第2話.あっけなく燃え尽きた恋
"炎の一族"。
炎魔法の扱いに長け、煌めくような赤髪の者ばかりが生まれるが故に、古くからそう呼ばれる名門貴族・メイデル伯爵家の長女としてブリジットは誕生した。
フィーリド王国では、五歳の誕生日を迎えた子どもは必ず神殿へと赴き、そこで精霊との契約を結ぶのが建国時からの倣わしとなっている。
本来、人の国とは相容れない幻想世界――精霊界の住人たちは、自らの力の一部を行使する権利を人に貸し与えることがある。
たとえば水精霊との契約が叶えば、その子どもは水系統の魔法の才が約束される。
風精霊との契約なら風系統の、土精霊との契約ならば土系統の魔法の才能が保証されるのだ。
裏を返せば、契約精霊に恵まれない子どもは魔力の才を持たないということになる。
子どもたちにとっても、その両親にとっても、契約の儀は将来を決定づけるための重要な意味を持っていた。
そしてブリジットも五歳を迎えたその日、神殿での契約の儀に臨んだ。
十一年前のその日のことを、ブリジットは今でも昨日のことのように記憶している。
永遠に忘れることはできないだろう。
「……ブリジット・メイデル伯爵令嬢の契約精霊は、……"名無し"です」
困惑の滲む声でそう告げた、神官の声。
神殿内には、大きなざわめきが広がっていき……恐る恐ると背後を振り返った幼いブリジットは、つい数分前まで期待に満ちあふれていた両親の顔に、ただ愕然とした失望だけが貼りついているのを見た。
名無しというのは、いわゆる微精霊のことを指す。
力が弱く、宙を漂うことしか出来ない精霊の残り滓のことで、もはや人間界では精霊としての名を与えられていないのだ。
そのため彼らは一緒くたに、名無しと呼ばれるのが決まりである。
平民であれば、名無しと契約するのも珍しいことではない。
いっそ契約できただけ儲け物だと喜ぶ家もあるくらいだ。
だが伯爵家の、しかも血筋正しい炎の一族の長女たる令嬢が、名無しと契約した――。
この出来事は、前代未聞の事件として人々の間に瞬く間に広がっていった。
同じ年に、メイデル家と並んで称されることが多い"水の一族"の令息が、二体もの最上級精霊と契約したのもブリジットにとっては悲劇だっただろう。
ブリジットはその日、屋敷に帰るなり、実の父親に腕を掴まれ燃え盛る暖炉の中に左手を突っ込まれた。
熱さと痛みのあまり泣き喚いて嫌がるブリジットを、しかし父は許さず、周囲が止めるまでその恐ろしい折檻は続いた。
メイデル伯爵は治療を行った神官が帰ったあと、単純に契約をやり直すつもりだったのだ、と憮然として言い張った。
『本当にコレが俺の子どもならば、名無しなんかと契約するわけがない。だから炎に触れさせ、確かめようとしただけだ』
そう言い切る男のことを、ブリジットが自身の肉親と思えなくなったのは言うまでもない。
ブリジットは、焼け
こうした一連の出来事で、メイデル伯爵には同情が集まったが、人々がブリジットを見る目には嘲りだけが浮かぶようになった。
貴族の令息や令嬢が招かれるお茶会やパーティーの席では、ブリジットは子どもたちに遠慮無く指を差され陰口を叩かれた。
いつしか無能なブリジット・メイデルを意味するあだ名として、"赤い妖精"という呼び名も出回るようになった。
精霊種の中でも、魔力量などで劣るとされる妖精族。
生まれと能力がかみ合わないブリジットにはぴったりの名ではないかと、多くの子どもたちが口を揃えて笑った。
――そんな苦しい日々が続く中。
招かれたお茶会の場で、ブリジットの人生を塗り替える出会いがあった。
それが、第三王子であるジョセフとの出会いだった。
