第7話.バカばっかり言い過ぎです
渋るユーリをブリジットが無理に連れ出した先は、図書館入り口から脇道にある庭園だった。
庭師が毎日丁寧に手入れをしている庭園の、舗装された石畳の道を歩いていけば、その先の階段脇に小さな
ブリジットが先に座れば、ユーリは嫌々という顔のまま向かいの席へと腰を下ろす。
ブリジットは彼の整った顔を正面から睨みつけた。
ここでなら、大声を出しても誰にも文句は言われまい。
「――あのですね、オーレアリス様」
「なんだ」
「馬鹿に馬鹿と言うのは良くありません」
ユーリがぱちくりと瞬きをした。
ブリジットは彼が口を開かないのを良いことに、くどくどと説教を続ける。
「以前、本で読んだことがあるのです。馬鹿に馬鹿と言うと、ますます馬鹿になるのですって」
「…………」
「言葉には魂が宿る――と、古来より言いますもの。魔法だって、詠唱がなくては発動しないではありませんか」
「僕は無詠唱でも魔法は使えるが」
(黙らっしゃい!)
誰も彼もがユーリのような天才ではないのだ。彼の常識で語られては困る。
「つまり、わたくしに向かって馬鹿と言うのをやめていただきたいのです!」
ブリジットが毅然と言い張ると、ユーリはしばらく沈黙した。
二人の間を、風がそよそよと流れる。ブリジットはユーリから目を逸らさぬままに、風に遊ばれる長い髪の毛を片方の耳へと掛けた。
するとユーリがぽつりと呟く。
「……そもそも僕は、別にお前を馬鹿だとは言っていない」
(え?…………そうだった?)
「知性の欠片もない、手のつけようのない馬鹿女だと聞いていた。だが『風は笑う』を、原本のみならず読み込んでいる様子だったし……噂というのも信用できないものだと思っただけだ」
それからユーリは、ブリジットのことをじっと見つめた。
「お前、馬鹿の振りをしていたのか?」
言い当てられ――静かに狼狽えるブリジットの動揺が、肯定であると感じ取ったのだろうか。
ユーリは眉間に皺を寄せた。本当に、意味が分からないと言いたげに。
「何故だ?」
「…………」
だがブリジットは、なかなか返事が出来ずにいる。
というのも、先ほどまでは彼への注意で必死になっていて、あまり意識していなかったが――この彫刻のように輝く美貌の主に見つめられるというのは、些か以上に緊張する。
しかも何故だか、ユーリはブリジットの事情に踏み込もうとしている。
(他人に興味なんてないはずの、"氷の刃"が……)
そのせいだろうか。
「……し、信じられないかもしれませんが。もともとわたくし、内気で弱っちい小娘だったのです……」
誰にも話すつもりなんてなかった胸の内を――気がつけばブリジットはぽつりぽつりと、語り出していたのだった。
◇◇◇
ブリジットは幼少期から今までの話を、訥々と話し続けた。
といっても、両親との確執については省略した。聞かせて楽しい話ではないからだ。
その間、ユーリはほとんど相槌も打たずに静かに聞いていた。
そのおかげか、わりと落ち着いて、言葉に詰まることもなく。
ブリジットが、一方的な婚約破棄の顛末まで語り終えた後である。
「お前は馬鹿なのか?」
(また言ったー!)
