第13話.リサの計算違い

 


 ワインレッドのカーテンが引かれた、その広々とした個室で。

 リサは仲の良い令嬢たちに囲まれ、放課後の優雅なお茶会を過ごしていた。


 一流の調度品に囲まれ過ごすティータイムは、最近のリサにとって格別の時間である。

 食堂に五つのみ設けられた高貴なこの空間が、オトレイアナ学院の歴史上、暗黙の内に高位貴族だけが使用を許された部屋であることは知っているが――いつもほとんど使われていないので、勝手に使うことにしている。


 だってリサは、この国の王子であるジョセフの婚約者になる少女なのだ。

 誰もリサを咎められるわけがないし、リサこそがこの部屋を使うに相応しい貴族のひとりである。


 ……だが、楽しいはずのお茶会なのに。

 余計な雑音が外の世界からいくつも聞こえてきて、リサはひどく苛立っていた。


「ねぇ、知ってます? メイデル伯爵令嬢の試験のこと……」

「もちろんよ。だって驚きましたもの!」

「なぁ、お前は"赤い妖精"と同じクラスだったよな!?」


 尖った爪の先で、リサは何度もテーブルを叩く。


(ああ。イライラする、イライラする、イライラする……)


「私たち、もしかして誤解していたってこと? "赤い妖精"は本当は――」




「――うるさいっっ!!」




 とうとう金切り声を上げ、リサはテーブルの表面を力任せに叩いた。

 中身の入ったティーカップが大きく揺れ、零れた紅茶がテーブルの上に跳ねる。


 カーテンの外の世界が一瞬にして静まった。

 それから慌ただしく、足音がいくつも遠ざかっていき……だが、リサの気分は一向に晴れない。


「リサ様……」


 おろおろと、取り巻きの令嬢たちが不安そうな目を向けてくるのもなんだか腹立たしかった。

 彼女たちを睨むように見れば、全員がびくりと肩を跳ねさせる。


「……絶対におかしいわよね?」

「え?」

「あのブリジットが、学年で三十位なんておかしいって言ってるの!!」


 ぎりり、とリサは歯噛みする。


 馬鹿で間抜けなブリジット・メイデル。

 "赤い妖精"と蔑まれる、高慢ちきな女が第三王子ジョセフに捨てられたのは、一ヶ月ほど前のことだ。


 学院での成績は最悪に近く、筆記試験もいつも最下位に近いらしいと有名なブリジット。

 そんな彼女が、王子に捨てられて正気を失ったのか、勉強に暮れる姿が見られるようになったのは最近のことで……リサはそんなブリジットのことを陰から嘲笑っていたのだ。


 そして今回の筆記試験で、リサはそんなブリジットの邪魔をしてやることにした。

 無論、邪魔立てなどせずともブリジットはろくな点数は取れないだろう。それは分かっていたが、念のためにブリジットと同じクラスの生徒に命じて、筆記具を盗ませたのだ。


「……ねぇ。ちゃんとペンは盗んだのよね!?」

「…………は、はい」


 もう今日で何度目の詰問か――。

 リサが刺々しく声を投げれば、呼気よりも弱々しいような声音で気弱そうな少女が頷く。


 隅の席に座った、暗い黒髪をした少女は、長い前髪に顔を隠すようにして小刻みに震えている。

 リサは再び彼女を問い詰めようとしたが、しかし……それを寸前で断念した。


 というのも、ブリジットがアクシデントに見舞われたのは分かっているからだ。

 午後の三科目すべての答案用紙をブリジットが血文字で書いて提出した、という信じられないほど愚かしいニュースは、試験が終わったその日の内に話題となり、リサたちも大いに盛り上がったのだから。


 だが……だからこそ、リサは歯軋りせずにいられない。


(なんなのよ……いったい……)


 蓋を開けば、ブリジットは百十人中の三十位という、そう悪くはない結果を残していて。


(だってあたしは、……七十七位だったのに)


 しかも、それ以上に衝撃的だったのは――なんとブリジットが、一科目についてはを受けていたということだった。


 担当教員が愚痴を漏らしていたので、もはや二年生の誰もが知っていることだが……無得点扱いになった薬草学の点数は、本来は満点だったという。


 つまりだ。



 もしもリサが筆記具を盗ませていなければ。

 ブリジットの名前は万年一位のユーリの横に、同率一位として輝いていたということになる――。



(あり得ないっ、そんなの、あ、あり得ないのよ……っ!)


 リサが止めることもままならず、その事実は怒涛の勢いで生徒たちの間を駆け抜けた。


 薬草学の教員は、きっとブリジットの行為に憤慨して、晒し者にするつもりで話題にしたのだろう。

 だが、彼の所為で……結果的にブリジットが三十位ではなく、本来は一位であったことが知れ渡ってしまったのだ。


 もはや、野蛮にも血文字を用いたという衝撃なんて容易く掻き消すほどに。


「本当に、信じられない……! あの女が頭良いわけないのにっ!」


 リサはせっかくセットした頭をぐしゃぐしゃと掻き乱し、叫んだ。


「馬鹿で間抜けなブリジット・メイデルだもの! 何か卑怯な手段でも使ったに違いないわよ!! そうよね!?」

「リサ様……」


 周りの令嬢たちは顔を見合わせ、どう答えたものか分からないような表情をしている。

 それもまたリサを苛つかせた。


(何よこの子たち……なんであたしの意見に賛成しないのよ……っ!)