誰とも話さず、隅の席に暗い顔で座り込んでいたブリジットに、ジョセフは護衛の騎士を後ろに連れながら気負うことなく話しかけてきた。
「ブリジット嬢は、何か好きなものはあるの?」
見目の良い王子を前に、口下手なブリジットがうまく返事を返せないでいると、ふと、彼はそんなことを訊いてきた。
目をぱちくりとしてから、考えるまでもなくブリジットは答えた。
「私、精霊が好きです」
「そうなんだ。どうして?」
そしてすぐに後悔した。
こうしてからかわれるのが常なのだ。素直に言葉を返すべきではなかった。
だが――嘘を吐くことこそ、性分に反している。
そう思ってブリジットは、緊張に顔を赤らめながらもきっぱりと言ったのだ。
「……彼らは恐ろしいけれど……とても、綺麗だと思うからです」
「へぇ。素敵だね」
そう。
始まりは、たったそれだけのことだった。
だが、第三王子――ジョセフはそんな風に言って笑ってくれた。
幼いブリジットにとって、それは信じられないほどの救いの言葉となった。
ジョセフもブリジットのことを気に入ってくれたのか、王家から正式な達しがあり、それから間もなく二人は婚約者の間柄となった。
ブリジットは天に舞い上がるほどの気持ちだった。彼女が唯一の味方であるジョセフによく懐いたのは、自然の摂理だっただろう。
――しかし。
それから次第に、救いの主だったジョセフは変わっていった。
「俺、馬鹿な女ほど可愛くて好きなんだ」
いつだったか。
彼はそんな風に冷たく言い放った。
ブリジットは困った。
というのも、彼に女性の好みがあるならば、婚約者として出来うる限り近い存在でありたいと思ったが、ジョセフの言うそれがよく理解できなかったのだ。
おずおずとブリジットは問うた。
「……馬鹿な女とは、どういうものでしょうか?」
「そうだよ。その調子だ」
「え?」
「何も分からないと言って、人に答えを求める。今の君は馬鹿っぽくて良いと思う」
呆然とするブリジットに対し、ジョセフは機嫌が良くなった様子だった。
そんな出来事は、それから毎日のように続いていった。
「ピンク色の似合う女は良いな。頭の中もきっと似たような色をしているんだろうね」
「せめて俺の退屈を紛らわせるために、毎日うるさく喚き散らしてみたらどう?」
「もっと分厚く化粧を塗りたくるといいよ。元の顔も分からないくらいにさ」
「婚約者より良い試験結果を出す女なんて最悪だ。君はそんなことにも気を回せないの?」
ブリジットは必死だった。
必死に、ジョセフの好みに合うように自分を変えた。何度も変えた。
お気に入りの服は全部捨てた。衣装棚の中をピンク色で溢れさせた。
喋り方を変えた。人に接する態度も変えた。高慢に振る舞い、嫌われた。
化粧道具は一式入れ替えて厚化粧を施した。試験の問題は半分を間違えた。
ぜんぶ、ぜんぶ、元の自分を捨てて塗り替えていった。
だって、
(ジョセフ様に……可愛いって、思ってもらいたいから)
――そうだ。
だから始まりは確かに、淡い恋に似た気持ちだったと思うのだ。
だが現在はどうなのか。
考えようとしても、ブリジットにはよく分からなくなっている。
出会った頃と異なり、ジョセフがブリジットを見る目には一切の労りがない。
侮蔑と、嫌悪がない交ぜになって、憎々しげに細められた瞳は、間違っても自ら望んだ婚約者の少女を見るそれではないのだから。
(というか……そんなの、もう考える必要も無いんだわ)
今さら考え直そうとしている自分に呆れてしまう。
ベッドの上で膝を抱えながら、ぎゅうと強く目を閉じた。
もうすべては終わった話なのだ。
(だって私、彼に婚約破棄されたんだもの)
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