第14話.楽しい休日

 


「――最近のお嬢様、なんだか楽しそうですね」



 紅茶を注いでくれたシエンナに、唐突にそんな言葉を投げかけられ――。

 ブリジットは本を捲る手を思わず止め、猛烈な勢いで顔を上げた。


 今日は屋敷のバルコニーでゆっくりと、読書の時間を楽しむことにしていた。

 自室から庭を臨めるように張り出して造られたバルコニーは、ブリジットもお気に入りの場所だ。


 庭師のハンスが毎日手入れしている庭がよく見えるし、それに……メイデル家の屋敷と逆方向に設けられているので、両親の目につかなくて済む。


(たぶん、その理由込みでこの位置に造られたんだろうけど)


 なんて考えつつ――冷静さは取り戻せずに、ブリジットはシエンナをじっと見つめた。


「……そ、そう見える?」


 おずおずと問うてみると、シエンナは無表情のまま頷く。


「はい。とても」


(とても!!)


 とても楽しそうに見えるだなんて。

 その理由を――考えようとすると、なぜか彼の顔が浮かんだ。


(ユーリ・オーレアリス様……)


 昨日は、図書館で本を借りたことがなくて尻込みするブリジットを、ユーリはフンと鼻で笑って。


(『そうやってお前が無駄に悩んでいる間に、僕はこの本を読み終わってしまった』とか言ってきたのよね……)


 なんて失礼な、とまたブリジットは怒り狂ったのだったが、彼のほうは素知らぬ風で。

 だがそうして雑に背中を押されたおかげで、眼鏡の女性司書にはだいぶ怯えられつつも……無事に本を借りられたのだ。


 その本が、たった今ブリジットが大事に読んでいた一冊なのである。


「やはり筆記試験の結果が良かったからでしょうか?」

「えっ! そ……そうね。そうかもしれないわ」


 シエンナの言葉に、大慌てでブリジットは同意を返す。

 するとシエンナはじとっとした目つきになった。


「……金輪際、自分の指に穴を開けて試験に解答するような真似はお止めくださいね」

「も、もうやる予定はないから。大丈夫よ」


 今朝も指先の包帯を取り替えてくれたシエンナに釘を刺され、ブリジットはこくこくと頷いた。

 淑女にあるまじき行為だと注意されるのは覚悟していたものの……あの日のシエンナは心底怒っていて、しかもその理由はブリジットの予想とはまったく違っていた。


『今後はせめて、私の血をお使いください。お嬢様がお怪我するよりよっぽどマシですので』


 そんなことを無表情の中に怒気と心配を浮かべて言われてしまって、ブリジットはすっかり申し訳なくなったのだった。


 そして、実はその試験の際に勝負事をして、"水の一族"の令息と――知人と呼べる程度の仲になったことについては、まだシエンナにも話していない。


 ブリジットがユーリと話すのは大抵、図書館の中かその近くの四阿だけだから。

 だからなんとなく、まだ距離を感じている……というか。


(ち……違うのよ。別にそれが寂しいとかじゃないし、残念がったりしてないし)


 自分でもよく分からないまま、必死に心の中で言い訳をする。

 そんなブリジットに、不思議そうにシエンナが首を傾ける。


「……ブリジットお嬢様? どうかされましたか?」

「い、いえ――なんでもないわ、大丈夫よ」


 こほん、とブリジットは咳払いをした。


「それじゃ、シエンナ。わたくしは今から読書に集中するから、申し訳ないけど……」

「かしこまりました。何かありましたらお呼びください」


 しずしずとシエンナが下がる。

 読書に集中するから、とブリジットが言い出すのはいつものことなので、特に疑う様子はない。


 ブリジットは、ティーカップを傾けて紅茶を飲んでいる振りをしながら……ちらり、と部屋の中を横目で見やる。

 既にシエンナの姿は部屋にはない。もう廊下に出ている頃だろう。


 それを確認してから、音を立てずにそっとソーサーにカップを置く。

 ブリジットは椅子から立ち上がるとすぐにしゃがみこみ、バルコニーの手すりの間から顔を出した。


 そうして、地上の様子を確認してみる。


(ええと。庭にも誰も居ない……)