 そして。



「……なるほど」

「…………ッ!?」



 ――ふと、そこに低い声が響いた。


 声は明らかに、仕切りの外から聞こえてきていた。

 リサは大きな音を立てて立ち上がると、取り巻きたちを押しのけて個室の外に出た。


 そうして目を眇める。

 隣の個室のカーテンが引かれていた。


(誰か知らないけど、聞き耳なんて最低……ッ!)


 リサはそのカーテンに迷わず手を掛ける。



 そのとき、頭に血が上ったリサはすっかり忘れていた。

 ――本来この個室は、リサの手の届かないような高位貴族ばかりが使う部屋であることを。



「ちょっと、あなた――」


 文句を言いかけながら部屋の中に目を向けたリサの呼気が、止まる。


 開け放ったその部屋には……青い髪の少年がひとり、座っていた。

 彼を目にして、リサは愕然とした。


「ゆ、ユーリ様……」


 ユーリ・オーレアリス。

 "水の一族"でも最優と謳われる天才にして、近寄りがたいほどの美貌を持つ少年である。


 追ってきたリサの取り巻きたちも、彼を前にして声もなくざわついていた。

 多くの女子から憧れの目を向けられながら、そのすべてを冷たく切り捨てる彼は、別名"氷の刃"とも呼ばれているのだ。


 というのも、リサ自身も数日前に彼に冷たい態度を取られたショックで、それをジョセフに訴えたばかりだった。

 あのときもユーリはちっとも狼狽えず、心底興味のなさそうな目でリサをちらりと見遣っただけだったが。


「な、なんで、ユーリ様がここに……?」

「ただの偶然だが」


 こちらを見ずに答える彼の目の前のテーブルには、空の小皿とティーカップが置いてあった。

 口元をナプキンで軽く拭ったところで、ユーリがようやく振り返る。


 見つめられた途端、リサの背筋にひどい寒気が走った。

 それほどにユーリの眼差しが冷徹で――そして、険を帯びていたからだ。


「…………それにしても、ブリジットの筆記具を窃盗した犯人たちが、こんなところでしているとは思わなかった」


 全員が目をむく。

 ユーリは聞いていたのだ。今ここで交わされた会話のすべてを。


 だが――リサが気にしたのはその点ではなかった。


(今、ブリジットって……)


 何故ユーリが、そう親しげにあの女の名を呼ぶのか。

 その理由がリサには分からない。だってユーリは――この美しい少年は、どんな女もうざったそうに振り払うばかりだったはずだ。


「ご……ごめんなさいっ、わたし……」


 考える合間にも、勝手に実行犯の少女がユーリに頭を下げている。

 ユーリはそれにも素っ気ない対応を返した。


「僕に謝られてもな。せめてブリジット本人に謝ったらどうだ」

「め、メイデル伯爵令嬢に……?」

「ギャンギャンと騒がしい子だが、別に取って食いやしないだろう」

「…………」


 少女は黒い頭をユーリに向かって下げると、そのままカフェを出て行った。

 挨拶もなく去ったことにリサは苛立ったが、今はあんな小物に構っている場合ではない。


 なんとか心音を落ち着かせようと努めながら、リサは敢えて不遜にユーリを睨みつけた。


「だ、誰かに言いつけるつもりですかっ?」

「…………?」


 ユーリが不審げにリサを見る。


「言っておきますけど――あたしがジョセフ様に言いつければ、あなたは終わりです! きっとこの学院からも追い出されるんだから! あはは、良い気味――」

「その前に、僕が教師にお前の所業を言いつければ終わりじゃないか?」

「……っ!」


 リサは呆気なくも言葉に詰まる。

 そんなリサを、大して面白くなさそうにユーリが眺めた。


「……僕とブリジットは今回の試験にあたって勝負事をしていた」

「はぁっ……?」


(ど、どうしてユーリ様がブリジットと勝負するのよ……っ?!)


 リサにはもう、何がなんだか訳が分からない。

 だが混乱し続けるリサに、ユーリは小さく溜め息を吐いて。


 それこそ、刃よりも研ぎ澄まされた凍てつく瞳が容赦なくリサを射抜いた。

 その瞬間、リサの呼吸は恐怖のあまり止まった。



「……僕は真剣勝負に水を差されるのが嫌いでな。今後、余計な手出しをした場合は看過できないとだけ言っておく」

「、っ……!?」



 ――怖い、と。

 ただその感情だけが、背筋を這い上がる。


 あまりの迫力を前に、後退ったリサは……勢いあまって転び、そのまま尻もちをついた。


 ドシン! と間の抜けた音が響き渡る。

 ユーリはしかしリサを一瞥したっきり、にこりともせず……制服の裾をなびかせて去っていってしまった。


「り、リサ様……!」

「大丈夫ですか? リサ様っ……?」


 尻もちをついたまま固まっているリサを、慌てて取り巻きの少女たちが助け起こそうとする。

 だがリサは、呼び掛けられてもしばらくまともに反応を返すことができなかったのだった。



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