最終章

竜はもう歌手になることをあきらめた。今回の殺人事件がきっかけになってくれた。


「本当にいいの?」と僕が聞いた。竜が頑張れば歌手はなれると思うから。有名な歌手にはなれないかもしれないけど。


「うん、いいんだ。だって才能もないし、実力もないし。二年間夢をみただけでいいんだ。これからは夢をみなくて、ちゃんと現実をみて生きていこうと決めた」


「きっかけは?」


「やっぱ、今回の殺人事件かな。長谷川の曲を自分の曲と嘘をついて送ったし、この業界ではもういられないんじゃない。なので、きっぱりあきらめた」


「ごめん。僕のせいで諦めることになって。そんなつもりでやったのじゃないの。だって、デモ曲と名が付いたファイルの中からもらった曲なんだけど、その曲が全部関係者に送ったことは、僕は……」


一所懸命に弁解する僕を竜は止めた。


「もういいんだよ。別にあんたのせいにしているわけではないんだ。そのことで現実をみることができたんだから、むしろ感謝しているんだ」


「本当に?」


僕が聞いた。


「本当」


竜はきっぱりと答えた。


「後悔しないの?」


僕はまた訊いた。


「後悔ね」竜は空を見ながらつぶやいた。「するかもね、いつかは」


竜の口調からは虚しさが感じ取れた。


田中富士子が捕まった翌日、竜と僕は近くの公園に散歩して、そこの椅子に座った。天気はとてもよかった。


「じゃ、後悔しないように努力したら?今からでも遅くないんじゃない」


「遅いとか遅くないとかそんなんじゃないの。もう、決着をつけなくっちゃって感じ」


「どんな決着?」


「夢をみたバカな自分との決着」


「それって」


「そう、あなたとの決着だよ」


「?!」


「ごめんね。今まで付き合ってくれて、いろいろと励ましてくれて……寂しい時も悲しい時もうれしい時もずっとそばにいたのに、いきなりこんな話をして」


「大丈夫。いつかこんな日は来ると思っていたから」


「本当?」


「うん。だって、僕ってこのまま竜の心の中にいてはいけない存在なんでしょう」


「そんなことないよ」


「そんなことある。ここで僕が消えないと、またどんでもないことを起こすかもしれないから」


「……」


「だから僕はそろそろ消えた方がいいと思うの。まぁ、デモ曲の事がばれた時、心の中で決めたんだから」


「そうなんだ」


「だから、ここで別れるほうがいいよね」


竜は何も言わなかった。


今の竜はどんな顔をしているんだろう?見て見たい。


「ねぇ、竜。僕がいないからって寂しがっちゃいけないよ」


「わかってる」


「自分の才能を信じなさいよ」


「うん」


「それから……」


「もうわかってるから」


「そうだね、じゃ僕はここで行くね」


「うん、元気でな」


「竜もね」


僕は完全に消える前に、最後の質問をした。


「そういえば、内田さん、離れるんだって」


「わかってる」


竜はぶっきらぼうに答えた。


「連絡先だけでも聞いてみたら?二度と会えないかもしれないんだよ?」


「二度と会わない方がいいかもね」


「なぜ?好きじゃなかったの?」


「好きと付き合うは別々なの。今はこの感情だけを大切にしたい。これ以上に何が進展があると、夢が壊れそうになるから怖い」


結局、竜は自分の夢を壊さないために内田さんに本当の気持ちを伝えるのをやめた。


「そうなんだ。わかった。でもこれだけは覚えて。僕はいつも竜の味方だから」


「うん、わかってる」


「じゃ、さようなら」


「さようなら」


こう言ったけど、僕は消えなかった。竜の心の奥に潜んだだけだった。二度と出て行かないと決めただけ。これからの人生は竜が一人で切り開くしかないから。でも、僕もちゃんと知っていた。竜はちゃんと現実に目を向ける日がきたら、僕は消えるってことを。僕は竜が現実から逃げるために作った人格だから。


内田さんのことを考えたのから、それとも夢をあきらめることを考えたのから。竜の悲しんでいる感情は僕にも伝わってきた。


一人、感傷に浸っていると大原っていう警察が近寄ってきた。事件も解決したのに、何の要件に来たのだろう?僕には興味があった。


「こんな所で何をしているんですか?鈴木君」


こう言いながら大原警部は竜の傍に坐った。


「僕ですか?何もしていませんよ。ただ、座っていただけです。警部は何のためにここへ来られたんですか?」


「盗作の件についてちょっと話したいことがあって」


「やはり僕、捕まえるんですか?」


「それがね……」


「はい」


「デモ曲の創作者は死んだし、犯人も捕まったし。もう追求しない事にしたんです」


「そうですか」これを聞いて一番安心したのは僕だ。「ありがとうございます」


「僕に礼を言う必要はありませんよ。それに、今回の殺人事件で虜になってくれたんだから、こっちからはお礼がいいたいね」


「いいえ、別に大したことをしたんじゃありませんから」


「大したことをしたのさぁ。鈴木君じゃなかったら犯人は捕まらなかったのかもしれないよ?」


「そんな大げさですよ」


「ここは素直に好意を受け入れるべきなんだがね」


「そうですか」


ここで沈黙が流れた。


平日の午前中は平和だ。公園には誰もいなかった。あのおせっかいな近所のおばさんたちも自分の仲良くしていた人が殺人犯と知って、何日は休むことにしたのだろう。


「それで鈴木君」


「はい、なんでしょうか?」


「それで、おじさんのおせっかいになるかもしれませんが……」


「何を言おうとしているの、わかってます。僕、夢はあきらめました。もうかなえない夢を見るのをやめました」


「もったいない」


「もったいなくありませんよ。僕みたいな努力もしない人が歌手になれるわけありません。ちゃんと現実に目をむけただけです。これからはちゃんと就職しようと思ってます。ギターは趣味として続きますけど」


「それはよかったんですね」


「はい、本当によかったんです」


「それじゃ私はここで」


「はい、いろいろとお世話になりました」


大原警部が消えるのを竜はずっと見つめた。


「僕も家に帰ろうか。帰ってギターの練習でもしよう」

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