第11話.勝負の行方1

 


(ああ。疲れた…………) 


 ようやく教師のお説教から解放されたブリジットは、強張った全身の筋肉を軽く解していた。


 まずは手早く、一階の掲示板に貼り出された試験結果を確認する。

 その後はすぐに図書館への――正しくは、裏手の庭園の中にある四阿へと急いだ。


 そんなブリジットが、ふと違和感を感じて振り向くと……こちらを見ていたらしい生徒たちが、ぱっと目を逸らした。


(なんだろう。いつもより、視線を感じるような……?)


 不思議に思ったが、どうせあの噂のことだろうとすぐに納得する。


 それに、今はそんなことに構っている場合ではない。

 ユーリと約束していた時間はとうに過ぎているのだ。


 彼はもう居ないのではないかと不安だったが、石畳の道を小走りしていくと、遠目にも特徴的な青い髪の毛が見えてきたのでブリジットはほっとした。


「オーレアリス様、お待たせしました」

「別に待ってはいないが」


 息を整えつつ呼びかけると、ふんぞり返って座っていたユーリに断言される。


(この人、何事も言い返さないと気が済まないのかしら?)


 自分も似たようなものだけれど……と思いつつ、無表情のユーリの真向かいに腰を下ろす。

 まずは、彼に言うべきことがあった。


「一位おめでとうございます、オーレアリス様」

「……ああ」


 特に感慨なさそうに、ユーリが顎を引く。


 事実、彼は入学してからの一年と二か月間、ずっと試験では満点に近い成績を誇っている。

 六科目の試験には、それぞれ百点ずつが割り振られているのだが、今回も彼は六百点中の五百九十八点という輝かしい結果だ。


 今さらおめでとうなどと言われても、響くことはないのだろう。


「それで、お前は?」

「…………」

「何点だったんだ」

「…………」


 目を逸らすと、ユーリが胡散臭そうな視線を向けてくる。

 いっそこのまま黙っていたい、という衝動に駆られるが、これは歴とした勝負なのだ。そういうわけにはいかない。


 掲示板の貼り紙でも確認し直した点数を、ボソッと口にする。


「……四百九十八点、です」

「ほう。ちょうど僕と百点差だな」


(う……!)


 情け容赦なく現実を突きつけられ、ブリジットは言葉に詰まる。


 以前のブリジットに比較すれば、今回の結果は格段に良い点数なのは間違いない。

 だが掲示板に華々しく名前が発表された優等生たちの、その最高位に位置する彼とは比べようもなかった。


「その通りですわね。……非常に残念ですが」


(残念なんてものじゃ、ないけど……)


 本当は叫び出したいくらいに悔しい。

 勝ちたかった。負けたくなかった。いけ好かないこの男にぎゃふんと言わせてやりたかった。


(でも、勝てなかった)


「勝負はわたくしの負けですわね」


 そうして、ブリジットが大人しく負けを認めると。



「――何故、理由を言わない?」



 急にユーリがそんなことを言い出した。

 意味が分からず、ブリジットは当惑した。


「オーレアリス様?」

「……午後の三科目、で解答したんだろう?」

「!」


 ブリジットは目を見開いた。

 そういう噂話に興味がなさそうなユーリなら知らないだろう、と思っていた。


 だがブリジットが予想していた以上に、噂は広がっていたのか。


「今日の授業で、薬草学の教師が憤怒しながら語っていたぞ」


(あの先生……)


 まさか他のクラスでもその話をしていたとは。道理で噂が出回るのが早いわけだ。

 だがこの件がバレているのであれば、さすがに言い逃れはできない。


 ブリジットは扇で口元を隠しつつ、ゴニョゴニョと経緯を説明した。


「ええ、その……確かに血文字を使いましたわね。筆記具が盗まれたものですから」

「盗まれた?」

「どこの誰の仕業かは分かりませんが。まぁ、恨みは多方面から買っておりますので」


 赤い血で試験に臨むなんて野蛮だとか、"赤い妖精"はまさしく血の色をまとっていたのだとか、王子に捨てられて自棄を起こしたのだとか――いろいろと、現在進行形で良からぬ噂になっていることも知っている。


 でも、ブリジットは後悔していない。


 制服のブローチに使われている針を何度も何度も指先に指し、赤い血で擦りつけるように文字を書いた自分の判断を、いっそ褒めてやりたいと思っている。

 おかげで指からは未だに包帯が取れないが、普段から手袋をしているので気になることもない。


 シエンナにはだいぶ、叱られてしまったが。


(二科目は、きちんと採点してもらえたし!)


 だが薬草学だけは駄目だった。

 問答無用で零点と大きく書かれた答案用紙を突き返されたときは、ブリジットも凹んだ。


 先ほども担当教師から呼び出され、散々ねちっこいお説教を受けていたのだ。

 教師を馬鹿にするな、貴族にあるまじき行為だ、と机の上にブリジットの答案用紙を叩きつけ、彼は怒りに顔を赤くしていた。


 時間が経ってどす黒く変色した血の文字を眺めながら、ブリジットも反省した。

 だが決して悪意があっての行動ではなく、ブリジットにとっては試験を乗り切るために、致し方なく取った行動だったのだ。


 そう何度も伝えたのだが、結局分かってもらうことは出来なかった……。



「――何故、僕に借りに来なかった?」



 そのことを思い返していたので。

 ブリジットの反応は数秒遅れた。


(……ん? 今なんて?)


 聞き間違いだろうか。

 しかしユーリはそう言ったきり、むっつりと口元を引き結んで黙ってしまっていて。


 おずおずと、ブリジットは訊いた。


「借りに行ったら……貸してくださっていたんですの?」

「それは……」


 ユーリは虚をつかれたような顔をしたが、頬杖をついて……やがて不本意そうな声音で呟いた。


「……そうだな。考えないでもなかった」


(……ええと。つまり、考えてくれた……ってこと?)


 ものすごく分かりにくい言い回しだが、そういうことだろうか。

 そう思うと、ブリジットはなんだか――ほんの僅かにだが、元気が出た。


(こんな素直じゃない人を相手にしながら、おかしいかもしれないけど)


 次に何か、思いも寄らないようなことが起こったとして、きっとあんな風に……頼るべき人が誰も居ない、迷子のような気持ちにはならないだろうと、そう思えた。


「では、もしまたこんなことがあったらオーレアリス様を頼りますわ」

「……またこんなことがないように、実行犯を探すのが先じゃないか」

「それは骨折り損に終わりそうですから……だってわたくし、学院一の嫌われ者ですもの」


 敵が多いんですのよ、と胸を張ると、少しばかりおかしそうにユーリは目元を緩ませた。

 そんな隙のある表情を彼が見せたのは初めてのことで、驚いてブリジットは目を瞬いたのだったが……瞬きの間にユーリの顔つきは、また冷たいそれに戻っていた。


「僕も大概、負けてはいないと思うが」

「それは……そうですわね」


 否定しようとして、その通りだったのでブリジットは深刻な顔で頷いた。

 おい、というような顔でユーリがこっちを見てくる。それがなんだかひどくおかしくて、ブリジットは揶揄するように頬に手を当てて息を吐いた。


「オーレアリス様って、なんというかものすごく悪役っぽいですものねぇ」

「お前にだけは言われたくはないが……つまりお前は、僕に共感シンパシーでも感じているのか? 迷惑だからやめてくれ」

「なんですってぇ!」



(ああ言えばこう言うわね、この人!)



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