ブリジットはショックのあまり机に突っ伏しそうになった。
しかし腕組みをしたユーリは、それこそ理解できない生き物を見るような目でブリジットを見ている。
「婚約者の命じるがままに化粧や服装を変えて、喋り方や性格まで変えたって……そんなことになんの意味がある?」
ごもっともである。
ブリジットは言葉に詰まったが、それでもなんとかゴニョゴニョと口を開いた。
「でも、そういう……そういうものなんですわ。人を好きになるって」
自分でも情けなくて、目頭が熱くなるし、声も震えるけれど。
確かに、ジョセフのことが好きだったのだ。
彼の好みの女性に近づきたかった。彼に可愛いと思ってほしかった。
ただその一心で、十一年も過ごしてきたのだ。
すべて、今では無駄だったと分かっているけれど――努力した自分のことだけは、否定したくない。
「他人からは理解されないような馬鹿げたことでも、その人に愛されるためならと、平気でやってしまって……今になって思えば、確かに馬鹿馬鹿しいことなんですが」
色恋沙汰にはまったく興味のなさそうな冷めた眼差しが、ブリジットを見る。
「そうか」
だが、不思議と声色には優しげな響きが宿っていた。
いつの間に俯いていたブリジットが顔を上げると、ユーリは正面のブリジットではなく、どこか遠くを見るような眼差しをしていた。
「僕にはよく分からないが……なら、お前に恋されたジョセフ殿下は幸せだったんだろう」
「…………!」
その一言が。
信じられないほどまっすぐに響いて、ブリジットは目を見開いた。
(そんな風に……誰かに、言ってもらえるなんて)
夢物語のような言葉が、胸に染み渡る。
だってそれはジョセフのためではなく。
ただブリジットのために告げられた言葉だと分かったからこそ。
(私の努力が……報われた、ような)
「だが、それは単なる言い訳なんじゃないか?」
「………………は?」
しかし感動のあまり瞳を潤ませていたブリジットは、その一言に我に返った。
そう、彼女は完全に油断していた。
そう、なんせ目の前の男は"氷の刃"――血も涙もないと語られる少年なのである。
「ただフツーにお前はすごく馬鹿なんだが、それを恋のせいにしたという……」
「は!?」
(フツーにすごく馬鹿って何!?)
なんてことを言うのか。
思わずブリジットは机をばしんと打って立ち上がった。
「言うに事欠いてっ……! 恋する乙女に失礼極まりないですわよ、オーレアリス様っっ!」
「……やかましい。お前の声はキンキンと耳に響く」
「誰のせいだとお思いで!?」
うざったそうに両耳に栓をするジェスチャーをされ、ますますブリジットはムカついた。
「わたくし、こう見えても赤子の頃は"神童"と呼ばれていましたのよ!」
「馬鹿親は得てしてそういう言葉を使いたがるな。僕もよく呼ばれたものだ」
減らず口をたたくユーリに、ブリジットの底が破けた堪忍袋の緒も切れてしまったようだった。
冷静さを取り戻さないままに、ブリジットは低い声で言い放った。
「……なら勝負ですわ、オーレアリス様」
「勝負?」
「次の筆記試験で……どちらが上を取れるか、勝負しましょう」
きょとんとするユーリ。
「僕は入学してから今まで、すべての試験で首席だが」
「……ええ、もちろん存じ上げておりますが。ですが、わたくしも負ける気はありませんわ」
不思議と寒々しい
立ち上がるなり彼は、真っ向から返してきた。
「……いいだろう。その勝負に乗る」
ブリジットはその言葉に内心驚いた。
もしかすると――意外と負けず嫌いなのだろうか。
「勝負事なら、何か条件があったほうが面白いんじゃないか」
そんなことまで付け加えられ、何も考えていなかったブリジットは顎に手を当てて四阿の屋根を見遣った。
「そうですわね。陳腐ですが……負けた方は、勝った方の言うことをなんでもひとつ聞く……とか?」
「分かった」
軽い提案だったが、あっさりと了承される。
ブリジットは逆に狼狽した。
というのも、自分の言動は――振り返ってみると、問題だらけだった気がする。
仮にも公爵子息に対して、だいぶ生意気な口を聞いてしまったような。
尻込みしたわけではないが、だんだんと不安になってきた。
(ただじゃ済まされないかも……)
「あの、暴力とかは禁止の方向で……」
「お前は僕を何だと思ってるんだ」
憮然と言い返すユーリに、ブリジットは戸惑いつつ頷いた。
(し、信じてみるしかないわ……)
――こうして、ひょんなことをきっかけに。
無能と蔑まれる悪役令嬢と、天才と敬遠される悪役令息の、二人きりの勝負が始まったのだった。
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