第12話.勝負の行方2

 


 余裕を失ったブリジットが立腹して声を張り上げても、ユーリはまったく動じない。


「それで? 結局、薬草学の点数を足したら何点だったんだ」

「それは……」


 ブリジットは言い淀んだが、ユーリは強い眼差しでこちらを見ている。


 ……このまま黙っていても、帰してはもらえなさそうで。

 観念して、ブリジットは白状することにした。


「薬草学は、満点だったので……五百九十八点ですわ」

「そうか」


 ユーリは驚くこともなく頷いた。

 ブリジットの言ったことを疑っている様子もない。だが、それがどうにもブリジットには居心地が悪い。


(これ、言いたくなかった……)


 だって、なんというか、――ものすごく負け惜しみっぽいから。

 もしも筆記具が盗まれさえしなければ、同率一位だったのだと言い訳するようで、明かすのがいやだったのだ。


(どちらにせよ、実際の点数は四百九十八点なんだけど!)


 すると渋い顔をするブリジットに、ユーリは思いがけないことを口にした。


「得意なんだな、座学」

「え……」

「もしも数週間、付け焼刃の勉強をしただけでこの点数が取れたならお前は天才だ」


「そうではないんだろう?」と言外に込め、ユーリが言う。

 悔しいが、まぁその通りだったので、ブリジットは広げた扇の後ろで口を尖らせた。


 ブリジットは天才ではないし、物覚えだって特別に良いほうではない。

 幼い頃から繰り返し、いろんな学術書に目を通してきたから、知識が頭に備わっているだけで――ここ数週間の勉強というのはつまり、それを復習する時間だったのだ。


「何か、理由があるのか?」


 そう問われ、ブリジットはしばし迷った。


 だが迷いながらも早々に、自分の中で答えは出ていたのかもしれない。

 誰より口は悪いが、たぶんこの人は、他人の夢をむやみに笑うような人ではないと思ったから。


 扇を仕舞って、ブリジットは固い声で切り出した。


「……わたくし、精霊の研究者になりたいのです」

「精霊博士か」


 少々誤魔化したのを呆気なく言い直され、咳払いをする。


「そ、そうですわ、精霊博士です。……幼い頃からの夢でして」




『――ねぇ、おとうさま。おかあさま。私ね、精霊にもっと詳しくなりたいの!』




 周囲に明言だってしていた――五歳のあの日、契約の儀が執り行われるまでは。


 いつも、父や母は頭の出来が良いと、幼いブリジットを褒めてくれた。

 "神童"と呼ばれていたのもその頃のことだ。

 精霊博士になるという夢は、本当は馬鹿げたものだと思われていただろう。だが子どもの戯言だからと放っておかれた。


 きっとお前ならば立派な精霊が特別に気に入って、加護を与えてくれるだろうと、父は言ってくれた。

 ブリジットもそんな輝かしい未来を、信じて疑っていなかった。

 そのときはその精霊と一緒に、精霊博士として世界中を旅しようと思っていたのだ。


「……わたくしは微精霊と契約しましたが……それを悲しく思ったことは、一度もありませんの」

「……どうして?」

「人が勝手にそう呼んでいるだけで、精霊は精霊ですもの。今まで姿を見せたことはありませんが、毎日のように呼び掛けも続けています」


 自分に加護を与えてくれた誰かの、顔も名前も、まだブリジットは知らない。

 でも、嬉しいと思った。その精霊は他の誰でもない、ブリジットのことを選んでくれたのだ。


 だから。

 誰に馬鹿にされたって、その精霊を嫌いになんてなれるはずがない。


「……精霊博士の多くは、失踪しているとも言われているが」


 博識な彼のことだから、当然その点が気になったのだろう。

 ブリジットは目を伏せ、頷いた。


「……そうですわね。あんまり精霊に気に入られて、精霊界に引き摺り込まれてしまうのだとか」


 ブリジットの尊敬する精霊博士のひとり――『風は笑う』の著者でもあるリーン・バルアヌキも、二十年ほど前に表舞台から姿を消した。

 それなりの高齢だったため、精霊研究をしながら人気のない場所で亡くなったのではないかと言われているが……まことしやかに囁かれているのは、彼がシルフィードに手を引かれ、精霊界へと渡ったという噂のほうだ。


 ブリジットは笑った。



「出来ることなら、わたくしもいつか精霊界に行ってみたいですわ!」

「――、」



 ユーリが静かに目を瞠る。


 精霊界に渡った人間は二度と、元の世界には戻れない。それが通説だ。

 だからブリジットの言葉は、あるいは自死を志願するそれに聞こえたのだろうか――でも、やはり思った通り、ユーリは何も言わなかった。


(……笑わないのね、オーレアリス様は)


 彼の場合、ただ表情筋が凝っているだけかもしれないが。


 だけどそれが、ブリジットには嬉しかった。

 誰からも笑われる令嬢を、誰もと同じように笑わない存在を前に、密かに安堵していた。


 そのせいか、珍しく――素直にお礼の言葉が口から出てきた。


「聞いてくださってありがとうございます、オーレアリス様」

「別に、僕は何もしていない」

「以前にも、わたくしの話を黙って聞いてくれたではありませんか」


(あのときも、この四阿で……初対面なのに恥ずかしげもなく、私はいろんなことを話してしまった)


 どうしてだろう、とブリジットは不思議に思う。

 "氷の刃"と呼ばれ、周りから敬遠される少年なんて、身の上話をする相手としてはあまりに不適切だ。


 それなのにブリジットは、口の悪い彼に反発を覚えつつも、自分のことを話し続けた。

 誰にも聞いてもらえず、自分の胸の内だけに仕舞い込んでいた――過去のことを。


(いつか、オーレアリス様の話も聞かせてくれるかしら?)


 そんな風に期待して見つめるが、すぐに思い直す。


 ユーリの勝利という結末で、既に勝負は終わったのだ。

 だから今後一切、彼と関わることもないだろう。


 そう思うと、ほんの少しだけ……胸がずきりとしたのだが。


「勝負は次に持ち越しだな」

「えっ?」

「今回は引き分けだろう。お前は僕と同率一位だったんだから」


(同率一位?)


 ユーリがおかしなことを言い出したので、ブリジットは反応に困った。


「でも、オーレアリス様……」

「ユーリでいい」


 ブリジットの声を遮り、ユーリはつっけんどんと言い放つ。


「家の名で呼ばれるのはあまり好きじゃない」

「…………ユーリ、様?」


 それでいい、というように首肯した彼に、ブリジットは目をきらんと光らせる。

 機会を見つけたら言ってやろうと思っていたのだ。


「それならわたくしのことも、"お前"ではなくブリジットとお呼びくださいませ」

「…………おま」

「ブリジット、と」


 さらに圧力を加えると、ユーリはしばらく黙り込んでいたが。

 ……ブリジットがギラギラと強い眼光で見つめ続けると、抵抗を諦めたようだった。


「分かった。……ブリジット」

「!」

「これでいいか?」


 ものすごく面倒くさそうな顔を向けられつつも、ブリジットは笑顔で頷いた。


「結構ですわ、ユーリ様!」


 だってどうやら彼は、今後もブリジットと話す気があるみたいだったから。

 そんな些細なことが、なんだか嬉しくて堪らなかったのだ。



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