第15話.売られた喧嘩は

 


「次回の授業テーマは、『精霊との関係構築』です。実技課題として皆さんおひとりずつに、契約精霊とのコミュニケーションの様子を披露していただくのでよろしくね~」


 翌日のこと。

 心の底から大好きな精霊学――のはずが、そんな担当教員の言葉を、ブリジットは死刑宣告を受けるような気持ちで聞いていた。


 二年生に進級すると、座学よりも実技が重視になるというのは入学時にも説明を受けていた。

 周囲の生徒も、どんな一芸を見せれば得点が高いか……なんて話で盛り上がっているが。


(私、契約精霊と会ったことすらないんだけど……)


 もはや、前回の筆記試験で血文字を使ったことへの罰? と思ったりもするが、精霊学の担当教員――マジョリー・ナハに限ってそれはないだろう。

 おっとりとした可愛らしい老女は、ブリジットが血文字で回答した答案用紙にも、『痛そうで心配。ちゃんと手当はしましたか?』なんてメッセージを添えてくれていた。


 つまり今後、こうして契約精霊との意思疎通や魔法の使い方について、より実践的な授業はどんどん増えていくということだ。


(魔石はなくしちゃうし……)


 窓際の席で、ほんの小さく溜め息を吐くブリジット。


 昨日は、せっかく契約精霊に贈るのだからと見栄を張って、露店で売っているような粗悪品ではなく、魔石専門店でとっておきの物をシエンナに選んできてもらったのだ。

 伯爵家で疎まれて育ってきたブリジットには、個人的に自由に出来るお金はほとんどないので、小さい頃に貯めていたお小遣いでやり繰りしている状態である。


 衣装代や化粧代は別邸の執事に毎月預けられているものの、そこから魔石代も捻出したいとはさすがに言い出せない。


(図書館では勤労学生が放課後働いているみたいだけど……)


 同じようにブリジットが図書館で働くことは、不可能だろう。

 家の一員と認められていないのに、家の人間としてみっともないとされる真似は許されないのだから。


 そんなことを考えていたら、大好きなはずの精霊学の授業もどこか後味悪く――。

 席を立ったブリジットは、そこで目の前にひとりの男が立っているのに気がついた。


「メイデル伯爵令嬢」


 呼びかけられ、眉を寄せる。


(ニバル……)


 へらへらとした笑いを浮かべている彼は、ニバル・ウィア。

 ウィア子爵家の次男であり、将来のジョセフの側近候補と目されている。クラスでは一年生の頃から級長も務めている少年だ。


 ブリジットは、あまりニバルに良い印象は抱いていない――というのも彼は、ジョセフの隣に居るブリジットに、いつも見下すような目を向けてきていたからだ。

 オトレイアナ魔法学院は一年時からクラス替えがないので、この一年と数ヶ月は同じ教室で過ごしてきたが、その嘲るような態度はますます強くなっていると思う。


(王子の婚約者に相応しくないって思われていたんでしょう。気持ちは分かるけど!)


「先日の筆記試験は、おめでとう」

「……おめでとうと称えられるほどの順位かしら?」


 ブリジットが小首を傾げると、ニバルは一瞬、目を見張ってから――にやりと口端を吊り上げた。


「……みな、驚いているのですよ。だってあなたは、ずっと不振な成績を残してらっしゃったから」


 続けざまにニバルが言い放つ。


「もしかすると、精霊でもお使いになったのではないかとね」


(……ああ、なるほど)


 ブリジットは目を細めた。

 彼がこうして、わざわざ話し掛けてきた理由が分かった。


 薬草学の担当教員は、血文字で試験に解答したブリジットに怒り、満点の答案用紙を零点扱いにしたのだが、その件についていろんな場所で触れ回ったらしい。

 つまり彼は、ブリジットが本来は一位だったことを知って……その上でこうして、公衆の面前で不正を働いたのではないかとあからさまに指摘してきたのだ。


 "赤い妖精"が、そんな優れた点数を取れるわけがないから。


(面倒くさい……)


 相手せずにこの場を離れたいくらいだったが、そうすれば不正を認めたも同然という扱いになるのだろう。

 すっかり聞き耳を立てている様子の他のクラスメイトたちにも聞こえるように、ブリジットはよく通る声でニバルに返した。


「ご存知の通り、わたくしが契約しているのは微精霊ですので……試験で支援を受けることなんて出来ませんわ」

「そうでしょうね。普段の生活でもまるで役に立たない最弱精霊では……おっと、失礼」


 口を滑らせてしまった、というようにわざとらしく口元に手を当てるニバル。

 ブリジットはうんざりした。そして――静かな怒りが湧き上がってくる。


 ブリジットと契約したせいで、名前のない精霊までこうして馬鹿にされてしまう。

 いつものことだ。ここ十数年、そんな日々を過ごしてきた。


 でも、前を向くと決めたのだ。

 だから以前のように高笑いで誤魔化して、あとで傷つくのは


(売られた喧嘩は、ちゃんと買ってあげないとね?)


