第6話.似たもの同士の邂逅

 


 指先が僅かに触れ合って。

 ユーリと、至近距離で目が合った。


(こういうの、ロマンス小説とかで読んだことあるわ……)


 いつもよりほんの少し、心臓が速いスピードで動いている。


 黄色みの強い切れ長の瞳は、近くで見ると黄水晶シトリンのようにきらめいて見えた。

 そしてその真ん中に、口を半開きにした自分の姿が見えて――。


 何か考える前に、ブリジットの唇は動いていた。



「……その手、退けてくださいます? わたくしが先に読もうとしたんですから」



 つっけんどんと言い放ってから。

 数秒後にサァッと顔から血の気が引く。


(やっ、やってしまった……!)


 長年のクセは、そう簡単に抜けないとは言っても――公爵家の令息に対し、なんと礼儀を欠いた物言いだろうか。

 しかしユーリは表情ひとつ変えず、抑揚に乏しい声で言った。


「……これ、お前も読みたいのか?」


 思いがけない問いに、ブリジットは目をぱちくりとする。

 冷酷無慈悲な少年だと、そう聞いていたが……ブリジットの言葉遣いを咎めもしないなんて、実は心の広い人なのだろうか?


「え、ええ。そうですけど」

「そうか」


 なんて、気を緩めた一瞬の隙を突いて。

 ユーリの手がさっと本棚から本を掠め取った。


「あっ!」


 そのあとは文句をつける暇もない。

 ユーリは振り返りもせずいつもの席に向かい、何事もなかったように着席すると本を読み始めたのだ。


 取り残されたブリジットは、愕然とするしかなかった。


(……な、何よ今の!?)


 騙し討ちで話しかけ、気を抜いたところで容赦なく本を奪っていくとは。

 これが高位貴族のやることか! と憤慨しながらも、自らの放った一言目も負けず劣らず失礼だった手前、正面から抗議することも出来ない。


 納得がいかず、ぐぬぬと口端を引き攣らせながらも、ブリジットは他の本を手にして着席した。

 本を長机の上に立てて開き、隙間からじっとりとした目で盗み見てみるが……ユーリはいつも通り頬杖を突いて、涼しげに本を捲っていて。


 ムカムカしつつも、ブリジットも手元の本に集中しようと目を落とす。

 ……だが、当然と言うべきか、ユーリの行いへの苛立ちばかりが募り、まったく本の内容に集中できない。


(今日はもう、貸し出し手続きだけして帰ろうかしら……)


 そう溜め息を吐いたときだった。

 頭上に影が差し、不思議に思って見上げてみると――



「おい」

「……っ!?」



 ――そこにユーリが立っていたので、ブリジットは硬直した。


(え? 何?……殴られる!?)


 身構えるブリジットに向かって、彼は何かを突き出してきた。

 怯えつつ、よくよく見てみればそれは、先ほど取り合った一冊の本で。


 年季の入った革表紙に手彫りされた美しい精霊が、ブリジットに微笑みかけている。


「必要なところはすべて頭の中に入れた」


 彼の言葉を理解して、ブリジットは唖然とした。

 つまり、もう自分は必要ないから読めと――そういうことなのだろうか?


(もしかして先に本を持っていったのは、そのために……?)


 というのは些か以上に、希望的観測かもしれないが。

 やはりユーリは、噂よりも優しい人なのかもしれない。分かりにくいことこの上ないが。


(しかも頭の中に入れたって……数百ページはあるんだけど)


「あ、ありが……」

「この本を知っているのか?」


 ぎくしゃくとお礼を言おうとしたが、その前にユーリは、腕組みをして問い掛けてきた。

 ブリジットは呆けつつも曖昧に頷く。


「え? ええ、まあ。一応……」

「そうか。意外だ」



 ……かちん。



 そのとき、鳴ってはならない音がブリジットの頭の中で響いた。


(……これ、馬鹿にされてるわよね?)