 庭師のハンスの姿もなければ、お使い帰りの侍女も居ない。

 厨房係兼パティシエのカーシンも、今日ばかりは庭を走り回っていないし……よし、とブリジットは頷く。


 手すりに背を預けると。

 ――スゥ、と深呼吸をして。



「おーい………………精霊さん」



 ブリジットは、ほんの小さな囁き声でそう呼び掛ける。

 視線は何もない宙を向いている。それは仕方のないことで、ブリジットには自身が呼び掛けているその相手が、どこでどうしているのかよく分からないのである。


「聞こえているなら、よかったら返事をしてほしいわ。それかちょっとだけ、姿を見せてくれないかしら」


 反応はない。

 いつものことなのでブリジットは落ち込むこともなく、隠しに入れていた石を取り出すと、頭の上で掲げてみせた。


「これ、炎の魔石よ。お近づきの印に良かったら」


 精霊とのコミュニケーションとして、よく用いられるのが魔石である。

 キラキラと光を反射してきらめく様子は宝石のようだが、宝石とは決定的に異なる点が、魔石には魔力の素である魔素が封じられている点である。


 精霊には心がある。特別に気に入った主人であれば、多くの力を貸し与えてくれるし、危機に陥ったときは自らの意志で顕現し、救ってくれることもあるという。

 だから自分が契約した精霊の属性に合わせた贈り物をして、彼らを喜ばせるのは古くからの常套手段なのだ。


 ブリジットの場合は五歳の頃から、ほぼ毎日欠かさず精霊に話しかけているし、毎週末にはこうして贈り物を用意することにしている。

 数えきれないほどの贈り物を試してきたがどれにも反応がなかったので、今日は原点回帰で炎の魔石を用意したというわけだった。


(微精霊にだって、心はあると思うんだけど……)


 それはブリジットの仮説だった。


 今まで、精霊――名無しと呼ばれる微精霊と、意思の疎通が図れた記録はない。

 だが微精霊と契約した人間にも、生活魔法と呼ばれる下級魔法であれば使うことができる。


 それはつまり、微精霊に心があり、契約者に力を貸している証明でないかと思うのだ。


(私の場合、生活魔法すら使えないんだけど……)


「……っああもう、私はあなたに会いたいだけなのにぃ!」


 考えているうちに、思いはどんどんと昂ぶってきて。

 ブリジットはつい、子どものような調子で叫んでしまう。


「会って、一度でいいからお話してみたいわ! あなたのことや精霊界のことも訊いてみたいの! それと、で、出来れば――少しでいいから、あなたの力を貸してもらえるとうれしっ……」


 そのとき。

 人の気配を感じ……はっ! とブリジットは振り向いた。


 振り向いた先には――無表情のシエンナが立っていた。

 より正確に言うならば、口元がほんのり緩んだ専属侍女が。


 ブリジットは文字通り固まった。

 そんな主人に向かって、シエンナはきれいな角度で頭を下げる。


「申し訳ございません。何度か、声は掛けたのですが」

「…………」

「……ブリジットお嬢様。カーシンがぶどうのタルトが出来たからぜひ、と申しておりますが……」

「……シエンナ、笑ってるわよね?」


 そう指摘すると、シエンナはしばらく沈黙し……ふるふる、と首を横に振った。


「いえ……これは笑っているというか、お嬢様のあまりの愛らしさに、小さく微笑みがこぼれてしまっただけで……」

「笑ってるんじゃないの!」


 真っ赤になるブリジットに、笑いを堪えるためなのかシエンナが片方の頬を膨らませている。

 しかも小刻みに震えていた。ブリジットは羞恥のあまり身もだえた。


「すみませんお嬢様。『おーい』と精霊に呼びかける方を見たのは初めてだったものですから」

「初めから聞いてるじゃないの!?」

「それはそうと、ぶどうのタルトは」

「食べるけど!!」


 ぷんすか怒りながらもバルコニーから部屋に戻るブリジットに、シエンナが続く。

 この愛らしい主人が、甘いお菓子を口にすればたちまちご機嫌になるのをよく知っているので……実はあまり反省していないシエンナだった。



 ――だから、そうして歩き出した二人とも気がつかなかった。



 テーブルの上にブリジットが置き去りにした、炎の魔石が。

 ふわりと宙に浮いたかと思えば、そのまま跡形もなく何処かに消えたことには。



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