 そう決意し、しかし表向きは涼しげな顔を装って、ブリジットはわざとらしく手を合わせた。


「そういえば級長は、風の精霊と契約してらっしゃるのよね」


 なんとなく、ブリジットの様子がいつもと違うと感じ取ったのか。

 ニバルの表情が、不愉快げに軋む。


「……それが何か?」

「数年前に、このオトレイアナ魔法学院で風魔法を使った事件があったのを思い出しましたの」


 あら、ご存知でない? と首を傾けるブリジットに、ニバルは曖昧な笑みを返してくる。

 ブリジットが何を言い出したのか、よく分かっていない様子だ。


 なら好都合、とブリジットはにこやかに続けた。

 両手を軽やかに、胸の前で動かしながら。


「頭の良い生徒の答案用紙を、こう、風魔法でふわりと、ほんの小さく向きを変えて浮かせて――読み取ろうとした生徒が居たのですって」


 ああ、嫌だわ、とブリジットは嘆かわしげに首を振る。


「せっかくの魔法の才能を、そんな下らないことに使うだなんて……級長も勿体ないと思いません?」

「……そう、ですね」

「あら? そういえば昨日だったかしら。魔法基礎学の小テストの前に、急に級長は教室の窓を開けましたわよね。あれは……」

「……っ!? お、俺は不正なんてやってないっ!」


 ブリジットも驚くほどの大声で言い返してくるニバル。

 はっとし、口元を手で覆うが――今やクラス中の注目はブリジットではなく、様子のおかしいニバルに向いている。


 それに気づかない振りをして、ブリジットは微笑む。


「あら、わたくし、何も言ってませんけど……? 空気を入れ換えてくださってありがとうございます、と感謝の気持ちをお伝えしたかっただけですのに」

「…………っ!!」


 ギラつく目で睨まれるが、ブリジットは動じない。

 以前であれば、ニバル相手にこう強くは出られなかった。


 でもいつもと違ったのは、


(ユーリ様に比べると、そよ風みたいな視線ね……)


 ――そうだ。

 あの氷に例えられる少年に比べれば、なんて可愛いものなのか。


 そんなことを思いながら、自然と口元を緩め……ブリジットはニバルに問うた。


「――それで、まだ何か?」

「い、いや…………」


 すっかり狼狽えたニバルは、最後は「忙しいのでこれで」などと呟いてそそくさと去って行った。

 ブリジットはいくつもの視線を感じながらも、てきぱきと教科書類をまとめてさっさと教室から出て行くことにする。


 廊下を歩きながら、ニバルの態度や物言いに苛立つ気持ちを、少しずつ落ち着けようとする。


(ユーリ様なら、あんな低俗な物言いはされないでしょうに)


 珍奇な動物を見るような視線を、そこかしこから浴びながら。

 彼の風貌を頭の中に思い浮かべていると、次第に、騒いでいた心音も落ち着いてきた。


(あの人はものすごーく嫌みだけど、決して人の実力を疑ったり、ケチをつけたりするような人じゃないんだから……)


 そこで。

 ――はた、とブリジットは気がつく。


(って――なんで私……当たり前のようにユーリ様のことを考えてるの!?)


 ブンブン、と首を勢いよく振って、鮮明に浮かぶユーリの顔を消そうとする。


 そんなことよりも……そうだ、重要なのは精霊学の実技課題だ。

 次の授業は二日後である。それまでに、微精霊とやり取りするためのなんらかの方法を編み出さねばならない。


 そして精霊といえば――頼りになりそうなのは。


(そうだ。ユーリ様にちょっと意見を訊いてみようかしら)


 そんなことを思いついて図書館への道を急ぐブリジットは、少し気を抜けばすぐにその人のことを考えている自分に、まだ気づいていないのだった。


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