長として優等生で通っている彼は、その視線が許せないように両手を大きく振り回した。


「俺は……俺は、ブリジット・メイデルなんかとは違うッ! あの女をここから追い出すのが先でしょう!? どうして俺が……」

「……ニバル君。あまり先生をガッカリさせないで」


 マジョリーはニバルから視線を逸らすと、次の生徒の名を呼んだ。

 ニバルの仲の良い友人でもある男子生徒が、おっかなびっくりと立ち上がる。


 ブリジットはその様子を、暗鬱な気持ちで見ていたのだが……そのとき、気がついて顔を上げた。


(急に、風の流れが変わった……?)


 気がついた次の瞬間、ブリジットの髪の毛が大きく掻き乱される。

 他の生徒たちが悲鳴を上げた。


 その中でブリジットは顔を上げ、ニバルの背後に――暗雲のように立ち籠める精霊の姿を見た。

 ゾッと、背筋に鳥肌が立つ。


「エアリアル……!」


 風の中級精霊、エアリアル。

 普段は温厚な性格とされているが、主人の意志に呼応して激しく暴れることがある。

 村や町を襲う自然災害の一部は、このエアリアルが巻き起こしたと語られるほどに、危険な側面を持つ精霊だ。


 そして今まさに、顕現したエアリアルは正気を失っているように見えた。

 世界中の風をかき集めると言わんばかりに、見えない腕が蠢き――見上げれば先ほどまで晴れていた青空さえも、灰色に染まりつつあった。


(このままじゃ嵐が起きるわっ……! でも……)


 魔力障壁は訓練場を囲むように張り巡らされている。

 その仕組みは、制御を誤った魔法で周囲に損害を与えないというもので……。


 これは、中に居る人間たちを守るものではないのだ。

 つまり――最悪の場合は、死人が出るかもしれない。


「全員、立ち上がって逃げて!」


 暴風の中でブリジットは声を張り上げるが、ほとんどの生徒は強すぎる風を前に恐怖し、芝生に伏せてしまっている。

 マジョリーだけは果敢にニバルの背後を見据えているが、彼女の契約精霊はコロポックルという陽気な小人たちで、嵐に立ち向かうような強さを持つ精霊ではない。


 そして目の前で猛々しく轟く嵐は、マジョリー個人の優れた技量を持っても、食い止められるような代物ではないかもしれない――。


(このままじゃ……)


 それでも諦めるわけにはいかない。

 ブリジットは嵐を背後に従え、恐ろしいほどの無表情で突っ立ったままのニバルに呼びかけた。


 せめて全員を庇えないかと、四つん這いの格好で必死に前に出ながら。


「級長! ニバル・ウィアッ! 今すぐエアリアルを止めてっ!」

「……ブリジット・メイデル……俺はお前の存在を許さない」


 ますます吹き荒ぶ風の勢いが増した。


(逆効果だった!)


 涙目になるブリジットめがけて、とうとう荒れ狂う嵐が向かってくる。

 さすがにもう、まともに目を開けていることも出来ない。


(……私、何も出来なかったわ……)


 むしろ余計なことをしてしまった、という悔しさと申し訳なさだけが、胸に残る。


 せめて傷つくにしても自分だけでありますように、と心の底から祈る。

 ニバルが暴走したきっかけはブリジットへの悪感情にあるようだから、その結末ならばまだ罪悪感から立ち直れそうだ。


(でも、そんなことを願ったとバレたら、シエンナはきっと怒るわね。それに……)


 視線を奪うほど美しい青の髪を思い出して。

 こんなときだというのに、おかしくて少しだけ笑えて、涙が一粒だけこぼれた。


 ちっぽけな水滴は風を前に消し飛ぶように消えていく。



(『やっぱりお前は馬鹿だな』とか、言われそう……)



 ――そのとき、閉じた目蓋の裏側で。

 何かが、強く光ったような気がした。



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