 そうと分かれば黙ってはいられない。

 今までは、面と向かってどんな言葉を投げ掛けられても、オホホと高笑いしてきたのだが……もう今までの自分で居るつもりはないのだから。


 ブリジットは静かに立ち上がり、渡された本の背表紙をびしりと指さした。


「これは……『風は笑う』の原書ですわよね?」

「……そうだが?」


「それがなんだ?」と言うような表情で見返してくるユーリ。

 ブリジットは彼の迫力に呑まれまいと声を張った。


「『風は笑う』の著者は故人のリーン・バルアヌキ氏。精霊研究の第一人者としてよく知られた人物です。ご自身は下級精霊と契約したものの、親友の契約精霊であるシルフィードと親しくなり、彼女とよく言葉を交わしたと言われています」

「…………」

「そんなリーン氏が、シルフィードが語って見せた精霊界の風景を、物語調に書き綴ったとされるのがこの本の内容で――およそ人間の常識では計り知れない内容を、しかも精霊の使う言語のようなものを用いて書いたことで、その特異さから一躍有名となりました。内容についての見解は、翻訳者によって千差万別。未だに統一解は見つからない謎多き作品と言われています。


 シルフィードがわざわざリーン氏に自分たちの言語を教えたことからも、二者は恋仲……あるいは家族に近いような関係だったと考察する論文もありますね。『風は笑う』はリーン氏から精霊に贈った恋文ではないかという見解も。わたくしはこのお話の読者のひとりとして、あまり両者を人間的な表現で結びつけたくないと感じましたが」


 ブリジットが淀みなく本の内容を説明してみせると、ユーリが目を見開き……僅かに驚いたような表情を見せる。


「――お前、本当にあのメイデル伯爵家の娘か?」

「ええ、そうですわ。ご挨拶が遅れましたが、わたくしはブリジット・メイデルと申します」


 鼻を明かせて気分良く、ブリジットは優雅に一礼してみせる。

 するとユーリは首を捻り、顎に手を当てた。


 そして数秒の沈黙のあと……何を言い出すかと思えば、である。


「……おかしいな。第三王子の婚約者は手のつけられない馬鹿娘だと聞いていたが」

「な……っ」

「ああ違うか。婚約破棄されたと聞いたな、つまりただの赤毛の馬鹿娘」

「ななな……っ」


 ブリジットは屈辱のあまり顔を真っ赤にしてしまった。


(めっ、――面と向かって言うの、それ!?)


 ただ、思ったことを淡々と口にしているという風で、悪意を感じないのが恐ろしい。

 ブリジットは机の下で拳を握った。なんと非常識な男なのだ、ユーリ・オーレアリス。


「あ、あの。館内ではお静かにしていただけますか……」


 そのとき、恐る恐ると近づいてきた司書の女性が注意してきた。

 ここで働く職員は、爵位もなく平民の場合が多いと聞く。ブリジットとユーリを相手にしては、そりゃあ注意するのも怖ろしかったことだろう。


 ブリジットは申し訳なく感じたが――ユーリはそちらをちらりと見ると。


「すみません。静かにするよう僕からも言っておきますので」


(私の所為みたいな言い方やめてくれない!?)


 ブリジットがうるさくしているのはユーリの所為で、最初に話しかけてきたのだってユーリのほうだ。

 ……つまり悪いのはユーリだと思うのだが、彼は呆れたような目でブリジットを見てきた。


「図書館での大声での会話はマナー違反だ。無論、お前のように大したことのない蘊蓄うんちくを勝手に垂れ流すのはもっと悪い。少しは周りの迷惑を考えろ」



 ブチッ。



 頭のどこかで音がした。

 やっぱり、鳴ってはならない音だと思う。


 ブリジットはこめかみに青筋を浮かべながらも、にっこりと微笑む。


「……オーレアリス様。ちょっといいですか?」

「なんだ。僕はお前に付き合うほど暇じゃないんだが」

「すぐに終わりますので」

「…………」


 ブリジットが引き下がらないと見て取ると、ユーリは面倒くさそうに溜め息を吐いたのだった。



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